掲示板へ戻る /全部 /1- /▼ラスト
聖典谷塚斎場
- [1]
名前:アキ
:2007/11/11 (日) 02:39 No.11

聖典谷塚斎場の火葬棟の裏側の画像です。
火葬炉は9炉あり手前から特別室、特別ヒン館、特別室の順で並び部屋を区切って最上等が6炉あります。
葬儀式場は大小合わせて8つあります。
撮影したのが夕方だったので式場は遺族や弔問などで人がいたので撮影は控えました。
僕の家が谷塚斎場の近くなのでまた報告します。
- [2]
名前:アキ
:2007/11/11 (日) 07:29 No.12
- 谷塚斎場は創立70周年を機に全面改装して現在のようになりました。
僕が初めて谷塚斎場に行ったのは今から13〜14年位前です。
その時の旧火葬棟は正面に5炉、脇に4炉(そのうち2炉は使ってないかも?)あり、正面の真ん中が無上道炉、その両脇が特別最上等2炉、両サイドが最上等2炉でした。
脇に中等炉と上等炉が1炉ずつありました。
後に改装して正面の5炉全部を最上等炉、脇の2炉を特別室にして新火葬棟ができるまでの旧火葬棟をこの形状で稼働してました。
煙突は当初は金網付きの高煙突でしたが途中から上の方を削り継ぎ足して旧火葬棟最後の日まで継ぎ足し煙突でした。
谷塚斎場から20人位見送りましたがその時は全ての火葬炉が稼働してたのでそれなりの需要があると思われますね。
葬儀式場は草加市や東京都でも足立区は人口は多くても郊外なので、周辺に葬儀社などが多くの式場を運営しているので友引などの休みの次の日でなければ谷塚斎場の式場のどこかは取れると思います。
全面改装する時に東京博全の斎場は稼働を止めて建て替えたけど、谷塚斎場は稼働を止めないで建て直したので変な建て方になってますね。
僕の父方の実家は町屋斎場の近くで、友人が代々幡、落合、四ツ木の斎場の近くで火葬場には縁があります。
あと家の墓が八柱霊園で松戸市斎場の近くです。
長くなったので今度は新旧の町屋斎場の思い出を書きますね。
つけ加えますが谷塚斎場の新火葬棟の排気ダクトですが、外から見た感じではたぶん三カ所(?)かな?
最上等炉が二カ所、特別室が一カ所みたいです!?
屋上から最上等炉の一番端の所がよく熱風が上がっていて真ん中と特別室の上からはあまり上がりません。
どういう構造になってるかは不明です。
- [3]
名前:アキ
:2008/01/22 (火) 10:19 No.212

画像は夕方に隣の公園から撮った谷塚斎場の火葬棟です。
- [4]
名前:アキ
:2008/06/18 (水) 23:24 No.756

式場棟の東館の裏側で東京側から見た画像です。
- [5]
名前:アキ
:2008/06/18 (水) 23:26 No.757

火葬棟の正面です。
火葬炉は以前レポした通り9炉です。 化粧扉は外側に開くタイプです。
柩の最大寸法は長さ220p、高さ65p、幅75p(ご利用ガイドより)
旧火葬棟のあった場所は蓮池になっており四季色々の花などが植えていて旧火葬棟から旅立って逝った人達を偲べます。
- [6]
名前:東博君★
:2008/06/18 (水) 23:28 No.758
- アキさん投稿分は、携帯電話からの投稿が不可能なため、メールで送付頂いたものを私が代理で投稿しています。
- [7]
名前:アキ
:2008/07/30 (水) 07:02 No.989

今日、谷塚斎場火葬棟の裏を通ったら火葬棟上部の搬入口(?)が開いてました。回りに人もいたので撮影はこの一枚だけです。中はどーなってるのか気になります。
- [8]
名前:アキ
:2008/07/30 (水) 07:03 No.990

通常は二枚目のように閉まったままになってます。
式場棟の西館も改修工事をしていたし堀ノ内みたいに冬場を外して工事をするんでしょうね。
- [9]
名前:東博君★
:2008/07/30 (水) 07:08 No.991

他スレにあった旧火葬棟の画像を、
こちらに移動しました。
1900x1425 502KB
- [10]
名前:東博君★
:2008/07/30 (水) 07:09 No.992

(旧)谷塚火葬棟
1900x1267 482KB
- [11]
名前:アキ
:2009/01/07 (水) 22:13 No.1461

画像はパンフレットにあった旧谷塚斎場の火葬棟です。
正面の蓮池と火葬棟の間に着棺し、見づらいですが右の火葬棟にシャッターが降りてますがここに収骨室がありました。
谷塚斎場パンフレットより引用
(東博君代理投稿)
- [12]
名前:東博君★
:2012/10/09 (火) 00:20 No.3705

(一時投稿)
話題の観光スポットになっている東京駅に行ってきました。
巨大な建物で、全体を写すには難易度のの高い建物。
- [13]
名前:東博君★
:2012/10/09 (火) 00:21 No.3706

(一時投稿)
ちょっと珍しい光景。
上写真、お召し列車から下りられた天皇皇后両陛下が、貴賓玄関から出発なさるとこです。
小さな青白い光が沢山写っていますが、写メやデジカメで沢山の人達が写真を撮ってる明かりです。
下写真、その暫く前の貴賓玄関前です。
駅員さん達が、赤絨毯の上を念入りに清掃をしています。
絨毯の上には靴を脱いで上がっていました。
貴賓玄関の奥には立派な鹿のレリーフが。
前置きが長くなりましたが、ここからが本題。
読売の記事に駅舎の基礎に使っていた松の杭の写真が載っていました。
谷塚斎場の旧火葬棟は、戦前に建てられた鉄筋コンクリートの建物です。
ここも同様に松の杭を使っていました。
昔は広く使われていた上に水気の多い土では特に長持ちがするようですね。
建築自体の知識は無いので、話を伺った当時は、物資不足や予算の関係で松の杭を使ったのかな程度の認識でした。
いつも知識がなく見る程度のものなのですが、しっかりした知識があった上で見て話を伺っていればと、今更ながら後悔です。
名門バーも復活、東京駅赤レンガ駅舎を旅する
http://www.yomiuri.co.jp/otona/pleasure/ginza/20121005-OYT8T00713.htm
- [14]
名前:東博君★
:2012/10/23 (火) 01:57 No.3715

(一時投稿)
もう一点だけ東京駅。
ドームの天井は復元され注目されているのですが、個人的には床の模様にハッとしました。
たぶん、この床の模様は復元前の天井を模していますよね。
終戦直後の非常に困難な時期に復旧させ、戦後も長く親しまれたドームの天井を床の模様として後世に残そうとしたのではないでしょうか。
岡谷市の湖風苑は、旧施設の建材を新火葬場に利用していました。
谷塚斎場は先の投稿にもあるようにパンフレット等に古い施設の姿を留めています。
公営火葬場の管理担当者は事務職ですので、担当者は数年程度で移動されます。
一方、谷塚斎場のような民間の場合は、管理職もずっと同職を勤め上げてる方が多いです。
管理職については、公営よりも民間の方が、火葬場に対する思い入れや見識が高い方が多いのではないかと思います。
勿論公営の管理職も優秀な方も少なくないですが、経験年数という点では短くなるので、これは致し方ない事です。
谷塚の旧火葬棟は、管理職の方に案内して頂いて拝見しました。
下品な言い方をすれば、ドヤ顔で、旧火葬棟が自慢である事がヒシヒシと伝わり、とても大切にしてきたんだなという事がよくわかりました。
火葬場というのは、それぞれのカラーがあるように感じます。
サービスの平準化という事で、新しい火葬場ではカラーが薄れているかも知れません。
湖風苑のようにハード面で古いものを後に伝える場合もあるし、他の方法もあるでしょう。
最近は古い施設の建て替えが進んでいます。
東京駅の床模様を見て、その火葬場の持ってるカラーの伝え方という点が気になりました。
管理職の思い入れの度合いによって、伝え方も違ってくるのかなとも思いました。
しかしまあ、何を見ても火葬場に関連付ける思考になってますね・・・(苦笑)