[124:12] 鳥取中部ふるさと斎場
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名前:東博君★
:2013/04/15 (月) 23:34 No.3843
鳥取中部ふるさと斎場に行かれた方がいらっしゃいましたら、こちらのスレッドをご利用下さい。
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名前:東博君★
:2013/04/15 (月) 23:37 No.3845
旧斎場の化粧扉には鍵がありました。 昔は鍵を喪主に預けていた所も多く、火葬炉の鍵と言うと凄く重いようなイメージがありました。 が、、よく見ると自宅の鍵と同じでMIWAの刻印がありました。
また別途レポートします。
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名前:東博君★
:2013/04/16 (火) 17:57 No.3846
新斎場をもう1枚。 告別室には椅子が並べられ装具類も充実していました。
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名前:東博君★
:2013/04/16 (火) 17:59 No.3847
こちらは旧斎場の告別室。 この告別室は撮影段階ではもう使われる事はありませんので、装具類は片付けられていて普段より殺風景になっているのかも知れません。 新斎場の告別室は、この告別室のスタイルを踏襲したもののようですね。
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名前:東博君★
:2013/04/28 (日) 01:03 No.3857
レポート作るのに時間がかかりそうなので簡単に。 旧火葬場です。 右側が火葬棟で昔はこの火葬棟だけだったらしいです。 後に左側の建物が増築されました。 増築部分は、告別室、待合室、事務所があります。 霊柩車は増築部分の車寄せに付けられ(自動車が止まってるところ)、告別室に入ります。
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名前:東博君★
:2013/04/28 (日) 01:04 No.3858
火葬棟の裏側です。 先の写真でも少し見えていますが、ぶった切られた煙突がありました。 無煙化と同時に短煙突化したものでしょうけど、ぶった切り煙突はインパクトがありますね。 煙突の両側にも増設された小屋がありました。 ここには2炉1系統で誘引排風機と再燃焼炉があります。 右側の階段のある構造物は霊灰塔です。
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名前:東博君★
:2013/04/28 (日) 01:05 No.3859
炉前ホールです。 炉扉の上にはタイルで描かれた天女の絵がありました。 他の方々の写真で、天女が描かれた炉前が所々あるのは存じていましたが実際に見るのは初めてです。
最初の新火葬場の写真をもう一度ご覧下さい。 車寄せのカーブを描いた屋根は、天女の羽衣をイメージしたものとの事です。
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名前:東博君★
:2013/04/28 (日) 01:06 No.3860
天女の絵の位置がズレてるなと現場で思ったのですが、写真を見返してみると、一番右側の化粧扉周りのタイルが他と少し違う事に気付きました。 確認し忘れたのですが、もしかすると元々は炉は3基で、後で1基増設されたのかも知れません。 3基だったとすると、丁度真ん中に絵があった事になりますね。
旧火葬場に伺ったのは夕刻。 この後、新火葬場にいらっしゃった広域連合の担当者さん方も応援に来られて、引越し作業が行われました。 広域連合直営ですので現場の方も広域連合の職員さんです。 30年近く勤められてたベテランの方ですが4月で退職なさるそうです。 長い間お疲れ様でした。
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名前:東博君★
:2013/04/28 (日) 01:08 No.3861
こちらは新火葬場の炉前ホールです。 炉は4基に予備スペースが1ヶ所で、2室に区切られています。 2室に区切るなら告別室は無しでも良いのではないかとも思ったのですが、旧火葬場の会葬者が席に座ったお別れのスタイルを踏襲するとすると、告別室があった方が良いですね。 実際にそういう考えで告別室を設けたのかどうかは判りません。 天女の羽衣もですが、古い火葬場を見ると、引き継がれているものもあるのだなと思いました。
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名前:東博君★
:2013/04/28 (日) 01:09 No.3862
適度な高さの天井と外光が入る落ち着いた空間です。 個人的には、やたら天井が高く黒く冷たい材質の空間よりは好きです。
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名前:東博君★
:2013/04/28 (日) 01:11 No.3863
こちらは待合のエリア。 待合ホールの横には小さな食堂がありました。 メニューはカレーやラーメンのような簡単なものですが、かなりお手ごろな値段で提供されています。 年間火葬数は1200件余り。 この規模で食事が出来る火葬場は珍しいのではないかと思います。
この日、倉吉市内で夕食を食べてから津山市に向かいました。 津山に向かう途中の道に新火葬場があり夜に通ると、翌日の供用開始の準備をなさっているのか、まだ明かりが煌々と点いていました。 夜景も撮っておけば良かったと今になって後悔。 それにしても、広域連合の方々にはよくして頂いて、遠路伺った甲斐がありました。
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