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▼ラスト
島根県の火葬場
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1
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:17
No.5725
山口県の次は,隣の島根県の火葬場を巡ろうと思う。
但し,隠岐へはタイミングが合わず行けていないので,正式には,隠岐地域を除く島根県の火葬場となる。
隠岐に行くには,船の時間や各港から火葬場までの距離を考慮すると,1回の訪問で全て見るのに最低でも3日かかるからである。
西ノ島町斎場,海士町斎場は,ストリートビューでも見られるので,興味ある方はそちらをご覧いただきたい。
隠岐の島町斎場「島後斎場 愁霊苑」はストリートビューがないので空撮か葬儀社サイトを確認していただきたい。
島根県の火葬場を見てみると,市町村合併により複数所有する自治体が多いことと,元も含めると一部事務組合の施設が多いことが特徴である。
島嶼部も含めてコンクリ煙突施設はすでになく,昭和後期から平成中期の建物がほとんどを占める。
古い施設が好みの方もおられるだろうが,新しくても古くても火葬場は火葬場でありその関係性において上下はない。
これまであまり島根県の火葬場が紹介されてこなかったので,この機会に紹介しておきたい。
松江市斎場
昭和63年6月完成,6基の火葬場である。
墓地公園の一番奥まったところにあり,環境は抜群によい。
もともとは違う場所にコンクリート煙突を備えた施設があったが,こちらに移転・新築された。
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23
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:25
No.5747
美郷町・川本町斎場「眺江苑」
旧邑智町・川本町斎場で平成7年5月31日完成,2基の火葬場である。
管理者は美郷町長である。
川本霊苑という施設が昭和54年12月に完成しているが,現施設との関係は不明である。
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24
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:26
No.5748
排気口の形状が,待合の飾りと同系統の装飾がされている。
これも珍しいのではないだろうか。
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25
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:26
No.5749
美郷町大和斎場
旧大和村立大和斎場で昭和49年3月31日完成,1基の火葬場である。
江の川沿いの道から南に曲がり,山と田んぼに挟まれた細い道の突き当りにある。
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26
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:26
No.5750
炉前はこのようになっている。
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27
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:27
No.5751
裏側の様子。
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28
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:27
No.5752
邑南町斎場「やすらぎ苑」
旧羽須美斎場「やすらぎ苑」で平成7年完成,1基の火葬場である。
ここは昔の車のカーナビになく,あちこち探してやっと到着したところである。
火葬場は山深いところにあるものという概念が邪魔をしたようで,実際は広い道沿いにあった。
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29
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:27
No.5753
邑南町斎場「紫光苑」
旧瑞穂斎場「紫光苑」で平成5年10月30日完成,2基の火葬場である。
北広島町(大朝地域)と共同運営していたが,近年,大朝地域から北広島町慈光苑の利用増により令和3年3月31日に共同運営が廃止された。
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30
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:28
No.5754
邑南町斎場「水晶苑」
旧石見斎場「水晶苑」で平成6年完成,1基の火葬場である。
邑南町役場の近くにある。
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31
] 名前:
こむすび
:2022/06/29 (水) 20:28
No.5755
津和野町斎場「しらさぎ会館」
旧津和野町・日原町共同斎場で平成11年4月完成,2基の火葬場である。
昔の例規集には「しらさぎ淨苑」と記載されていたが,いつの間にか名称が変更になったようだ。
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32
] 名前:
こむすび(最終)
:2022/06/29 (水) 20:29
No.5756
吉賀町斎場「清流苑」
旧六日市町斎場で平成12年1月完成,2基の火葬場である。
中国道六日町インターから北に4キロほど行ったところにある。
これで,島根県の本土側の公営火葬場は紹介できたと思う。
冒頭に記載したとおり,火葬場の更新がほぼ終わっていて新しい施設が多い。
島根県は火葬場の改築はしばらくないだろうが,浜田市の火葬場統合計画があるので,今後はこちらの動きにも注意していきたい。
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33
] 名前:
こむすび
:2023/05/20 (土) 17:19
No.5923
島の火葬場~隠岐諸島へ行く~
とある日の昼休み、私は会社の外に出て隠岐汽船に電話をかけていた。
「…ええ、隠岐フリー自動車航送切符を1枚と、七類港9:30発のフェリーくにがで別府港まで。次は別府港17:05発のフェリーしらしまで西郷港まで。帰りは次の日の…」
そう、これまで交通費や休みの関係で躊躇していた隠岐諸島に行くことを決意したのである。
なぜ、無理をしてまで行こうとしたのか。きっかけは西ノ島町の広報誌に掲載された「町長の所信表明と令和5年度の主な施策」だった。
「西ノ島町斎場を新たに整備を行うこととし、本年度は火葬場建設の基本計画策定に着手する」とのことだった。
これは現行の施設を撮影するとともに、他の隠岐諸島も巡って島根県をフルコンプせよという火葬場の神のお告げなのだろう。いや、火葬なので仏のお告げの方がより正しいかもしれない。
また、帰りに島根県立図書館で市町村史を閲覧し、県内の古い火葬場情報も調査できれば1往復分の旅費を圧縮できるメリットもある。
そういうわけで、徹夜で車を走らせ島根県松江市の七類港にやってきたのだった。
この日は低気圧の通過に伴い風が強く雨も降っていた。港での案内だと波が3メートルとのことだがフェリーは予定通り出航するという。
さすが長さ100メートル近い大きな船体だけのことはあり心強い。
一方で、小型軽量の超高速船レインボージェットは午後の隠岐発の便から欠航が決まっている。
かくしてフェリーくにがは定刻9:30に出航した。しかし出航できても波が収まったわけではない。早速、時化の洗礼を受ける。
人は、前後左右の揺れは慣れているものの上下の動きには弱い。上下の動きに斜めの動きが重なり三半規管にダメージを与えてくる。
あちこちで「今日は揺れるね」という声が聞こえてくる。トイレに少し行列ができたもののそれでも島の方は意外と平気そうだ。この大揺れのなか大いびきをかいて眠っている剛の者もいる。
いやな予感がして朝食を抜いたのが功を奏したのだろうか、なんとか2時間半の荒れる航海をアレすることなく耐えきって12:05に西ノ島町別府港へ到着した。
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34
] 名前:
こむすび
:2023/05/20 (土) 17:20
No.5924
西ノ島町斎場は、港から9キロほど離れた山中にあり、徒歩での往復は厳しく、車を使わなければ同じ日の隠岐の島町西郷港行きフェリーに乗ることができない。
休みの日程の都合上、西ノ島で1泊する余裕がないのである。
今回、与えられた西ノ島での滞在時間は5時間であるが、車航送手続きの関係上、30分前までには港で乗船券を引換えなければならないので、実際は4時間半程度である。
始めは車航送料金の高さにより各島でレンタカーも考えたが、手続き及び返却時の給油時間すら惜しく、また、隠岐の島町ではレンタカー各社が利用しづらい時間に入港・出航となるので、今回はやむを得ず自家用車を持ち込むことにした。
レンタル自転車やバイクも晴れていればよいが、このような天気では体や手荷物が濡れてかえって利用しづらいし、何より車中泊ができないというデメリットもある。
そんなわけで車を走らせること15分、西ノ島町斎場前に到着した。
昭和54年の建設とのことである。確かに西ノ島町火葬場設置及び管理条例も昭和54年に施行されている。
建物規模や排気塔の数からして、炉数は1基かと思われる。
建物右横には霊柩車の車庫と思われる建物が付属している。
屋根奥側右上には、銀色の排気塔が1本見えている。
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35
] 名前:
こむすび
:2023/05/20 (土) 17:21
No.5925
反対側に移動して1枚撮影。
細長い建物である。
火葬場ができる前は伝染病等ごく一部の例外を除き土葬であったので、この施設が出来てこの島の葬送は大きく変化したものと思われる。
他の島でも同様に、伝染病で亡くなった方や島外の方が亡くなって御遺体を移動させる必要があるときは、特設の火葬場で火葬したとある。
恐らく、案件の都度、人里離れたところに簡易な火葬炉を設営したのであろうが、今回はそこまで調査できる時間がない。
火葬場の奥はもともと常福寺があった場所で、お寺自体は既に山の下に移転しているが建物は残っている。
グーグルマップでは無表示であるが、地図によっては「モト常福寺」と表示されていることもある。
町のサイトを見ると、火葬場隣接の常福寺の建物を待合として使用できるとの記述があるので、お寺の土地を借地しているのかもしれない。
新たな整備の理由としては、現施設の老朽化に加え、使い勝手があまりよくないということも挙げられている。
火葬場への道が細くてカーブの続くバスも通れない山道であることや、敷地がそんなに広くなかったり、休憩所をお寺から借りていること等もあるのだろう。
上記の書き方だと、新しい火葬場は現地での建て替えではなく移転を前提にしていると思われる。
そうしているうちに風雨がますます厳しさを増してきた。山間部なので、万一土砂崩れがあると島から出られなくなり仕事や家庭等色々と詰む。
まだ撮影をしたかったが、カメラはタオルを被せていても雨がまとわりつき、傘も強風で壊れそうだ。予報では深夜までは風雨が収まらないので傘が壊れるのはまずい。
やむなくこれ以上は無理と判断し撤収することにした。傘もだが、カメラが壊れるとかなり痛いというのもある。あと2か所で仕事をしてもらわなければならない。
帰りがけに名勝の国賀海岸に立ち寄ったが、霞んでいたうえに傘をさしても横殴りの風雨ですぐにびしょぬれとなり、車に舞い戻る羽目となった。
結局、配流になった天皇の行在所跡等数か所を見た以外にはほとんど何もすることができず、17:05分発のフェリーしらしまで隠岐の島町西郷港に向かった。
相変わらず波は高かったが、徹夜運転の疲れが出たのか今回はすぐに寝てしまい起きたら到着直前であった。
時刻は18:30であるものの晴れていれば光量はまだ十分にあり、島後斎場 愁霊苑にも行く予定であったが、この時間でも風雨がきつく厚い雲に覆われかなり暗くなってしまっている。翌朝に晴れることを祈りつつ夜は下見にとどめ、車中泊できる場所を探すことにした。
予算の都合上、ホテルや旅館という高級品に手を出すわけにはいかないのである。もちろん、晩御飯もおにぎり2つと99円のお茶である。
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36
] 名前:
こむすび
:2023/05/20 (土) 17:22
No.5926
結局、海を見下ろす某所で夜を明かしたが、深夜まで風雨がきつく、車が揺れ、飛来物がぶつかり、風の音がうるさいのであまり眠れなかった。
朝になると雨こそ小降りになったものの、相変わらず厚い雲がたれこめている。朝日は期待できそうもない。
これも日ごろの行いの報いか、それなりに真面目に過ごしてきたはずなのにこの世には神も仏もないのか…などと呟きながら島後斎場 愁霊苑に向かう。
ここは、平成14年3月に完成した施設で、かつては島後地区の全町村による島後町村組合の運営であったが、構成町村合併に伴い隠岐の島町営になっている。
隠岐は、明治はじめの廃仏毀釈が激しかった地域で、町誌によると島後の中心部である西郷町でもすべてのお寺が破壊されたとのことだった。
後にお寺は復興し、島後地区では旧西郷町域にお寺が集中していて仏教徒の比率が他の地域と比べて高くなっている。
他の地域は神道が強かったので、土葬の傾向が高かったのであろう。
したがって、仏教では火葬されることが多いため、島後斎場の前身である西郷町斎場が出来た背景となっているのだろう。
なお、順番が前後するが、海士町史近現代編を図書館で読んだところ、「隠岐諸島では昭和60年になっても全て土葬だった」という記述が見られたが、少なくとも西ノ島町斎場は昭和54年には完成していたため、全て土葬というのは筆が滑ったと思われる。
また、某氏に伺ったが、旧布施村(現隠岐の島町)でも明治22年に火葬場が建設されているとのことであった。ただしこちらは建設年代的に近年まで残っていたとは考えにくい。
色々と謎はつきないがこれではいつまでたっても到着できないので、それではこの角を曲がっていこう。
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37
] 名前:
こむすび
:2023/05/20 (土) 17:23
No.5927
曲がってすぐに左へ分岐する道があり、そちらへ行くとJA運営の大きな葬儀式場がある。出棺して火葬場まで車で30秒くらいだろうか。
道なりに進むと程なく島後斎場 愁霊苑前に到着した。
相変わらず雲が厚くて暗い。
向かって右側が火葬棟で、左側が待合棟である。
炉数は3基である。確かに空撮の画像でも排気口が3つ並んで見える。
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38
] 名前:
こむすび
:2023/05/20 (土) 17:23
No.5928
建物裏側は駐車場であるが、建物は植栽や高低差であまり良く見えないようになっている。
ちなみに、この施設の前身である西郷町斎場は、この施設から少し南側に行ったところにあり、現在は主に道路用地として使用されている。
火葬場の跡地は何かを建設しての利用は困難なことが多いが、道路用地であれば有効に活用できると思われる。
それでは朝一8:30発のフェリーしらしまに乗船するため西郷港へ戻ろう。
かくして島後島の滞在時間わずか14時間で海士町菱浦港へ向かったのだった。
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39
] 名前:
こむすび
:2023/05/20 (土) 17:24
No.5929
先日とは異なり、波が穏やかなこともあってか、気分が悪くなることもなく海士町菱浦港に到着した。
天気もいつの間にか快晴となっている。なぜこの天気が昨日に実現できなかったのか。
菱浦港到着時刻は9:40である。出航時刻は15:15なので海士町のある中ノ島滞在時間は5時間半である。
海士町斎場は、菱浦港から約4キロほどなのですぐに到着した。
平成10年の竣工で、25年程度経過しているが見たところ建物の状態も良く綺麗なままである。かなり大切にされているのだろう。
左手が火葬棟で、右手が待合棟である。
火葬炉は1基で、向かって左側の2階から横向きに排気するようになっている。火葬炉基準だと後方だと思われる。
島前地区では、土葬の時代が続いてきたが喪家の負担も大きく、人口減とともに土葬の穴掘り等の人の確保も難しくなってきた。
その状況を変えるべく、共同火葬場の建設について話し合いが持たれたことがあった。
それでも互いに島であることから移動がネックとなり、結局、独自に火葬場を整備することになったのである。
また、海士町にはカズラ島という散骨できる島があり、某民営火葬場の系列会社が島を買取り事業に当たっている。会社名を出すのは控えるので興味ある方はカズラ島で検索していただきたい。
改葬や分骨、散骨をするために海士町斎場の火葬炉左横には遺骨粉砕機が設置してあり、海士町史にもその写真が掲載されている。
多くの市町村史を読んできたが、遺骨粉砕機の画像が掲載されている町史は初めてで、他ではなかなか見られないと思う。
遺骨粉砕機の使用料は1回あたり町民1万円、それ以外3万円である。なお、遺骨粉砕機も上記某民営火葬場から平成18年に寄贈されたものである。
広報誌等で経過を見てみると、海士町でも本土に出る方が増え、そちらにお墓を建立し島から移転させる動きが出てきた。焼骨を粉砕すれば、嵩が減り持ち運びや分骨も容易になる。本土にお墓を移転するとしても、分骨して少しでも地元にお骨を残してもらえたらという願いがあるという。
また、町内で散骨事業をしていることもあり、地元との縁も大切にしたいとの理由もあるそうだ。
企業、自治体、地元がきちんと協力できていないと行えない事業であると感じた。
[
40
] 名前:
こむすび
:2023/05/20 (土) 17:24
No.5930
さて、火葬場の裏側に道があったので上ってみると、ちょうど建物を見下ろすところに出た。
こちらが後ろ側の様子である。こちらから見ると、右手が火葬棟となっている。
右側の三角の建物は霊灰塔であろうか。
[
41
] 名前:
こむすび(最終)
:2023/05/20 (土) 17:25
No.5931
こちらが、排気口である。
建物真横に排気するようになっている。
さて、駆け足であったがこれで火葬場は見終わった。
先日と異なり天気が良いので、色々なところに巡ってから船に乗ることにしよう。
やはり、天気が良いとできることが増えてありがたい。
その後、隠岐神社をはじめとする各地を観光し、菱浦港で寒シマメ(スルメイカ)丼を食べてから本土行のフェリーおきに乗船した。
帰りも特にトラブルなく、無事17:55に七類港へ戻ってくることができたのだった。
翌日は予定通り島根県立図書館で市町村史の火葬場関連事項を調べたが、いくつか欠品や欠巻があり、全ての市町村を網羅できなかったのは残念であった。
それでも新たに分かったことがあったので、何らかの機会があれば披露していきたいと思う。
今回は慌ただしく島を往復し、隠岐の島を満喫というにはほど遠く、島の方や大自然にはなんとなく申し訳ない気持ちが湧いてくる。
次回、新たな西ノ島町斎場が完成して再訪する暁には、余裕のある日程で名所旧跡や大自然等を満喫したいものである。
[
42
] 名前:
まるぐ
:2023/06/20 (火) 23:26
No.5995
>こむすび様
資料と照らし合わせながら数日に分けて読ませていただいておりました。
火葬場の取材だけではない、チケット手配、スケジュール調整の部分まで書いていただけたので
勝手に脳内で苦労するこむすび様の姿を想像し
普段のレポートとは違う旅行記の部分まで楽しませていただきました。
個人的に近年は葬儀の進行の移り変わりにも目が向いてましたので
離島の葬儀~埋葬までの歴史と現状も、こむすび様視点で報告して頂き
心よりお礼申し上げます。
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