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[36:44] 島根県の火葬場
[1] 名前:こむすび :2022/06/29 (水) 20:17 No.5725
5725.jpg (3655KB)

山口県の次は,隣の島根県の火葬場を巡ろうと思う。
但し,隠岐へはタイミングが合わず行けていないので,正式には,隠岐地域を除く島根県の火葬場となる。
隠岐に行くには,船の時間や各港から火葬場までの距離を考慮すると,1回の訪問で全て見るのに最低でも3日かかるからである。
西ノ島町斎場,海士町斎場は,ストリートビューでも見られるので,興味ある方はそちらをご覧いただきたい。
隠岐の島町斎場「島後斎場 愁霊苑」はストリートビューがないので空撮か葬儀社サイトを確認していただきたい。
島根県の火葬場を見てみると,市町村合併により複数所有する自治体が多いことと,元も含めると一部事務組合の施設が多いことが特徴である。
島嶼部も含めてコンクリ煙突施設はすでになく,昭和後期から平成中期の建物がほとんどを占める。
古い施設が好みの方もおられるだろうが,新しくても古くても火葬場は火葬場でありその関係性において上下はない。
これまであまり島根県の火葬場が紹介されてこなかったので,この機会に紹介しておきたい。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

[35] 名前:こむすび :2023/05/20 (土) 17:20 No.5924
5924.jpg (816KB)

西ノ島町斎場は、港から9キロほど離れた山中にあり、徒歩での往復は厳しく、車を使わなければ同じ日の隠岐の島町西郷港行きフェリーに乗ることができない。
休みの日程の都合上、西ノ島で1泊する余裕がないのである。
今回、与えられた西ノ島での滞在時間は5時間であるが、車航送手続きの関係上、30分前までには港で乗船券を引換えなければならないので、実際は4時間半程度である。
始めは車航送料金の高さにより各島でレンタカーも考えたが、手続き及び返却時の給油時間すら惜しく、また、隠岐の島町ではレンタカー各社が利用しづらい時間に入港・出航となるので、今回はやむを得ず自家用車を持ち込むことにした。
レンタル自転車やバイクも晴れていればよいが、このような天気では体や手荷物が濡れてかえって利用しづらいし、何より車中泊ができないというデメリットもある。
そんなわけで車を走らせること15分、西ノ島町斎場前に到着した。
昭和54年の建設とのことである。確かに西ノ島町火葬場設置及び管理条例も昭和54年に施行されている。
建物規模や排気塔の数からして、炉数は1基かと思われる。
建物右横には霊柩車の車庫と思われる建物が付属している。
屋根奥側右上には、銀色の排気塔が1本見えている。


[36] 名前:こむすび :2023/05/20 (土) 17:21 No.5925
5925.jpg (690KB)

反対側に移動して1枚撮影。
細長い建物である。
火葬場ができる前は伝染病等ごく一部の例外を除き土葬であったので、この施設が出来てこの島の葬送は大きく変化したものと思われる。
他の島でも同様に、伝染病で亡くなった方や島外の方が亡くなって御遺体を移動させる必要があるときは、特設の火葬場で火葬したとある。
恐らく、案件の都度、人里離れたところに簡易な火葬炉を設営したのであろうが、今回はそこまで調査できる時間がない。
火葬場の奥はもともと常福寺があった場所で、お寺自体は既に山の下に移転しているが建物は残っている。
グーグルマップでは無表示であるが、地図によっては「モト常福寺」と表示されていることもある。
町のサイトを見ると、火葬場隣接の常福寺の建物を待合として使用できるとの記述があるので、お寺の土地を借地しているのかもしれない。
新たな整備の理由としては、現施設の老朽化に加え、使い勝手があまりよくないということも挙げられている。
火葬場への道が細くてカーブの続くバスも通れない山道であることや、敷地がそんなに広くなかったり、休憩所をお寺から借りていること等もあるのだろう。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

[37] 名前:こむすび :2023/05/20 (土) 17:22 No.5926
5926.jpg (446KB)

結局、海を見下ろす某所で夜を明かしたが、深夜まで風雨がきつく、車が揺れ、飛来物がぶつかり、風の音がうるさいのであまり眠れなかった。
朝になると雨こそ小降りになったものの、相変わらず厚い雲がたれこめている。朝日は期待できそうもない。
これも日ごろの行いの報いか、それなりに真面目に過ごしてきたはずなのにこの世には神も仏もないのか…などと呟きながら島後斎場 愁霊苑に向かう。
ここは、平成14年3月に完成した施設で、かつては島後地区の全町村による島後町村組合の運営であったが、構成町村合併に伴い隠岐の島町営になっている。
隠岐は、明治はじめの廃仏毀釈が激しかった地域で、町誌によると島後の中心部である西郷町でもすべてのお寺が破壊されたとのことだった。
後にお寺は復興し、島後地区では旧西郷町域にお寺が集中していて仏教徒の比率が他の地域と比べて高くなっている。
他の地域は神道が強かったので、土葬の傾向が高かったのであろう。
したがって、仏教では火葬されることが多いため、島後斎場の前身である西郷町斎場が出来た背景となっているのだろう。
なお、順番が前後するが、海士町史近現代編を図書館で読んだところ、「隠岐諸島では昭和60年になっても全て土葬だった」という記述が見られたが、少なくとも西ノ島町斎場は昭和54年には完成していたため、全て土葬というのは筆が滑ったと思われる。
また、某氏に伺ったが、旧布施村(現隠岐の島町)でも明治22年に火葬場が建設されているとのことであった。ただしこちらは建設年代的に近年まで残っていたとは考えにくい。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

[38] 名前:こむすび :2023/05/20 (土) 17:23 No.5927
5927.jpg (585KB)

曲がってすぐに左へ分岐する道があり、そちらへ行くとJA運営の大きな葬儀式場がある。出棺して火葬場まで車で30秒くらいだろうか。
道なりに進むと程なく島後斎場 愁霊苑前に到着した。
相変わらず雲が厚くて暗い。
向かって右側が火葬棟で、左側が待合棟である。
炉数は3基である。確かに空撮の画像でも排気口が3つ並んで見える。


[39] 名前:こむすび :2023/05/20 (土) 17:23 No.5928
5928.jpg (681KB)

建物裏側は駐車場であるが、建物は植栽や高低差であまり良く見えないようになっている。
ちなみに、この施設の前身である西郷町斎場は、この施設から少し南側に行ったところにあり、現在は主に道路用地として使用されている。
火葬場の跡地は何かを建設しての利用は困難なことが多いが、道路用地であれば有効に活用できると思われる。
それでは朝一8:30発のフェリーしらしまに乗船するため西郷港へ戻ろう。
かくして島後島の滞在時間わずか14時間で海士町菱浦港へ向かったのだった。


[40] 名前:こむすび :2023/05/20 (土) 17:24 No.5929
5929.jpg (590KB)

先日とは異なり、波が穏やかなこともあってか、気分が悪くなることもなく海士町菱浦港に到着した。
天気もいつの間にか快晴となっている。なぜこの天気が昨日に実現できなかったのか。
菱浦港到着時刻は9:40である。出航時刻は15:15なので海士町のある中ノ島滞在時間は5時間半である。
海士町斎場は、菱浦港から約4キロほどなのですぐに到着した。
平成10年の竣工で、25年程度経過しているが見たところ建物の状態も良く綺麗なままである。かなり大切にされているのだろう。
左手が火葬棟で、右手が待合棟である。
火葬炉は1基で、向かって左側の2階から横向きに排気するようになっている。火葬炉基準だと後方だと思われる。
島前地区では、土葬の時代が続いてきたが喪家の負担も大きく、人口減とともに土葬の穴掘り等の人の確保も難しくなってきた。
その状況を変えるべく、共同火葬場の建設について話し合いが持たれたことがあった。
それでも互いに島であることから移動がネックとなり、結局、独自に火葬場を整備することになったのである。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

[41] 名前:こむすび :2023/05/20 (土) 17:24 No.5930
5930.jpg (765KB)

さて、火葬場の裏側に道があったので上ってみると、ちょうど建物を見下ろすところに出た。
こちらが後ろ側の様子である。こちらから見ると、右手が火葬棟となっている。
右側の三角の建物は霊灰塔であろうか。


[42] 名前:こむすび(最終) :2023/05/20 (土) 17:25 No.5931
5931.jpg (719KB)

こちらが、排気口である。
建物真横に排気するようになっている。
さて、駆け足であったがこれで火葬場は見終わった。
先日と異なり天気が良いので、色々なところに巡ってから船に乗ることにしよう。
やはり、天気が良いとできることが増えてありがたい。
その後、隠岐神社をはじめとする各地を観光し、菱浦港で寒シマメ(スルメイカ)丼を食べてから本土行のフェリーおきに乗船した。
帰りも特にトラブルなく、無事17:55に七類港へ戻ってくることができたのだった。
翌日は予定通り島根県立図書館で市町村史の火葬場関連事項を調べたが、いくつか欠品や欠巻があり、全ての市町村を網羅できなかったのは残念であった。
それでも新たに分かったことがあったので、何らかの機会があれば披露していきたいと思う。
今回は慌ただしく島を往復し、隠岐の島を満喫というにはほど遠く、島の方や大自然にはなんとなく申し訳ない気持ちが湧いてくる。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

[43] 名前:削除 :削除 No.5947
火葬塚

[44] 名前:まるぐ :2023/06/20 (火) 23:26 No.5995
>こむすび様
資料と照らし合わせながら数日に分けて読ませていただいておりました。
火葬場の取材だけではない、チケット手配、スケジュール調整の部分まで書いていただけたので
勝手に脳内で苦労するこむすび様の姿を想像し
普段のレポートとは違う旅行記の部分まで楽しませていただきました。
個人的に近年は葬儀の進行の移り変わりにも目が向いてましたので
離島の葬儀〜埋葬までの歴史と現状も、こむすび様視点で報告して頂き
心よりお礼申し上げます。



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[37:4] 両墓制墓地
[1] 名前:東博君 :2023/03/14 (火) 23:24 No.5905
5905.jpg (336KB)

奈良の山間部は、埋め墓と詣り墓(石塔墓)が隣り合ってあるのですが、ここは埋め墓だけあります。
墓地の入口には鳥居と六地蔵が。


[2] 名前:東博君 :2023/03/14 (火) 23:25 No.5906
5906.jpg (344KB)

かなり古いお墓で、木の墓標は朽ち果てて無くなってる墓が多いです。
墓標が無くなってるので、プラスチックの生け筒や瓦が埋葬した場所の印になっています。
あちこちに朽ちた墓標や生け筒があって、お墓の上を歩きそうになるので奥に進みにくいです。


[3] 名前:東博君 :2023/03/14 (火) 23:27 No.5907
5907.jpg (333KB)

本来の両墓制墓地の埋め墓は、お詣りの対象ではありません。
両墓制の埋め墓は、極端に言うと埋め捨てるような感じです。
でも近所の方の話だと、草刈りもしてお詣りもする墓地です。
廃関係の方が喜びそうな所ですが、管理されている墓地であって決して廃墓地ではありません。
その点は誤解のないようにして下さい。


[4] 名前:削除 :削除 No.5922
火葬塚


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[38:4] 奈良県御所市の火葬場
[1] 名前:東博君 :2023/03/26 (日) 00:42 No.5917
5917.jpg (709KB)

かもきみの杜

[2] 名前:東博君 :2023/03/26 (日) 00:43 No.5918
5918.jpg (259KB)

御所市火葬場

[3] 名前:東博君 :2023/03/26 (日) 01:02 No.5919
5919.jpg (380KB)

かもきみの杜 炉前

[4] 名前:東博君 :2023/03/31 (金) 23:48 No.5921
5921.jpg (239KB)

今日で御所市火葬場は廃止です。
長い歴史があった火葬場だと思います。
最後の日を写真に収めたかったのですが、残念ながら行く事が出来ませんでした。

これは以前に撮影した稼働中のものです。
左から火葬棟、告別棟、右の茶色い建物は管理棟で、事務室や墓参の休憩室やトイレがあります。
霊柩車は火葬棟と告別棟の間の通路まで乗り入れます。

告別棟は意外と広くてパイプ椅子が並んでいます。
告別は着席して行うのかも知れません。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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[39:22] 輪島市穴水町環境衛生施設組合 やすらぎの杜
[1] 名前:東博君◆TKTgvMKYyU :2014/05/28 (水) 22:12 No.4071
4071.jpg (206KB)

輪島市穴水町環境衛生施設組合やすらぎの杜です。

[13] 名前:こむすび :2014/06/02 (月) 23:17 No.4084
4084.jpg (509KB)

こちらが「光の収骨」です。
部屋の壁や照明も「光の告別」に合わせてありますね。


[14] 名前:こむすび :2014/06/02 (月) 23:18 No.4085
4085.jpg (584KB)

こちらが「緑の収骨」です。上と同様に告別室と合わせてあります。

[15] 名前:こむすび :2014/06/02 (月) 23:21 No.4086
4086.jpg (834KB)

待合室1・2です。
真ん中で仕切れるようになっています。
畳のスペースと椅子席と両方あります。
入口脇には授乳やおむつ交換等に使える小部屋もあります。


[16] 名前:こむすび :2014/06/02 (月) 23:22 No.4087
4087.jpg (815KB)

ここは共用の待合ホールです。

[17] 名前:こむすび :2014/06/02 (月) 23:23 No.4088
4088.jpg (596KB)

待合室1の奥に喫煙室もあります。

[18] 名前:こむすび :2014/06/02 (月) 23:26 No.4089
4089.jpg (800KB)

せっかくなので旧施設にも行ってみました。
手前が待合棟で火葬場は奥にあります。
画面右手は,輪島穴水地域RDFセンターと言って,ゴミや廃棄物から燃料を作る施設になっています。


[19] 名前:こむすび :2014/06/02 (月) 23:28 No.4090
4090.jpg (726KB)

裏側から撮影。
白い建物が火葬場本体です。


[20] 名前:こむすび :2014/06/02 (月) 23:34 No.4091
4091.jpg (3007KB)

2005年7月に同じ場所から撮影した画像が出てきました。
穴水町門前町環境衛生施設組合火葬場だった頃のものです。
後ろの清掃工場も旧施設のものです。
この時代は,前を走る7号線から直接火葬場正面に行く取り付け道路がありましたが,RDFセンター改築もあってか,今はなくなりました。


[21] 名前:こむすび :2014/06/02 (月) 23:45 No.4092
4092.jpg (977KB)

同じく9年前の写真ですが,前を走る7号線からは直接この道路で火葬場まで行くことができました。現在はこの位置にRDFセンターが建設されています。


今回のオープンで石川県からも高煙突の公営火葬場は全て姿を消すことになります。


[22] 名前:削除 :削除 No.5904
火葬塚


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[40:16] 天川村火葬場 三代
[1] 名前:こむすび :2022/03/14 (月) 21:13 No.5257
5257.jpg (2702KB)

奈良盆地を抜け,奈良県南部の山間部を進んでいくと程なく大自然に包まれた天川村に到着する。
この天川村には,かつて火葬場が天川村火葬場及び天川村洞川火葬場の2か所存在したが,令和2年4月1日に新しい天川村火葬場が供用開始し統合された。
まずは,旧天川村火葬場である。
この旧天川村火葬場は,平成22年度に大規模改修をしている。
詳しい内容は,当時の町広報を検索すれば写真付きで出てくるので興味のある方は参照してほしい。
これは,大規模改修後のものである。
建物右手に新たに火葬棟が建設されている。
背の高い建物がそうである。
炉数1とはいえ,10年ちょっとで廃止になってしまったが,元は取れたのだろうか。
いや,元を取るという概念は火葬場に持ち込むのには無理があろうか。


[7] 名前:こむすび :2022/03/14 (月) 21:15 No.5263
5263.jpg (2076KB)

裏側に回ってみた。
短い煙突が建物に寄り添っているように伸びている。


[8] 名前:こむすび :2022/03/14 (月) 21:15 No.5264
5264.jpg (3742KB)

右手側面である。

[9] 名前:こむすび :2022/03/14 (月) 21:16 No.5265
5265.jpg (3271KB)

さて,この2施設であるが,冒頭に述べたように令和2年4月1日に新たな火葬場が供用開始されて廃止になった。
新たな施設は,洞川地区から西側に行った道の途中にある。
地区としては洞川地区内にあたる。


[10] 名前:こむすび :2022/03/14 (月) 21:16 No.5266
5266.jpg (3839KB)

道路側から撮影。建物の奥側(画面右側)に火葬炉がある。
火葬炉は1基で,宮本工業所製である。


[11] 名前:こむすび :2022/03/14 (月) 21:16 No.5267
5267.jpg (3065KB)

施設名称は,ずばりそのまま「天川村火葬場」である。
特に愛称はないようだ。


[12] 名前:こむすび :2022/03/14 (月) 21:17 No.5268
5268.jpg (2443KB)

正面のガラスから中を覗くと,奥が炉前となっており,手前に椅子が並んでいる様子がみえる。
炉前スペースがやたら広く感じた。
炉は右側にある。
正面からも写真を撮ったが,扉が2枚あるため私の姿が写りこんでしまうので,横から撮影したものでご容赦を。


[13] 名前:こむすび :2022/03/14 (月) 21:18 No.5269
5269.jpg (3533KB)

後ろ側に回ってみる。
燃料は灯油である。


[14] 名前:こむすび :2022/03/14 (月) 21:18 No.5270
5270.jpg (2392KB)

最近の火葬場は大抵そうであるように,排気口は通常の方法では見えないように処理されている。

[15] 名前:こむすび(最終) :2022/03/14 (月) 21:19 No.5271
5271.jpg (3308KB)

これまでの施設を引継いたこの新しい火葬場は,今後も天川村の人々を見守っていくことだろう。
末長い活躍を期待して本レポートを終了したい。


[16] 名前:削除 :削除 No.5903
火葬塚


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