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76: 焼津市・志太広域/静岡市清水 (99)  77: 安浦町営火葬場 (8)  78: 深谷市火葬場 深丘園 (42)  79: 長崎・佐賀の火葬場を幾つか (14)  80: 名古屋市第二斎場建設中 (25)  81: 冬の青森ツアー (22)  82: 徳島県美馬西部共立火葬場 (26)  83: 香川県高松市K川河川敷の廃三昧 (3)  84: 広島県福山市山野斎場 (8)  85: ○神戸市立有馬斎場 (2)  86: ○入間東部広域斎場内覧会 (7)  87: ○柴田斎苑 (1)  88: ○川崎町斎苑 (1)  89: ○七ヶ宿斎苑 (1)  90: ○白石斎苑 (1)  91: ○亘理葬斎場 (2)  92: 土浦市営斎場建て替え工事中 (17)  93: (続)川越市斎場 (9)  94: 東広島市の簡易火葬場跡 (4)  95: ○座棺炉 (33) 

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[76:99] 焼津市・志太広域/静岡市清水
[1] 名前:元練馬区民 :2015/01/01 (木) 22:11 No.4158
4158.jpg (417KB)

[1〜6:志太広域2015年1月]
ご無沙汰しております。
私が静岡県で再び仕事をするようになって早2年。ここへ来て我が火葬場デビューの地・焼津も、また20km余り東の清水も施設更新の工事が始まりました。
まずは過去に私が投稿した、焼津市は志太広域事務組合斎場の現状から掲載していきます。

敷地の入口から
現火葬棟の前側に囲いが設置され、仮設待合室の工事が行われています。囲いの向こう側は過去の投稿に掲載したとおり、右が火葬棟、中が待合棟、左が式場棟です(ただし現在式場は利用できません)。


[90] 名前:元練馬区民 :2018/01/20 (土) 10:58 No.5011
5011.jpg (213KB)

さて、1948(昭和23)年の開設から70年めの新装開場ということに
なりましたが、改めてそれ以前に所在した場所をおさらいします。
焼津市といえば漁港が基幹産業の拠点ですが、現在では主力拠点は
新焼津漁港となりました。旧焼津漁港は上屋も解体され、主として近海漁業の
船着き場として使われることとなりました。その旧焼津漁港の一角に、
知る人ぞ知る海鮮料理の「お食事処・かどや」があり、全国からお客さんが来ます。
ここから100m余り船着き場側に焼津町火葬場がありました。
1922(大正11)年、それまで町内に7箇所あった、ほとんど野焼き場の
形態のものに取って代わるものとなりました。何しろ、当時の焼津町は
焼津駅から1km圏内が大雑把な範囲であり、火葬場の立地に適した場所など

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

[91] 名前:元練馬区民 :2018/01/20 (土) 11:00 No.5012
5012.jpg (245KB)

過去には小川漁港付近も砂浜で、その一角に露天火葬場が存在しました。
そこには2本の松があったということです。しかし、当時の小川村としても、
もっと近代的な火葬場を建設するに至りました。
現在の小川公民館の南方ですが、跡地周辺は区画整理が進み、商業地・住宅地と
なりましたので、「この画像の界隈」という婉曲表現にとどめます。
後に町制を経て、1955(昭和30)年に焼津市と合併するのに合わせて
焼津市火葬場に統合され、小川町火葬場は廃止されました。
なお、小川町や東益津村と同時に焼津市と合併した大富村と和田村にも
それぞれ火葬場があり、やはり合併と同時に廃止されたということですが、
現時点で場所の特定に至っておりません。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

[92] 名前:元練馬区民 :2018/01/20 (土) 11:03 No.5013
5013.jpg (559KB)

また、この施設は1975(昭和50)年に「藤枝市火葬場」を統合すべく
炉の増設ならびに葬祭式場の併設を伴う改築を行い、志太広域事務組合の前身、
志太二市二町環境整備組合に移管されるまで焼津市が設置する「焼津市火葬場」でした
(移管当時の二市二町の区域は現在の焼津・藤枝両市を合わせた区域と同じであり、
二町とは「焼津市と合併前の大井川町」と「藤枝市と合併前の岡部町」です)。
その藤枝市火葬場は現在の文学館・郷土博物館の隣接地に1914(大正3)年の
開設から約60年間にわたりありました。
跡地にはプレハブ小屋が建っていますが、やはり周辺は公園・住宅地となりましたので、
丘の下の跡地と上の文学館が入る程度の画像にとどめます。


[93] 名前:元練馬区民 :2018/01/20 (土) 11:09 No.5014
あまり内容の濃くない説明でお恥ずかしいですが、ここまでご覧くださいましてありがとうございました。
ところで、この新火葬場の供用開始に合わせて、この施設の名称が地味に変更されます。
従来は葬祭式場の部分のことを「斎場会館」と呼んでいたのですが、今後は施設全体の名称が「志太広域事務組合斎場会館」となり、部分名称として「火葬場」「葬祭式場」を用いるということです。私個人的には、全体名称はもっと「愛称」めいたものとすべきと考えます。実際に内覧会当日にいらした斎場建設担当の職員の方にも「焼津・藤枝市民からこの施設に相応しい名称を公募して付けるようにしてください」と要望いたしました。いかに設置者が「志太広域事務組合」とはいえ、一般市民・参列者が正確に認知するところではないため正式名称を言っても通じにくく、第一長すぎます(さらに「会館」が付いて改悪)。旧名称の「焼津市火葬場」といったほうが通じやすく言いやすいくらいですが、ただこれでは藤枝市民からすれば恰も組合員外のようだ、と反発を招くこととなります。また、単に「斎場会館」では、両市外から参列される方にはどこの市町のものか判別できません。要するに、名称決定の基準は「市民・利用者目線に立った、単純明快なものでなければならない」のです。まあ、剥げ剥げだった線路沿いの看板は、この「愛称」が付いたらそれで綺麗に塗り直すのが良いでしょう。


[94] 名前:元練馬区民 :2018/02/03 (土) 23:53 No.5018
5018.jpg (283KB)

[94〜99:志太広域2018年2月]
いよいよ新火葬場供用開始にあたり、進入路が変更されることとなり、
それに対応して、「あの看板」が塗り直されました。
南(浜当目集落)側から


[95] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 00:01 No.5019
5019.jpg (294KB)

北(葭岬(よしばな)踏切)側から
国道150号からは、この方向で来ます。
なお前述のとおり、南側は住宅地のため、なるべくこちら側から
来場するように案内されています。
やはり「こちらからは斎場へは入れません」の立て看板は
ここに移されました。


[96] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 00:04 No.5020
5020.jpg (242KB)

再び暫定の入口から
内覧会当日はダートだった建物周囲ですが、ようやく霊柩車の通る部分が
舗装されました。「稼働に直接利便性をもたらす」部分から優先して
工事を進めなければならない状況から、「その場しのぎ」的な手順に
なるのもやむを得ないといえます。


[97] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 00:07 No.5021
5021.jpg (345KB)

動物火葬入口はまだダートである上、火葬場建物と工事柵の間の狭い通路を
歩いて持ち込む形になります。


[98] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 00:08 No.5022
5022.jpg (181KB)

内覧会当日は進入できなかった、通路突き当たりより

[99] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 21:54 No.5023
5023.jpg (241KB)

ガラス戸の外から見た室内です。
焼香台があります。



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[77:8] 安浦町営火葬場
[1] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:19 No.4905
4905.jpg (1305KB)

リクエストがありましたので安浦町営火葬場を再掲します。
2005年に撮影したものです。


[2] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:20 No.4906
4906.jpg (1204KB)

建物を少しアップにしたもの

[3] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:21 No.4907
4907.jpg (1056KB)

燃料は灯油でした

[4] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:22 No.4908
4908.jpg (1470KB)

裏に霊灰塔がありました


[5] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:22 No.4909
4909.jpg (1388KB)

これは再燃焼炉でしょうか


[6] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:23 No.4910
4910.jpg (1530KB)

煙突直下に排風機が設置されていました

[7] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:30 No.4911
4911.jpg (1223KB)

現在,安浦町は呉市に合併され,火葬場も同じ敷地内に呉市東部斎場として改築されました

簡単ではありますが,安浦町営火葬場の画像を再掲させていただきました


[8] 名前:尾道市情報探索人 :2017/08/01 (火) 00:22 No.4912
こむすび殿へ。
安浦町旧火葬場画像の再掲載、誠にありがとうございます。
地元の方から画質の悪いピンぼけ写真を見させて頂いておりましたが、こむすび殿の写真にて、しっかり確認する事が出来ました。
こむすび殿の写真大変参考になりました。
早速の写真掲載、誠に感謝ありがとうございました。
【広島県尾道市情報探索人】



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[78:42] 深谷市火葬場 深丘園
[1] 名前:若潮 :2008/08/29 (金) 23:17 No.1067
1067.jpg (196KB)

平成20年8月下旬の深谷市火葬場です。火葬場趣味人の方や埼玉県在住の方には「深丘園」(しんきゅうえん)と言った方が分かり易いかと思います。
かつては大里郡岡部町山河(やまが)、現在は市町村合併によって深谷市山河になっていますが、実はここは「山河」「榛沢新田」(はんざわしんでん)「山崎」「針ヶ谷」の4つの大字が入り組んでおり、火葬場の敷地も山河と針ヶ谷にまたがっています。
とはいえ、周辺は長閑な田園地帯です。


[33] 名前:東博君★ :2010/05/31 (月) 22:43 No.2538
2538.jpg (106KB)

(一時投稿)
見学会に行かれた方は、あまりいらっしゃらないようで・・・
とりあえず告別室(炉前)だけ1枚。


[34] 名前:東博君★ :2010/05/31 (月) 22:44 No.2539
2539.jpg (118KB)

こちらは旧施設の煙突。
告別室の窓から見上げて見ました。


[35] 名前:東博君★ :2010/05/31 (月) 22:45 No.2540
2540.jpg (125KB)

旧施設は、見学会とは別の日に見せて頂きました。
この日は休業日で、解体工事の業者の方が下見に来られたので、炉扉はフルオープン。

手狭ではありますが、手入れの行き届いた火葬場です。
昭和46年に完成し、本日をもって供用廃止されました。

また後日にでも新旧施設のレポートを纏めてみます。


[36] 名前:若潮 :2010/06/01 (火) 10:29 No.2541
2541.jpg (194KB)

(一時投稿)
待合室。
2室間の仕切りを畳んで1つの大広間にしてありますが、通常は片方のみです。
写真は、手前が「待合室1」(32人収容)、奥が「待合室2」(40人収容)です。
建物のデザインの関係で6つある待合室は収容人数が異なり、「3」「4」は44人、「5」は40人、「6」は32人収容です。
「3」-「4」間、「5」-「6」間の間仕切りを取り払うことが可能です。


[37] 名前:若潮 :2010/06/01 (火) 10:41 No.2542
2542.jpg (224KB)

(一時投稿)
待合室は全て椅子とテーブルの洋風ですが各待合室には3畳の畳の間があります。
バリアフリーを考えれば洋式のほうが良いが、和式でないと落ち着かないという人もいる、そこで考えた結果なのでしょう。


[38] 名前:若潮 :2010/06/01 (火) 10:43 No.2543
2543.jpg (241KB)

(一時投稿)
待合ホール。
6つの待合室共々2階にあります。


[39] 名前:若潮 :2010/06/01 (火) 10:47 No.2544
2544.jpg (170KB)

(一時投稿)
ペット火葬お別れ室。
部屋の広さの関係で写真1枚では収まらないので2枚で。


[40] 名前:若潮 :2010/06/01 (火) 10:52 No.2545
2545.jpg (167KB)

(一時投稿)
もう1枚。
棚の左側にある扉から、ペット火葬炉へと運ばれます(すぐ火葬炉があるわけではなく、ここから職員が搬送します)。


[41] 名前:若潮 :2010/06/01 (火) 10:54 No.2546
2546.jpg (173KB)

(一時投稿)
霊安室(柩保冷庫)


[42] 名前:若潮 :2010/06/01 (火) 11:05 No.2547
2547.jpg (128KB)

(一時投稿)
エントランスポーチの屋根。
ガラスには和紙を挟んだものを使用しています。
遺族がこれに気付くかどうかは微妙ですが・・・。



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[79:14] 長崎・佐賀の火葬場を幾つか
[1] 名前:若潮 :2017/01/01 (日) 21:36 No.4765
4765.jpg (307KB)

あけましておめでとうございます。

昨年暮れに、所要で九州へ行ってきました。
その際に撮影した写真、殆どは私のブログ(「佐久平斎場見学会」スレ参照)で公開しますが、こちらでも極力被らない形で公開したいと思います。

まず、長崎市の市営火葬場。
この写真のみ、ブログとのマルチポストになってしまいますが、何卒ご容赦下さい。


[5] 名前:若潮 :2017/01/01 (日) 21:44 No.4769
4769.jpg (309KB)

建物と駐車場の間も地形の段差があります。

[6] 名前:若潮 :2017/01/03 (火) 01:24 No.4770
4770.jpg (338KB)

場所は変わって、佐賀市大財(おおたから)にある、大財公園。
以前、火葬の科学スレで話題に上ったことがある場所です。

敷地西側(写真奥)ではトイレの改修工事中でした。


[7] 名前:若潮 :2017/01/03 (火) 01:25 No.4771
4771.jpg (425KB)

敷地東側([6]の写真の手前)にある鎮魂(ちんこん)碑。

[8] 名前:若潮 :2017/01/03 (火) 01:27 No.4772
4772.jpg (365KB)

その鎮魂碑の裏側。

[9] 名前:若潮 :2017/01/03 (火) 01:28 No.4773
4773.jpg (393KB)

その昭和55年というのは、長崎自動車道北側にある現在の市営火葬場が供用開始した年です。

[10] 名前:若潮 :2017/01/03 (火) 01:31 No.4774
4774.jpg (235KB)

建物向かいの駐車場からの眺め。

尚、佐賀市関連の写真はブログには掲載していません。


[11] 名前:若潮 :2017/01/05 (木) 22:27 No.4800
4800.jpg (426KB)

場所は変わって、福岡市城南区にある「刻の森」(ときのもり)。
桧原(ひばる)ソフトボール場がある公園です。


[12] 名前:若潮 :2017/01/05 (木) 22:39 No.4801
4801.jpg (291KB)

・・・というのもそうですが、福岡市の市営火葬場もあります。
逆光だったため、車寄せ側から撮影できませんでした。

尚、福岡市は全域がここを使うわけではなく、東区のうち昭和30年まで糟屋郡香椎町・糟屋郡多々良町だった区域、昭和35年まで糟屋郡和白町だった区域、昭和46年まで糟屋郡志賀町だった区域はここではなく、古賀市にある「北筑昇華苑」(きたちくしょうかえん)という火葬場を使います。


[13] 名前:若潮 :2017/01/05 (木) 22:42 No.4802
4802.jpg (481KB)

火葬場のそばにも刻の森の案内看板がありますが([12]の写真の中央付近のもの)、色焼けしてしまっている上に亀裂が入っているため、何が書いてあるのかさっぱり分かりません。

[14] 名前:若潮 :2017/01/05 (木) 22:45 No.4803
4803.jpg (476KB)

進入路途中にある慰霊碑。

尚、私がこの掲示板に画像投稿した場合、ブログも更新されていると考えて下さい。



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[80:25] 名古屋市第二斎場建設中
[1] 名前:若潮 :2013/01/01 (火) 21:05 No.3797
3797.jpg (176KB)

年明け後の投稿ですが、写真は平成24年末です。
名古屋市港区の、名古屋市第二斎場建設現場です。

まだ整地だけかと思っていましたが、既にボウリング作業に着手していたのですね。


[16] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:09 No.4782
4782.jpg (481KB)

たてもの05

[17] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:09 No.4783
4783.jpg (1076KB)



[18] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:10 No.4784
4784.jpg (371KB)

台車

[19] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:10 No.4785
4785.jpg (374KB)

台車外側から

[20] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:11 No.4786
4786.jpg (289KB)

監視

[21] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:11 No.4787
4787.jpg (415KB)

これなんだったっけ

[22] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:12 No.4788
4788.jpg (436KB)

さっきのは排気管だったわ。


[23] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:13 No.4789
4789.jpg (374KB)

こっちが残骨

[24] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:15 No.4790
4790.jpg (1396KB)

廊下か?

[25] 名前:まるぐ :2017/01/03 (火) 07:16 No.4791
4791.jpg (447KB)

遠くから


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