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重要文化財 中家住宅復旧記
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名前:東博君
:2025/02/08 (土) 21:28 No.6320

火葬場とは関係無いスレッドですがご了承下さい。
重要文化財中家住宅の復旧の様子をメモ代わりに記していきます。
画像は火災前の主屋です。
以下は、火災のあった日の報道映像です。
【速報】奈良の重要文化財で火災 「中家住宅」の主屋焼ける
(共同通信 KYODO NEWS)
https://youtu.be/PkyruIcElgA
「枯れ草を燃やしていたら屋根に…」国の重要文化財『中家住宅』のかやぶき屋根にも燃え移る 奈良・安堵町(2024年7月29日)
(MBS NEWS)
https://youtu.be/mLD4OleBiss
【ライブ】国の重要文化財「中家住宅」が火事「火がかやぶき屋根に燃え移った」消防車18台が消火活動中 住民の女性が病院に搬送 奈良
(読売テレビニュース)
https://www.youtube.com/live/-WsKrZSKN4A
朝から現場検証 重要文化財「中家住宅」の屋根に被害
(奈良テレビNEWS)
https://youtu.be/rh-a5uJibxQ
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名前:東博君
:2025/02/08 (土) 21:30 No.6321

敷地に入るには、壕にかけられた小さな橋を渡ります。
正式に予算も付いたので、まもなく修復工事も始まります。
火災で被害の「中家住宅」 文化庁修復補助金1360万円を交付
https://youtu.be/BSt2q1Krr-0
工事は県の文化財保存事務所が行います。
文化財保存事務所の分かり易い記事が以下にあります。
奈良県文化財保存事務所って?
https://www.asahi.com/articles/ASQB16WZGQ9PPOMB00F.html
半解体修理という大掛かりな工事になるので、ここにも出張所を作り工事します。
工事主任は、橿原神宮出張所の方が来られるとお聞きしたから記事の方かも知れません。
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名前:東博君
:2025/02/08 (土) 21:32 No.6322

小さな橋を渡ると表門。
この門からは修理の為の機材や資材は入りませんね。
敷地裏から入れます。
搬入路を新たに作らないといけないので、工事費が高くなる一因だと思います。
初めて伺った時は、古くからの名家みたいだからお高い方なんだろうなと思ってたり、この入り口を見て物凄く敷居の高い家だと思いビビりました。
でも中の人は(文字通り中さんですが)ご一家揃って謙虚で気さくな方々でした。
お高そうだし来るのは一度きりかなと思っていたら、どっぷりハマる事になりました。
READYFORのクラウドファンディングの動画の最後にお孫ちゃんも映っています。
大人になっても『今』は覚えていないとは思いますが、修理が終わる頃の事は覚えていると良いのですが。
火災で焼損、安堵町の中家住宅。代々守り継いできた文化財を修復したい
https://youtu.be/6BQAiFWWF5
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名前:東博君
:2025/02/08 (土) 21:33 No.6323

資料的なものが続きます。
中家の歴史が書かれた案内板です。
ここには書かれていませんが足立姓と中姓の間に窪田と名乗っていた時代もあります。
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名前:東博君
:2025/02/08 (土) 21:34 No.6324

同じく配置図
指定敷地面積11429.1平米とあります。
旧石田家は含まない重文指定されている面積と思いますので、外濠の内側はもっと広い面積になります。
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名前:東博君
:2025/02/08 (土) 21:36 No.6325

自分は用事や作業的な事があってお邪魔する事ばかりで、細かい所まで見る余裕はありませんでした。
お城ファンの方達が詳しいみたいですね。
火元になった旧石田家の茅葺の門を内側から撮った写真もあります。
この横で枯草を燃やしたら、火事になって下さいと言ってるようなものです。
<上窪田環濠集落(中家)> 現存の”中世館城”の姿が見られる環濠集落
https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12822936631.html
最初に燃えた旧石田家の門は、多聞城の城門を移築したものという伝承がありますが、ブログには『鑑定をするとどうも「多聞城」の「城門」ではなかったようです』と書かれています。
現在の安堵町長は、以前は奈良市観光経済部の部長をされていました。
その時に調査した事があります。
調査した文化財課の担当者に聞くと、多聞城とは違うのではないかと仰っていました。
しかし格式のある建物なので、保存する必要はあるのではないかとも仰っていました。
画像はブログにもある千田嘉博先生の「歴史を読み解く城歩き」の取材で訪れた時にお書きになったものと思います。
座敷に飾られていましたが、水を被ってドロドロになってしまいました。
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名前:東博君
:2025/02/08 (土) 21:37 No.6326

中家では近くの小さな神社も管理なさっています。
神社と言っても祠みたいな感じですが、それでも個人で管理となると大変そうです。
画像は神社にある案内板です。
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名前:東博君
:2025/02/09 (日) 22:02 No.6329

主屋の図面です。
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名前:東博君
:2025/02/09 (日) 22:04 No.6330

主屋の平面図です。
風呂場とありますが、一般的なお風呂ではなくて蒸し風呂です。
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名前:東博君
:2025/02/09 (日) 22:05 No.6331

竈仲間が、『月刊大和路ならら』という地元紙に記事を書いた事があります。
2022年5月号 第一回 日本最大級の竈 重要文化財 中家住宅(安堵町)
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名前:東博君
:2025/02/09 (日) 22:05 No.6332

上の記事の昭和29年の『暮らしの手帳』の写真です。
今と比べると奥の窓は数も面積も大きいです。
解体修理した時、耐力壁にして耐震性を上げたからです。
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名前:東博君
:2025/02/09 (日) 22:06 No.6333

6月号 第二回 姉妹のように仲睦まじい竈 重要文化財 片岡家住宅(宇陀市)
中家のお姉さんが嫁がれています。
同時に中家のご主人のご実家でもあります。
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名前:東博君
:2025/02/09 (日) 22:07 No.6334

7月号 第三回 夫婦のように寄り添う竈 重要文化財 片岡家住宅(宇陀市)
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名前:東博君
:2025/02/09 (日) 22:12 No.6335

重要文化財 片岡家住宅
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名前:削除
:削除 No.6336
- 火葬塚
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 00:02 No.6337

クラウドファンディングのページに火災後の写真が多く載せられています。
少し解説したいと思います。
火災で焼損、安堵町の中家住宅。代々守り継いできた文化財を修復したい
(READYFOR)
https://readyfor.jp/projects/nakakejuutaku
ページ上の方の焼けた室内の写真は、東側の廊下から土間の方を見たものです。
手前の部屋が平面図の座敷で、一番被害が大きかったように見えます。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 07:13 No.6340

動画の下の2枚組の写真の1枚目。
主屋に古い写真のアルバムがありました。
これらの写真はネガは無いとお聞きしていたので気になっていましたが、放水により大量の泥水を被り酷い状態になりました。
お預かりしてアルバムから剥がして洗浄や乾燥を行いましたが、多くの写真には多かれ少なかれダメージがあり残念です。
重文指定書の写真の下の表門の写真の左上が白くなっています。
画像はアルバムから剥がす前と洗浄乾燥後に600dpiでスキャンしたものです。
長時間濡れていて脆くなっていたのか表面が剥がれてしまったのも少なくありません。
写真は全てスキャンして、データとともにお返ししています。
二枚組二枚目は新座敷にあったものだと思いますので無事だったみたいです。
重文指定書の原本は焼損しています。
文化庁から再発行して頂けるみたいですが原本が焼けたのは残念です。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 07:14 No.6341

3枚下の2枚組の1枚目は、
これも座敷の写真で、丸テーブルの上に日本最古の梅干しが置いていました。
壺ごと割れて放水の水も被り大きな損傷を受けています。
現在は県の橿原考古学研究所で冷凍保存されています。
2枚目の写真は、座敷から上を見上げたものと思います。
天井や屋根の構造物が梅干しを圧し潰したような感じですね。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 07:15 No.6342

梅干しのアップ
中家住宅で一番凄いと思ったのは、この梅干しです。
金銭的価値のあるものや宗教的なものは、残るべくして残ったと言えます。
甲冑や刀剣に全く興味の無い人でも金銭的価値がある事は知っているので、捨てるような事はありません。
でも梅干しは。。。
約450年ものあいだ代々受け継がれてきた事は奇跡と言えると思います。
無残な姿になったのは、本当に残念でなりません。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 07:16 No.6343

その下の4枚組の1枚目、運び出したものの乾燥や整理をしています。
火災と言っても水害に見舞われたような感じです。
中央は水を吸って開かなくなったタンスと格闘している私、左は応援のメッセージにある山崎さん、右に座ってるのは同じく川口さん。
物凄くパワフルで仕事も早い方達です。
2枚目は主屋のものを運び出してる様子です。
私は出遅れて手伝ってはいません。
川口さんや川口さん率いる紙芝居の「ねこじゃらし 」の方々が総出で行ったらしいです。
私が出遅れたのは、遠慮してしまったからです。
非常時は遠慮しちゃダメで、一番大変な作業をしなかった事は悔やまれる事です。
3枚目は県の文化財保存事務所の方々が応急処置をされているものです。
普段は他の国宝などの修理をされている方達で、非常時ですので急遽来られたみたいです。
4枚目は焼けた部材、切断して外に運び出しました。
これは主に工務店の方たちがなさりました。
焼けた木は最初はチェーンソーで切ろうとしたのですが、炭が刃に詰まり全く切れません。
丸ノコとノコギリで切っていました。
この頃になると水を吸った畳の腐敗も進み酷い臭いでした。
夏の一番暑い時期でもあって本当に過酷な作業です。
水を吸った畳も、知識としてはあっても、こんなに重いとは思わなかったです。
文化財保存事務所や工務店の方達も、かなり大変そうでした。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 07:24 No.6344

更にページの下に空からの写真があります。
左下に新しい屋根の小さな小屋があります。
放水銃などに使うポンプがある建物です。
駆動用のディーゼルエンジンのシリンダーヘッドにメーカーのロゴが入っていましたがドイツ製のエンジンみたいですね。
地下には60トンの消火用水のタンクがあり内濠内で唯一の鉄筋コンクリートの建物でもあります。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 07:25 No.6345

切手の写真と竈の写真が続きます。
竈の写真は数年前と思うけど何時のだろう、銅の羽釜がピカピカです。
今は汚れて水を被って緑青も吹いてたので、うちで綺麗にする予定です。
その下の写真は在りし日の座敷で梅干しが鎮座しています。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 07:26 No.6346

そのまた下の竈の写真は、2024年5月31日に行われた安堵小学校のタケノコ堀の様子です。
そんなに前じゃないのに懐かしい。。。
安堵小学校では、毎年竹藪でタケノコ堀を行っています。
今後の展望のところにある3枚組の写真、1枚目はこれも安堵小学校のタケノコ堀の様子です。
2枚目は先にも書いた「ねこじゃらし 」の皆さんの紙芝居会の様子です。
3枚目は、東大阪市の樟蔭高校の学習行事の様子で、ここ何年か行っていました。
写真の時は都合が悪く当日は行ってないのですが、うちから銅羽釜を3つ持って行って用意しました。
銅羽釜が4つ竈に並んでる姿は、個人的には凄く貴重です。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 07:27 No.6347

その下の最後の写真は紙芝居会の時の表門ですね。
初めて川口さん率いる『ねこじゃらし』さんの紙芝居を見たのは、安堵町の観光施設のオープンのイベントでした。
地元の趣味のサークルだろうと思ってたら、とんでもなくレベルが高すぎで驚きました。
中家の梅干しにまつわる実話を元にした話でした。
その時、川口さんが『中家は安堵町の宝』とお話しされてたのが強く印象に残っています。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 21:57 No.6348

最初に焼けた茅葺屋根の旧石田家の門です。
多聞山城の城門を移築したとの伝承もあります。
でも奈良市文化財課が調査した事があるのですが、どうやら違うのではないかという感じでした。
この門の奥で敷地内で発生した枯草を燃やしていて、この茅葺屋根に燃え移って、それから中家の主屋に飛び火したようです。
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名前:東博君
:2025/02/12 (水) 21:58 No.6349

右にブルーシートで覆われた屋根が中家住宅の主屋で、位置関係はお判り頂けると思います。
ニュースの映像を見ると、中家の方に向かって風が吹いています。
風に乗って火の粉が飛んで行ったんでしょうね。
枯草を燃やす程度の火なら飛ばなかったと思いますが、屋根が焼けるような大きな火なら大きな火の粉も飛んだ事でしょう。
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名前:削除
:削除 No.6350
- 火葬塚
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名前:東博君
:2025/02/21 (金) 00:19 No.6353

映画やテレビでも何度も出ています。
近年では映画「鬼平犯科帳 血闘」で、竹藪や濠で撮影されたみたいです。
メイキング映像に少し映っていて、持仏堂に行く途中の八朔の木でわかりました。
(17分2秒からです)
https://youtu.be/i5iCEpcOPi8?feature=shared&t=1022
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名前:東博君
:2025/02/21 (金) 00:20 No.6354

こちらは、かなり昔の東芝炊飯器のCMです。
子供の頃に見て、なぜだか判らないけどハッキリ覚えています。
CMで使われたのは左から二番目の竹輪に載った羽釜のある口です。
映像だと大きさが分からないと思いますが、口径48センチの巨大な釜です。
CM撮影時の写真が残っていますので、修復が完了して見学に行かれた時は見せて頂けると思います。
(18分22秒からと、21分35秒からの二つです)
https://youtu.be/FJ7UOy6mq_8?feature=shared&t=1100
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名前:東博君
:2025/03/15 (土) 18:59 No.6357

出火元の隣地について
画像は中家住宅の前から見た隣地です。
元々は中家と同じ一族で池田家でした。
池田さんは現在は他所の地にお住まいで、先代が亡くなってからは誰も住む人が居なくて長く荒れ放題の土地でした。
それを数年前に売りに出して、現在の所有者が購入しました。
土地は市街化調整区域で、濠に囲まれた土地でアクセスが著しく悪いです。
売れないだろうと思ってたら売れてしまいました。
中家で購入しても良かったのではないかと思ったりもしました。
しかし現在の中家は、重要文化財の建造物が9棟、竹藪や濠なども重要文化財に指定されていますので、重要文化財に見合った維持管理をしなければいけません。
維持には手間もお金もかかります、
維持管理には補助はありませんので全額所有者の負担です。
これを個人で維持するのは大変な事で、更に広大な荒れ地まで管理責任を負って維持するとなると無理があります。
結果的に非常に残念な事になりましたが、もし中家で購入していたら、今は何とかなっても次の世代に負担になりますし更に先の世代になると、中家住宅自体が維持出来なくなる可能性もあります。
隣地は大きな負の遺産でしかありませんので、これが原因で中家自体が持たなくなるのは致命的です。
そう考えると、修理で済む損害の方がマシだと言えます。
中家の歴史では多くの苦難や決断があって今に至ります。
大昔からして、筒井家一族の武士の身分を捨てて農民になったのは大きな決断です。
その決断が今に続く原点になったようにも見えます。
隣地を買わなかった決断が、長期的な視点で見ると良かったという結果になるような予感がします。
今回の修理では、耐震や防火、その他も現在の技術や基準で行われる事と思います。
これも長期的に見ると良い事です。
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名前:東博君
:2025/03/15 (土) 19:04 No.6358

火災原因を改めて
上記のように荒れ放題の土地で木や竹も多く茂っていました。
それを現在の所有者がコツコツ整備している状況です。
(現在は、近くの古民家も買い増してパワーアップしてお住まいです)
Googleマップに所有者が中の様子の写真を投稿していましたので、それを見ると竹や枯れ木などの廃棄物も大量に発生していた事がわかります。
が、、、書類送検の後に全て消えてます。。。。
報道では『たき火』との表現もあるけど、廃棄物の焼却の方が正確ですので以降は『野焼き』と表現します。
画像は野焼きの火が最初に燃え移った隣地にあった門で、現在は完全に焼失しています。。
(Googleマップにある写真を拝借しました)
屋根の萱が著しく傷んで、屋根の位置も低い事がわかります。
この状態だと、野焼きの火が容易に燃え移る事は想像出来ますね。
この建物の火災の火の粉が中家の屋根を燃やしました。
火災だと火の粉が100m以上飛んで延焼する事もあります。
野焼き程度の大きさの火なら、中家まで火の粉が飛ばなかったかも知れません。
しかし建物火災の火の粉だと飛んでしまう可能性は高くなります。