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静岡市清水区跡地・廃施設

[1] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 17:50 No.6153
6153.jpg (1360KB)

(当初「焼津市・志太広域/静岡市清水」のスレッドに掲載しておりましたものが消失したということで、再投稿いたします)
2017(平成29)年9月に現在の清水斎場が完成する前は、その近隣の谷間にあり、それは1928(昭和3)年に清水市火葬場として開設されてから90年近く稼働していました。
また、1954(昭和29)年に飯田村が、さらに1961(昭和36)年に興津町・庵原村ほかが編入されましたが、これらの町・村営火葬場は合併後も当面は使用されていました。
興津の火葬場は現在の清水区興津井上町の、東海道新幹線由比トンネル西口付近の画像の場所にありました。 現在も石像があります。


[2] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 17:51 No.6154
6154.jpg (1542KB)

その石像です。

[3] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 17:51 No.6155
6155.jpg (1324KB)

石像裏面にはこのようになっていて、「昭和丁酉」を求めると、1957(昭和32)年ですので、火葬場が現役当時からあると考えられます。

[4] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 17:54 No.6156
6156.jpg (3125KB)

庵原の火葬場は複数記録がありますが、新東名・中部横断道新清水JCT近隣の、「運が良ければ雲海の上からの富士山が見られる」ことで知られる集落には、なんと廃施設が残っています。 画像の墓地の隣接地です。 なお、画像の右下の屋根と煙突が見えるものは、おそらく炭焼き小屋でしょう、火葬場ではありません。
(2023年再訪時)


[5] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 17:57 No.6157
6157.jpg (4976KB)

ここからは、2020年と2023年とで、植物が猛烈に繁茂したことで見え方に大差がついていることも踏まえます。
2020:墓地の入口の1つから別の方向を見ると、このような口の開いた、そして草に覆われた建物があります。当初訪問の段階では、まだこれが何かは断定できていませんでした。


[6] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 18:00 No.6158
6158.jpg (4112KB)

2023:再訪すると、もう進入路は草だらけ、その多くが栴檀草(泥棒草)そして種もたわわで、通行は困難でした。

[7] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 18:05 No.6159
6159.jpg (2594KB)

2020:「開いた口」の中は、このとおり紛れもなく火葬場でした。ただ、煙突の所在が確認できませんでした。

[8] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 18:07 No.6160
6160.jpg (5444KB)

2020:墓地側から建物を見ると、瓦屋根のかなりの部分も草で覆われています。

[9] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 18:08 No.6161
6161.jpg (5457KB)

2023:さらにさらに覆われました。

[10] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 18:14 No.6162
6162.jpg (3460KB)

2023:側壁が見える場所はごく限られ、やっとこの程度の見え方です。

[11] 名前:元練馬区民 :2023/12/24 (日) 18:15 No.6163
飯田の火葬場は、現在の東名清水IC上りランプ北側にありました。 1969(昭和44)年にはその跡地にごみ焼却場が建設され、現在は焼却場は廃止、ごみ受付センターとなりました。
(画像はありません)



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