[9:17] 島の火葬場-蒸籠の神様が宿る島-
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:39 No.6194
とある日の昼休み、私は会社の非常階段にこもってスマホを操作していた。 「…日から2泊…予約完了。新幹線みずほ615号、つばめ343号、さくら572号…予約完了。高速船甑島1便及び2便…予約完了。レンタカー6時間…予約完了。…」 予約が手元の端末で完結するとは便利な時代になったものである。 このゴールデンウィークに心ならずも2日間休日出勤をしたため、2日間の代休を取得した私は、新たなる島の火葬場を目指すべく思案していた。 西日本の瀬戸内や日本海側の島についてはほとんど訪問を終えているため、次の場所をどこにするか検討していたのである。 休みの日が2日間であることから、初日は仕事終わりにそのまま新幹線で移動し、翌日朝に船に乗って訪問可能なところから候補地を選定するのだが、訪問件数の増加と反比例して選択肢がかなり限られてきている。 その限られた選択肢が、どこも費用と時間のかかるところばかりなので、ここに行く!という踏ん切りがつかず決めきれないのである。 さらには、残された各候補地の火葬場がどこも新しめで本土の火葬場と大差がなく、訪問のモチベーションがなかなか上がらないという事情もある。 だからこそ、最後まで行かずに残っているとも言える。こうなったら、島限定にしない方が多くの火葬場を巡ることができて、ここでの需要も高いと思われるが、それを言ってしまうと元も子もない。 その候補地はあと3箇所まで絞り込まれている。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:42 No.6201
もう少し建物に近寄ってみる。 入口上部には施設名が記載されている。 入口左の施設名も「薩摩川内市上甑島葬斎場」になっている。 市町村合併した際に、甑島衛生管理組合営から薩摩川内市営に変わったため、施設名を彫った石板を交換したと思われるが、それから20年ほど経過し、既に違和感等は感じられず馴染んでいる。 建物入口左脇には霊灰塔の石碑がある。
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:42 No.6202
中を見たところ、左手に銀色の観音開きタイプの化粧扉があったが表からは見えづらいようにアコーディオンカーテンが設置されている。 お別れや拾骨の際に締め切るのだろうと思われる。
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:43 No.6203
外には、右手に霊灰塔、左手にミニ焼却炉がある。ミニ焼却炉は、当初、旧火葬場の煙突を記念に保存しているオブジェに見えたが特に関係はないようだ。ただ、非常に小さいので何を焼却するのかは気になるところである。 さて次は、甑大明神橋と鹿の子大橋を渡って中甑島に向かう。 中甑島には平良(たいら)という集落があり、平成16年2月まで上甑村平良火葬場が設置されていた。 郷土資料を見ると、もともと平良は土葬であったが慢性的に墓地が足りなかったので昭和49年に火葬場を設置し、地元の方の手で火葬をしていたとある。 火葬に慣れない頃は、他の地区から講師を招いて講習会も開催したという。 その火葬場も現在は跡地となっているが、石碑が残っているということを聞いているので立ち寄ってみたい。
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:43 No.6204
中甑島に入って平良集落方向に左折し、海岸手前の空地に車を乗り入れる。 そこから少し歩くと程なく石碑が見えてきた。 「平良火葬場跡」と彫られている。裏側を見てみたがそちらには何も彫られていなかった。 石碑によると昭和49年7月から平成16年2月までこの場所にあったことが分かる。 古い空撮を見ると確かに四角い建物が確認できる。 中甑島も平成5年度に架橋で上甑島と結ばれたため、火葬場の老朽化もあいまって上甑島葬斎場に統合されたのであろう。
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:43 No.6205
次は、令和2年8月に開通した甑大橋を渡って下甑島に向かう。 中甑島と下甑島の間の藺牟田(いむた)瀬戸は狭いところで約1.3キロであり、そこに1.5キロの橋を建設した。 実際に現場を見下ろすと、絶海の孤島でよくこのような大工事が行われたものだと感じる。 架橋直後は、観光客の入り込みが増え、港の駐車場が混雑しているというニュースを見たことがあるが、現在はどうであろうか。
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:44 No.6206
下甑島に渡ると旧鹿島村地域に入る。藺牟田という大字一つの村であり、下甑島の北側三分の一ほどを占めている。 下甑島も、元々一つの村であったが、鹿島地区と他の地区が山で隔てられているため分村し、北部が鹿島村、南部が下甑村となったのである。 資料によれば、鹿島葬斎場は、旧鹿島村葬斎場であり平成2年4月に供用開始され1基の火葬炉がある。甑島の中では一番新しい施設となっているがそれでも30年以上が経過している。 古い資料を見ると、それ以前には鹿島村火葬場が設置されていた。大字は藺牟田で同じだが番地が大きく異なっているため違う場所にあったと思われる。 さて、上甑島葬斎場は使用していなかったが、こちらはどうだろうか。 できれば休場日であって欲しいが、と祈りつつ藺牟田の市街地を抜け、南に少し行き、鹿島葬斎場に入る道を右折した。 道の突き当り右手が駐車場となっているが、既に車両が数台とめられていて使用中なのが予見できた。 場内が狭いため、供車は火葬場敷地前に設置された駐車場にとめるようになっている。 進入路は、火葬場以外に行けないため、駐車している車は関係者のもの以外ありえないのである。 建物前には黒い服を着た人影も認められて使用中が確定したため、部外者としてはお別れの邪魔をしないように出直すしかない。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:44 No.6207
次は、県道をそのまま南下して19キロ離れた下甑葬斎場に向かう。 旧下甑村域に入ると、道幅が狭くなり中央線がなくなる区間が増えた。先に橋がつながった北側から順に道路整備がされてきている様子が分かる。 それでもところどころバイパスが整備されてきているので、いずれは全線で片側1車線の道路が完成するものと思われる。 狭いところでも対向車はそれなりにすれ違うため慎重に運転する。 資料によれば、下甑葬斎場は、旧下甑村立火葬場であり昭和53年4月に供用開始され1基の火葬炉がある。 昭和47年度の「過疎地域問題調査報告書:地域調査 鹿児島県薩摩郡下甑村」によると、その時点では土葬で、山がちな地形のため墓地が足りず、火葬場の建設が求められているという記載があったため、下甑村立火葬場以前の施設はなかったものと推定する。 県道を進み、長浜地区と手打地区の中間地点である青瀬地区で山側に右折する。道端には「ナポレオン岩」といった観光名所に加えて「火葬場」という案内もあって分かりやすくなっている。 そのまま細い山道を2.3キロ上がって行くと右手側に火葬場が見えてくる。 人口から考えて2箇所続けて使用中ということはないだろう、と考えているうちに下甑葬斎場前に到着した。 ところが、入口左手にある霊柩車のものと思しき車庫の扉が開放されているではないか。ストリートビューでは閉鎖されていたのに。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:45 No.6208
色々考えを巡らせつつ入口近くまで行ってみると、建物の窓が開いているのを確認したので、ここも使用中であることが確定した。 駐車されている車の台数から、今は職員の方や葬儀社の方だけのように見受けられたが、建物内ではお迎えの準備で忙しくされているだろう。 そして、ほどなく霊柩車と御遺族の方々も到着されるはずだ。ここで鉢合わせることは避けたいので急いで出発する。 来た道を引き返し、海沿いの県道に出ると、とりあえず道路の終点である手打港へ向かった。 旧手打港跡地前にある広場に車を停め、時間調整も兼ねて休憩することにした。 先日、鹿児島県本土側の撮影で430キロも走っていたので直ぐに寝てしまい、暫くして携帯のアラームで目覚めた。 疲れからか、タイマー設定を誤り、想定より遅い時間になっている。帰りの船の時間を考えるとあまり余裕がない。 本来はもう少し早く起きて手打診療所や武家屋敷跡等も見てみたかったが全て却下して下甑葬斎場に向かう。 ほぼ火葬場しか見ずとんぼ返りした隠岐での反省が活かされていないではないか…自己嫌悪に陥りつつ車を運転する。
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名前:こむすび
:2024/06/11 (火) 21:45 No.6209
20分後、再度、下甑葬斎場前に到着した。 接近してみると、建物外には誰もおられなかったので、門のところから撮影させていただいた。使用中であればこのあたりが限界だろう。 開放された入口扉から銀色の観音開きの化粧扉が見えた。 時間や御遺族の滞在など諸般の事情を鑑み、これ以上ここで粘ることは難しく状況も変わらないと判断して里港に戻ることにした。 御遺族の帰宅を待つとしてもそれが何時になるかはこの時点で不明であり、現在の時刻と相談しても、今すぐこちらを出発しないと船に乗り遅れる可能性が出てくる。今日中に帰宅しないと明日の勤務に穴をあけて面倒なことになるし何を言われるか分かったものではない。 「もしもし、こむすびですけれども、鹿児島の離島で火葬場を撮影していたら船に乗り遅れたので休みたいのですが。」などと正直に電話すると始末書の1枚も書かされる可能性がある。万一の際には、もう少し違う理由を用意しておかなければならない。 急いで車をUターンさせ山道を下っていると、ちょうど県道に合流する手前で○○家という札を掲げたマイクロバスとすれ違った。 空車だったので帰宅のお迎えに行くところであろう。あと少し遅ければあの狭い場内で鉢合わせて身動きが取れなくなっていたはずだ。 再訪問のタイミングとしてはかなり際どいところだったと冷や汗をかく。 また、今から火葬場に引き返し、帰宅された後に撮りなおすには残念ながらもう時間がない。せめてあと1時間、いや30分あれば。そういう微妙なタイミングであった。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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名前:こむすび(本投稿最終)
:2024/06/11 (火) 21:46 No.6210
その後は、利用分のガソリン代を支払い、港まで送っていただいた。 まずは川内港行きの乗船券を購入する。これで船に乗れることが確定し、新幹線等で路線トラブルがなければ明日の欠勤はなくなった。 ほっとするとお腹がへっていることに気付いた。食料を買い損ねて朝から何も食べていなかったのである。 そうだ、せっかく甑島に来たのだから名物のキビナゴ丼を食べてみたい。時間はないが急いでかき込めば間に合うだろう。 ところが、コロナの影響なのか、港の食堂ではメニューには記載されているものの、現在、飲料のみで食事の提供は中止しているとのことだった。 コロナが5類感染症に移行して1年が経過し、本土では様々なことが解禁されたような雰囲気となっているが、島では医療体制の制約から現在でも厳戒態勢が敷かれているのである。 上陸の際に見た港の注意書きでも、確かにマスク着用の案内が記載されていた。 今後、ここに限らず島を訪問される予定のある方は注意していただきたい。 食事はできなかったが、撮影のお礼も兼ねてキビナゴのみそ漬けやその他海産物の干物、お菓子等を買込み、多少、島の経済に貢献する。 本来は、火葬場の自販機で飲料を複数購入して、直接、収入に貢献したかったが、見当たらなかったのでやむを得ない。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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