677939
火葬場関連サイト専用掲示板
- 新規スレッド作成 -
お名前
E-Mail
タイトル  
コメント
URL
添付File
パスワード (記事削除時などに使用。英数字で8文字以内)
文字色
・火葬場関連サイト専用です。
・火葬場関係サイト使用以外の投稿は削除させて頂きます。
・その他、管理者の判断で予告なく削除する場合があります。
・倫理上及び著作権上の問題のあるファイルのアップは禁止します。
・「煙の行方」以外の火葬場関連サイトで使用する際は、なるべくサイト名を明記して下さい。
・投稿サイズ制限等は時々変えています。[使い方]をご覧下さい。
・URLは変更する場合があります。
・画像と文の著作権は、各投稿者様にあります。
・画像や文の二次使用は、著作権者の許諾がない限り禁止です。
・掲示板容量の関係上、バックアップ目的でデータの移動をする場合があります。
・使用サイト表記のない投稿だけ、「煙の行方別館」にデータ移動する可能性があります。
・データの移動を望まれない方は、(一時投稿)・(データ移動禁止)など、一言明記して下さい。

 設置・管理者 東博君
 連絡先はトップページに記しています


- 新着スレッド -
66: 岡山市東山斎場の現況 (4)  67: 尾道市御調斎場 (4)  68: 削除 (4)  69: 焼津市・志太広域/静岡市清水 (99)  70: 安浦町営火葬場 (8)  71: 深谷市火葬場 深丘園 (45)  72: 長崎・佐賀の火葬場を幾つか (14)  73: 名古屋市第二斎場建設中 (25)  74: 冬の青森ツアー (16)  75: 岡山県北の火葬場現況を少し (13)  76: 徳島県美馬西部共立火葬場 (26)  77: 香川県高松市K川河川敷の廃三昧 (3)  78: 広島県福山市山野斎場 (8)  79: ○神戸市立有馬斎場 (2)  80: ○入間東部広域斎場内覧会 (7)  81: ○柴田斎苑 (1)  82: ○川崎町斎苑 (1)  83: ○七ヶ宿斎苑 (1)  84: ○白石斎苑 (1)  85: ○亘理葬斎場 (2) 

[全件表示]

[66:4] 岡山市東山斎場の現況
[1] 名前:こいがくぼ :2018/04/22 (日) 14:37 No.5084
5084.jpg (31KB)

岡山市東山斎場は現在改築工事を行い、火葬炉が20炉から14基になります。

墓地の高台から撮影した状況です。


[2] 名前:こいがくぼ :2018/04/22 (日) 14:39 No.5085
5085.jpg (34KB)

工事の看板です。

グーグルマップでも出てきますが、炉メーカーは富士建設工業で、現斎場と同じです。



[3] 名前:こいがくぼ :2018/04/22 (日) 14:43 No.5086
5086.jpg (31KB)

新旧の建物が見える位置からですが、性能の悪い携帯のカメラでこれが精一杯です。

以前に待合室があった場所が転用される形になり、道路の方に火葬炉が設けられます。
現在の建物は改築前の前橋市斎場のような作りで、火葬炉は10炉づつ並べられています。

建物は昭和44年にできたため50年近くになり、以前は煙突があったものの屋上に独特の形をした煙突が並んでいます。


[4] 名前:こいがくぼ :2018/04/22 (日) 14:46 No.5087
5087.jpg (26KB)

この火葬棟以外は壊され、狭い場所に残っています。

観音開き式ではなくエレベーター式ですが、前室はなくこのサイトにあった前橋市のような感じですよね。

この場所で改築されたため14基になりますが、岡山空港の近くに12基で北部斎場が建設されることが決まっています。



▲トップ /全部読む
処理 記事No パスワード

お名前
E-Mail  
コメント
URL
添付File
パスワード (記事削除時などに使用。英数字で8文字以内)
文字色

[全件表示]

[67:4] 尾道市御調斎場
[1] 名前:こいがくぼ :2018/04/22 (日) 14:24 No.5080
5080.jpg (30KB)

尾道市御調にある斎場です。

1983年に作られ、火葬炉は2炉で手動式の古い台車があります。
クロスロードみつぎから歩いて近いですが、かなり急な坂道を上がった場所にあります。


[2] 名前:こいがくぼ :2018/04/22 (日) 14:28 No.5081
5081.jpg (30KB)

福山市中央斎場

1983年10月に建設され、火葬炉は12炉で富士建設工業製です。前室はありません。

意外と新しいようで前室がない斎場も意外と多いですよね。


[3] 名前:こいがくぼ :2018/04/22 (日) 14:33 No.5082
5082.jpg (33KB)

呉市豊火葬場

意外と新しいようで平成2年に建設されています。
建物内は式場のような大ホールがあり、高くなった部分に火葬炉が2基、その上に待合室という凝った作りをしています。

意外と大長港から近いです。


[4] 名前:こいがくぼ :2018/04/22 (日) 14:35 No.5083
5083.jpg (34KB)

呉市極楽苑

バスの車窓からですが、後付されている部分が気になりますよね。



▲トップ /全部読む
処理 記事No パスワード

お名前
E-Mail  
コメント
URL
添付File
パスワード (記事削除時などに使用。英数字で8文字以内)
文字色

[全件表示]

[68:4] 削除
[1] 名前:削除 :削除 No.5073
火葬塚

[2] 名前:東博君◆TKTgvMKYyU :2018/03/31 (土) 01:21 No.5074
これは恥ずかしすぎる。
と思ったら、実施設計は伊東豊雄建築設計事務所なんですね。


[3] 名前:若潮 :2018/04/03 (火) 16:20 No.5075
5075.jpg (276KB)

見学会、平日だというのに凄い人でした。
如何に市民の関心が高いか分かりました。

詳細は「佐久平斎場見学会」スレ[1]のリンクからお願いします。


[4] 名前:削除 :削除 No.5077
火葬塚


▲トップ /全部読む
処理 記事No パスワード

お名前
E-Mail  
コメント
URL
添付File
パスワード (記事削除時などに使用。英数字で8文字以内)
文字色

[全件表示]

[69:99] 焼津市・志太広域/静岡市清水
[1] 名前:元練馬区民 :2015/01/01 (木) 22:11 No.4158
4158.jpg (417KB)

[1〜6:志太広域2015年1月]
ご無沙汰しております。
私が静岡県で再び仕事をするようになって早2年。ここへ来て我が火葬場デビューの地・焼津も、また20km余り東の清水も施設更新の工事が始まりました。
まずは過去に私が投稿した、焼津市は志太広域事務組合斎場の現状から掲載していきます。

敷地の入口から
現火葬棟の前側に囲いが設置され、仮設待合室の工事が行われています。囲いの向こう側は過去の投稿に掲載したとおり、右が火葬棟、中が待合棟、左が式場棟です(ただし現在式場は利用できません)。


[90] 名前:元練馬区民 :2018/01/20 (土) 10:58 No.5011
5011.jpg (213KB)

さて、1948(昭和23)年の開設から70年めの新装開場ということに
なりましたが、改めてそれ以前に所在した場所をおさらいします。
焼津市といえば漁港が基幹産業の拠点ですが、現在では主力拠点は
新焼津漁港となりました。旧焼津漁港は上屋も解体され、主として近海漁業の
船着き場として使われることとなりました。その旧焼津漁港の一角に、
知る人ぞ知る海鮮料理の「お食事処・かどや」があり、全国からお客さんが来ます。
ここから100m余り船着き場側に焼津町火葬場がありました。
1922(大正11)年、それまで町内に7箇所あった、ほとんど野焼き場の
形態のものに取って代わるものとなりました。何しろ、当時の焼津町は
焼津駅から1km圏内が大雑把な範囲であり、火葬場の立地に適した場所など

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

[91] 名前:元練馬区民 :2018/01/20 (土) 11:00 No.5012
5012.jpg (245KB)

過去には小川漁港付近も砂浜で、その一角に露天火葬場が存在しました。
そこには2本の松があったということです。しかし、当時の小川村としても、
もっと近代的な火葬場を建設するに至りました。
現在の小川公民館の南方ですが、跡地周辺は区画整理が進み、商業地・住宅地と
なりましたので、「この画像の界隈」という婉曲表現にとどめます。
後に町制を経て、1955(昭和30)年に焼津市と合併するのに合わせて
焼津市火葬場に統合され、小川町火葬場は廃止されました。
なお、小川町や東益津村と同時に焼津市と合併した大富村と和田村にも
それぞれ火葬場があり、やはり合併と同時に廃止されたということですが、
現時点で場所の特定に至っておりません。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

[92] 名前:元練馬区民 :2018/01/20 (土) 11:03 No.5013
5013.jpg (559KB)

また、この施設は1975(昭和50)年に「藤枝市火葬場」を統合すべく
炉の増設ならびに葬祭式場の併設を伴う改築を行い、志太広域事務組合の前身、
志太二市二町環境整備組合に移管されるまで焼津市が設置する「焼津市火葬場」でした
(移管当時の二市二町の区域は現在の焼津・藤枝両市を合わせた区域と同じであり、
二町とは「焼津市と合併前の大井川町」と「藤枝市と合併前の岡部町」です)。
その藤枝市火葬場は現在の文学館・郷土博物館の隣接地に1914(大正3)年の
開設から約60年間にわたりありました。
跡地にはプレハブ小屋が建っていますが、やはり周辺は公園・住宅地となりましたので、
丘の下の跡地と上の文学館が入る程度の画像にとどめます。


[93] 名前:元練馬区民 :2018/01/20 (土) 11:09 No.5014
あまり内容の濃くない説明でお恥ずかしいですが、ここまでご覧くださいましてありがとうございました。
ところで、この新火葬場の供用開始に合わせて、この施設の名称が地味に変更されます。
従来は葬祭式場の部分のことを「斎場会館」と呼んでいたのですが、今後は施設全体の名称が「志太広域事務組合斎場会館」となり、部分名称として「火葬場」「葬祭式場」を用いるということです。私個人的には、全体名称はもっと「愛称」めいたものとすべきと考えます。実際に内覧会当日にいらした斎場建設担当の職員の方にも「焼津・藤枝市民からこの施設に相応しい名称を公募して付けるようにしてください」と要望いたしました。いかに設置者が「志太広域事務組合」とはいえ、一般市民・参列者が正確に認知するところではないため正式名称を言っても通じにくく、第一長すぎます(さらに「会館」が付いて改悪)。旧名称の「焼津市火葬場」といったほうが通じやすく言いやすいくらいですが、ただこれでは藤枝市民からすれば恰も組合員外のようだ、と反発を招くこととなります。また、単に「斎場会館」では、両市外から参列される方にはどこの市町のものか判別できません。要するに、名称決定の基準は「市民・利用者目線に立った、単純明快なものでなければならない」のです。まあ、剥げ剥げだった線路沿いの看板は、この「愛称」が付いたらそれで綺麗に塗り直すのが良いでしょう。


[94] 名前:元練馬区民 :2018/02/03 (土) 23:53 No.5018
5018.jpg (283KB)

[94〜99:志太広域2018年2月]
いよいよ新火葬場供用開始にあたり、進入路が変更されることとなり、
それに対応して、「あの看板」が塗り直されました。
南(浜当目集落)側から


[95] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 00:01 No.5019
5019.jpg (294KB)

北(葭岬(よしばな)踏切)側から
国道150号からは、この方向で来ます。
なお前述のとおり、南側は住宅地のため、なるべくこちら側から
来場するように案内されています。
やはり「こちらからは斎場へは入れません」の立て看板は
ここに移されました。


[96] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 00:04 No.5020
5020.jpg (242KB)

再び暫定の入口から
内覧会当日はダートだった建物周囲ですが、ようやく霊柩車の通る部分が
舗装されました。「稼働に直接利便性をもたらす」部分から優先して
工事を進めなければならない状況から、「その場しのぎ」的な手順に
なるのもやむを得ないといえます。


[97] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 00:07 No.5021
5021.jpg (345KB)

動物火葬入口はまだダートである上、火葬場建物と工事柵の間の狭い通路を
歩いて持ち込む形になります。


[98] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 00:08 No.5022
5022.jpg (181KB)

内覧会当日は進入できなかった、通路突き当たりより

[99] 名前:元練馬区民 :2018/02/04 (日) 21:54 No.5023
5023.jpg (241KB)

ガラス戸の外から見た室内です。
焼香台があります。



▲トップ /全部読む /最新20
処理 記事No パスワード

お名前
E-Mail  
コメント
URL
添付File
パスワード (記事削除時などに使用。英数字で8文字以内)
文字色

[全件表示]

[70:8] 安浦町営火葬場
[1] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:19 No.4905
4905.jpg (1305KB)

リクエストがありましたので安浦町営火葬場を再掲します。
2005年に撮影したものです。


[2] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:20 No.4906
4906.jpg (1204KB)

建物を少しアップにしたもの

[3] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:21 No.4907
4907.jpg (1056KB)

燃料は灯油でした

[4] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:22 No.4908
4908.jpg (1470KB)

裏に霊灰塔がありました


[5] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:22 No.4909
4909.jpg (1388KB)

これは再燃焼炉でしょうか


[6] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:23 No.4910
4910.jpg (1530KB)

煙突直下に排風機が設置されていました

[7] 名前:こむすび :2017/07/31 (月) 23:30 No.4911
4911.jpg (1223KB)

現在,安浦町は呉市に合併され,火葬場も同じ敷地内に呉市東部斎場として改築されました

簡単ではありますが,安浦町営火葬場の画像を再掲させていただきました


[8] 名前:尾道市情報探索人 :2017/08/01 (火) 00:22 No.4912
こむすび殿へ。
安浦町旧火葬場画像の再掲載、誠にありがとうございます。
地元の方から画質の悪いピンぼけ写真を見させて頂いておりましたが、こむすび殿の写真にて、しっかり確認する事が出来ました。
こむすび殿の写真大変参考になりました。
早速の写真掲載、誠に感謝ありがとうございました。
【広島県尾道市情報探索人】



▲トップ /全部読む
処理 記事No パスワード

お名前
E-Mail  
コメント
URL
添付File
パスワード (記事削除時などに使用。英数字で8文字以内)
文字色

[直接移動] [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53]

- Joyful Note -
- Joyful2ch -
Edit:KAZ(060604)