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島の火葬場スペシャル〜松山・姫島・天草〜

[1] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:05 No.6455
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島の火葬場〜松山市野忽那諸島-補遺-及び姫島〜


とある日、こむすびはあることに気付いて頭を抱えていた。
島の火葬場の投稿について、本来は某所のあと1回で終了するべきところ、手持ちの画像を確認すると、2箇所、投稿漏れがあったことが判明したのである。

それは、愛媛県松山市沖合の中島にある松山市中島斎場と、大分県国東半島沖合の姫島にある姫島村火葬場である。
松山市の中島には、かつて旧中島町から引き継いだ煙突施設である神浦(こうのうら)火葬場があったものの、老朽化により移転・改築され、中島斎場となっている。改築後に訪問するつもりでそのままになっていたものである。
姫島村火葬場は、10年ほど前に大分県の火葬場訪問をする行きがけに寄って撮影していたものである。
これらの火葬場の存在をうっかり忘れていたのである。
これはリカバリーしなければならない。
というわけで、松山市と姫島村という異なる地域ではあるものの、一気に2本立てで紹介することにした。
なお、松山市中島斎場へ行った際は、以前に取材した際に使用中で遠目にしか撮影できなかった興居島(ごごしま)の泊火葬場にも寄ることができたので合わせて紹介する。


[2] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:05 No.6456
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まずは、松山市の方から紹介していこう。興居島の泊火葬場と中島の松山市中島斎場の2箇所である。

とある休日の午前2時…
「皆さん、おはようございます。起床の時間ですよー。」こむすびの声が家に響く。
松山市は遠く時間がかかることから、仕事帰りに新幹線と特急しおかぜ号を乗り継いで行く心づもりをしていたのだが、家の者から「私たちも松山に行きたい。」という要望が出たため、急遽、車で行くことに変更したのである。
もちろん、松山に行きたいといっても私のように火葬場の撮影という用件であるはずもなく、現地でそれぞれ遊びたいという希望からである。
車だと休憩込みで6時間程度は見ておかなければならず、夜が明けてから出発したのでは朝の船便に間に合わないため、未明の出発としたのである。
日帰りであるが同行者は全員免許を持っているため、100キロメートルを目途に交代しながら運転すれば疲れもそんなに残らないだろうという算段である。
そうして、眠い目をこすりつつ、交代で運転して、予定通り朝の8時過ぎに伊予鉄道松山市駅隣接の立体駐車場に車を駐車することができた。
その後、朝食をとり、帰る際は19時30分に松山市駅前に再集合することにして個別に分かれて行動することになった。
私以外の者は、道後温泉を楽しんだり、特急宇和海に乗って宇和島に行ったりと、様々なことを計画しているようだ。
私は、そのまま松山市駅から高浜行の列車に乗り込んだ。土日でも1時間に3本はあり、長時間待たなくてもよいのはありがたいし、お客さんも多いということで喜ばしいことである。
伊予鉄道といえば、京王電鉄で使用していた車両を譲受して走らせているが、近年、新車を導入しており車両の入換えを進めている。
私がホームに上がった際には、そのピカピカの新車が到着しており、幸先の良いスタートとなった。
電車に乗り込み、おおよそ20分で終点に到着する。意外と早い。


[3] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:06 No.6457
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駅を出て道路を渡れば、興居島や中島方面へ行く船の待合所が建っている。
全員で朝食をとったため、予定していた9時25分発の興居島泊港行きの船には間に合わず、結局10時25分発の船になった。
興居島行きのフェリーについては、船内で運賃の徴収が行われるため、港の待合所窓口ではチケットの販売がない。運賃は300円で、現金で支払うことになる。
興居島にある泊火葬場は以前にも訪問はしていたものの、その時はたまたま使用中で、軽トラックから棺を火葬場内に運び込んでいる時に重なったため、接近は諦めて遠目で撮影したきりである。
あれから16年経過し、現在でも現役なのかは不明であるが、空撮写真を見る限り建物や煙突は維持されているように見えるため、中島斎場に行く前に現状確認をかねて立ち寄ることにしたのである。


[4] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:06 No.6458
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興居島は本土とはかなり近く、フェリーで10分程度である。
ただし、フェリーは、興居島の由良港と泊港へ行く便があるので、火葬場を訪ねる方は、泊港行きに乗船するようにしていただきたい。
誤って由良港に行ってしまうと、3.5キロも余分に歩くことになる。
泊港へ到着したら、南側に向かって歩いていく。
途中、墓地の横を通り過ぎて少し行くと、左手の山に入っていく細い道がある。
そこを曲がって道なりに山を進んでいく。


[5] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:07 No.6459
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途中、興居島の八十八か所巡りの祠を通り過ぎて、港から歩くこと約20分、その突き当りに火葬場がある。
以前に来た際には、建物前に軽トラが駐車していて、棺を建物内に運び込んでいる最中だったので、遠巻きにしか撮影できなかったのである。
現在でも現役なのかは不明であるものの、松山市斎場建て替えに関する資料には名前があり、実際に来てみると建物や煙突は現存していた。
その資料には、民営火葬場と記載してあったが、実際には民間企業というよりは自治会が運営しているのではないだろうか。
16年ぶりの再会を喜ぶところであるが、朝方のため、太陽の位置からして逆光となってしまった。先に中島斎場に行くべきだったか。
今から後悔してもどうしようもないので、木の陰に隠れ、太陽光を避けて無理やり撮影する。
こちらが火葬場正面である。


[6] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:07 No.6460
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右奥に進むと待合スペースがある。

[7] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:07 No.6461
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中を見たところ、しばらく使用していないように感じられた。

[8] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:08 No.6462
6462.jpg (67KB)

こちらが煙突の先端部である。補強はされているものの、島の火葬場では貴重なコンクリート製丸煙突である。
他のアングルからも撮影してみたかったが、敷地が海沿いの崖ギリギリのところにあり、真横や後ろからといったアングルでは撮影できなかった。
そうであれば、近くを通るフェリー上より海側から撮影してみることも考えよう。
調べてみると、後程訪問する中島において帰る際に島内バスを利用して上陸とは別の港へ向かうことで上手く泊火葬場沖を通る船に乗れることが判明したので、行程を変更することとした。
さて、一度、本土に戻ろう。


[9] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:11 No.6463
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泊港に10時35分頃に到着し、12時10分発の船で本土に戻るため、往復3キロの道のりはやや急ぎ気味で歩いた。
そのため、多少の余裕を持って泊港に到着できた。
そうして帰りの船に乗って本土へ戻ってきたが、次の中島大浦港行きの船は55分後の13時15分発である。
その間、食事をしようと思い、高浜駅近くをうろついたものの、コンビニ等がなく、結局、飲料を飲んでお腹を満たすこととした。


[10] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:11 No.6464
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定刻になると、中島大浦港行きのフェリー「ななしま」が接岸した。
多くの船は、途中、睦月(むづき)島と野忽那(のぐつな)島に寄港するが、13時15分発のフェリーは中島へ直行するため、寄港便より25分も早く、40分で大浦港に到着する。


[11] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:11 No.6465
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せっかくなので、今回の船が通過する睦月島と野忽那島にあった火葬場も紹介しておきたい。
こちらは睦月島にあった睦月火葬場である。
港から集落を抜けて山道を進むとその脇にあった。
木造、レンガ煙突という非常に火葬場らしい施設であったが、以前に訪問した際には生憎の天気で、いつか晴れの日に再訪しようと考えていたが叶わなかった。


[12] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:12 No.6466
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次は、野忽那火葬場である。
港から一本道を進んで、つきあたりの砂浜に隣接している墓地内にあった。
建物は非常にこじんまりとしている。


[13] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:12 No.6467
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ここは、建物から長く煙道が伸びていて、裏山の山頂に煙突先端があるという珍しい構造になっている。
遠目から見るとその構造が良く分かる。


[14] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:13 No.6468
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さすがに朝の2時出発で、かつ、興居島で往復3キロを早歩きしたため疲れと眠気が出てしまい、フェリーではずっと寝てしまっていた。
まもなく到着のアナウンスで目覚める。
そうして、13時55分に中島大浦港に到着したのだった。
平成25年に完成した松山市中島斎場へは、ここから約2キロの道のりである。
調べてみると、中島には中島汽船が運営するバス路線があることが分かった。
但し、大浦港から神浦桟橋方面の便はそこそこ設定されているものの、中島斎場のある逆方向へ向かう便は数が少なく、乗ってきたフェリーにも接続していない。そのため、結局、予定通り徒歩で中島斎場に向かうこととした。


[15] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:13 No.6469
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周回道路を曲がってしばらく行くと、中島斎場があった。
門が少し開いているが人の気配はなく、本日の使用はなさそうであった。
火葬炉は2基と聞いているが、建物は広く、大きい。
松山市のサイトを見てみると、中島斎場には100人収容できる式場や、簡易宿泊設備が備えられているとのことである。
中島斎場の完成前後に、旧中島町から松山市へ引き継がれた神浦火葬場、睦月火葬場、野忽那火葬場は廃止されたので、中島以外の島の利用者向けに宿泊施設を備えたのではないかと思う。


[16] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:14 No.6470
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手前側が式場棟で奥側が火葬棟である。

[17] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:14 No.6471
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斎場を1周するように道が通っているため、裏側に回ってみる。
こちらが火葬棟の裏側となる。
近年の建築だけあって、排気口は見えないように配置されている。
火葬棟のドアを見ると、危険物取扱者の掲示が見え、燃料が灯油であることが明記されていた。


[18] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:15 No.6472
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さて、撮影もできたので大浦港に向けて急いで歩き出す。
できれば15時10分くらいまでに戻りたいからである。
なぜかというと、大浦港からの帰りの船便は夕方の17時30分発となっていて、当初の予定どおりであれば港で2時間半程度の待機が生じるはずであった。
そこで、15時20分発の中島汽船バスに乗り、中島の南側にある神浦桟橋バス停まで行き、15時39分神浦港発の三津浜港行きフェリーに乗り継いで、泊火葬場を海上から撮影するとともに、少しでも早く本土に戻ろうと画策したのである。
このフェリーは、大浦港行きとは異なり、興居島のすぐ南側が航路となっているため、泊火葬場を海側から撮影するチャンスがある。
こうしてバスの出発時刻5分前になんとか大浦港までたどり着いた。本当にギリギリである。
ここからこのバスに乗る。終点の神浦桟橋まで運賃は200円である。
途中、神浦火葬場跡地を車窓から見てみると、車が数台駐車しているのが見えた。
どうも畑の駐車場になっているようだ。


[19] 名前:削除 :削除 No.6473
火葬塚

[20] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:17 No.6474
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せっかくなので神浦火葬場も紹介しておきたい。
在りし日の神浦火葬場である。
煙突を備えた施設であり、中島町誌を見ると、建設に当たっては、地元から土地の提供を受けたとある。
手書きの看板も昔の火葬場らしさを演出しているように見える。


[21] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:18 No.6475
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約6キロの道のりであったが、バスに乗って約10分で神浦桟橋に到着した。歩くと1時間半はかかっただろう。
港を見ると、ちょうどフェリー「じんわ」が入港してくるところだった。
中島の西部にある西中港を出て、いくつかの島を巡り、再度、中島東部の神浦を経て本土に向かうフェリーである。
バスが到着して9分後にフェリーが出港するため、慌てて乗船券を買い求める。窓口ではICOCAが使用できるのでスムースに発券できた。
この船は、本土側では駅に近い高浜港には寄らず、三津浜港着となる。
そのため、松山市駅に出るためには600メートル歩いて伊予鉄道の三津駅に行って電車に乗るか、少し高く時間もかかるが松山市駅行きの伊予鉄バスに乗るかの2択となる。さて、どうしようか。
そんなことを考えているうちにフェリーは、寄港地である釣島に接岸した。数人の方が乗船する。
釣島は、1日に上下便が各2便寄港するが、こうして利用者があるところを見ると、離島にとってフェリーが大切な交通機関であることが再認識させられる。
この後、フェリーは興居島の南側を通って三津浜港に向かうルートをとる。ちなみに、大浦港を発着する便は、興居島の北側を通るルートである。


[22] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:18 No.6476
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釣島を出港してしばらくたったころ合いに甲板に出て、泊火葬場のあるあたりにカメラを向ける。
すると、見覚えのある白い高煙突が見えてきた。
ただ、樹木が思ったより茂っていて火葬場がうまく隠されており、建物を南側からはっきりと撮影することはできなかった。


[23] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:18 No.6477
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興居島を通り過ぎてしばらくするとフェリーは三津浜港に入港した。
ここは中島方面への船のほかに、山口県の柳井港へ行くフェリーも発着している。
柳井港行きの時刻を見ると、朝の3時台発といった便もあって、松山市と山口県柳井市との往来が24時間確保されていることが分かった。一部の便は、周防大島にも立ち寄る。
かつては松山観光港から小倉行きのフェリーもあったが、残念ながら令和7年6月末に廃止された。
なお、広島行きの高速船もあり、こちらも松山観光港発着である。
下船後、手洗いのため港のターミナルに入ってふと横を見ると売店が開いていたため、パン、ちくわ、じゃこ天、ヨーグルッペを買い求め、バスが来るまでベンチに腰掛けて食事タイムとした。
結局、各島で売店を見つけることができず昼ご飯を食べることができなかったのである。
その後、松山市駅行きのバスに乗り込む。本日だけで7キロほど歩いていたため、ここからさらに伊予鉄道の三津駅まで歩くのが面倒になったのである。
運賃は710円と、伊予鉄道経由よりは高くつくが、直通で座っていけることは疲れた体には大きな魅力である。
途中、かなり細い道を通り、対向車すれ違い時に運転手さんの華麗なテクニックを堪能しつつ、約40分で松山市駅に到着した。

その後、銀天街商店街を大街道まで歩いて松山三越百貨店に行き、じゃこ天やミカンジュース、お菓子といったお土産を買いこむ。
私も晩御飯は名物の鯛めしを食べたかったが、他のメンバーはちゃっかりと全員昼食で食べていたということでそれは却下され、サービスエリアのどこかで食べることになった。
しかし、この日は休日で車が多く、石鎚山サービスエリアには停められなかったため、結局、香川県の豊浜サービスエリアであごだし風味のラーメンを食べることになり、私だけが松山らしいことをしていないことになった。
これもまた取材優先であるコンプ派の宿命なのであろう。


[24] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:19 No.6478
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さて、松山市編が終了したので、引き続き、2本目となる姫島編をお届けする。

とある暑い夏の夜、こむすびは、今はなき弁天町駅前のプールズにて家族サービスをした後、大阪環状線に乗り一人で新大阪駅へ向かっていた。
大分県佐伯市の廃止されたいくつかの火葬場が解体直前で、無くなる前に訪問することを計画していたのである。
大分県であれば、新幹線で小倉まで行って、日豊線の特急ソニック号に乗り換えるのが通常のルートとなるところ、今回は、国東半島の先端部に位置する姫島にも立ち寄るため、徳山駅で下車し、徳山港からスオーナダ(周防灘)フェリーに乗船して竹田津港に向かうのである。
竹田津港からは約4キロ歩いて伊美港に向かい、始発の姫島行きフェリーに乗船して姫島村火葬場を訪ねた後、伊美港へとんぼ帰りして宇佐駅行きのバスに乗車し、宇佐駅から大分駅まで特急ソニック号で向かう予定である。


[25] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:19 No.6479
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こうして、新大阪駅からのぞみ59号に乗車し、2時間程度で徳山駅に到着した。
思ったより多くの旅客が下車した。
時刻は既に23時を回っており、この博多行きのぞみ号の後は、こだま号の新山口行きがあるのみとなっている。
次のスオーナダフェリーの徳山港出港は午前2時となっており、3時間弱をどこかで過ごさなければならない。
まずは、フェリー乗り場の確認のため、駅の南側にある徳山港に向かう。駅からは300メートルくらいである。
徒歩5分ほどでスオーナダフェリー乗り場に到着したが、まだ出札窓口は閉まっていて乗船券を購入することができない。
オープンまではまだ時間があるようだ。
待合室を見ると、深夜帯のためかがらんとしていて人の気配が全くなく、とりあえずベンチに腰をおろしてみたものの一人だけなので何となく落ち着かない。
ここで3時間弱の時間を過ごすのは余りにも退屈であるため、一度、港を出て、賑やかそうな徳山駅の北側に向かうことにした。


[26] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:20 No.6480
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少し東側に遠回りして、跨線橋を超えて、駅の北側に広がるアーケード街に入る。
日付が変わる直前にも関わらず、居酒屋さんや屋台のラーメン屋さんは人で賑わっている。
結構、若い人も多い。周南市内にはいくつか大学があることも関係しているだろう。
とはいえ、こむすびはお酒を飲まないし、夜食も既に新幹線内で摂っていたため、何らかの店に入って改めて何かを飲んだり食べたりする気分にもならなかった。
駅前のバス停の時刻を見たり、コンビニで週刊誌等を読んでみたりはしたものの、時間の経過が遅いのは変わりがない。
そこで、スマホで何か良い施設がないか調べたところ、駅の北側すぐのところにインターネットカフェがあることが分かったので、そちらに向かうこととした。
インターネットカフェであれば、飲料やトイレ、ネット環境もあるので、今後の予定の確認もやりやすく仮眠もとれる最高の場所である。
こうして1時過ぎまで過ごしてから、改めて徳山港に向かった。※なお、現在、このインターネットカフェは閉業している。
さすがにこの時間になると出札窓口は開いており、トラックや自家用車での乗船と思しき方々が車検証を手に列を作っている。
その列が解消した後、竹田津港までの乗船券を購入する。当時、徒歩の旅客は2,700円であった。現在は、3,650円プラス燃料サーチャージ300円となっている。
肝心の船はまだ到着していない。時刻表を見ると、竹田津港を出港した船が午前1時40分に到着し、それが折り返す便になるようだ。
せっかくなので船の到着を見ようと、午前1時40分前に港でしばらく待っていると、遠くから光が近づいてきて、あっという間に接岸した。
すぐに前方のゲートが開き、車やトラックが出ていく。その後、大分に向かう車両が乗り込んでいく。
私は車ではないので、旅客専用のボーディングブリッジから乗り込む。
周りを見渡すと、この日の徒歩乗船は私のみであった。
船内に入ってみると、既に車やトラックでの利用者が絨毯席で仮眠の準備をしていた。椅子席もあるが、寝るならやはり絨毯席に限るだろう。
私も、誰もいない区画を探して、リュックを枕にして仮眠の準備に取り掛かる。
竹田津港まではちょうど2時間の航海であり、仮眠といっても非常に短時間しかできないものの、全く睡眠をとらないとなると今後に大きく影響するため、無理やり目を閉じて眠りにつく。
夢を見る間もなく案内放送がかかり、ほどなく竹田津港に到着する旨を告げる。定刻通り、朝の4時に接岸した。外を見るとまだ暗い。
車両甲板に向かう人の波を横目に私は一人デッキに向かい、行きと同様、ボーディングブリッジから下船する。
さて、ここから本日の試練を迎える。
スオーナダフェリーが発着する竹田津港から姫島行きの船が発着する伊美港までは約4キロ離れている。
朝の4時なので当然に公共交通機関は動いているはずもなく、徒歩で移動しなければならない。
金に糸目をつけずタクシーを呼ぶという手もあったが、そうすると、逆に伊美港に早く着きすぎて待合室が開いておらず2時間ほど外で待つ可能性もあったため、最終的に移動しながら時間も潰せる徒歩を選んだのである。
伊美港の姫島行き始発は朝の6時20分であることから、4キロを2時間以内に歩くことに関しては体力上の問題はないものの、夜間の国道沿線は真っ暗で、しかも途中にそこそこ長いトンネルまである。おまけにトンネル内には歩道がないのである。
そのような中、無事に伊美港まで歩けるだろうか。


[27] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:20 No.6481
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竹田津の港は照明が点いていて明るいが、そこから一歩出るといきなり暗闇が広がる。
まずは、国東半島を周回する国道213号に向けて歩き出す。
左手は海で、右手には民家がある。時間が時間だけに電気のついているところはまばらである。
10分ほど歩いただろうか、ようやく国道213号に出た。
左手に進む。


[28] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:20 No.6482
6482.jpg (97KB)

歩道はあるものの、雑草が生い茂っていて歩きづらい。スマホの明かりを頼りにひたすら前進する。
しばらく歩くと懸案のトンネルが現れた。


[29] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:21 No.6483
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深夜でも車通りはそこそこあり、トンネル内は歩行スペースと車道が柵で仕切られていないため結構怖い。
そして、トンネルの途中まで来ると…謎の花束が供えられているではないか。
何かあったのだろうか。昼夜問わず火葬場を訪ね歩いていることから、心霊系のことに対して多少の耐性はあるものの、現に、こうして花束が道路に置いてあると気にはなる。
スマホでこの近辺での最近の交通事故を調べてみたところ、当該トンネル内のものは見つけることができなかった。
ここは、何もなかったことにして先を急ごう。
そうして、竹田津港から歩くこと約1時間、夜が明けた頃、無事に伊美港へ到着した。
気になる花束はあったものの、トラブルもなく到着できたことは幸いであった。


[30] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:21 No.6484
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伊美港には空調完備の待合室があり、まずはドリンクで喉を潤す。
そうしているうちに、出札窓口が開いたので、姫島港までの往復乗船券を購入する。当時は片道570円であったが、現在は580円となっている。
おおよそ20分の船旅である。


[31] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:21 No.6485
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通常であれば、船の状況をレポートするところであるが、2時間弱の仮眠プラス1時間の徒歩でかなり疲れていて、乗船して椅子に座ると同時に寝てしまったため、出来なかったのはお許し願いたい。
そうして、20分後、姫島港に到着した。


[32] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:22 No.6486
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港に到着して海沿いを左手に歩き出す。地図によれば、一本道を500メートルほど行ったところに火葬場があるはずだ。
歩き始めたものの、早朝でもあり、人通りは少なかった。


[33] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:22 No.6487
6487.jpg (167KB)

しばらく行くと、右手に墓地が広がり、その手前に姫島村斎場と称する建物があった。
あれ、火葬場はもっと先にあるはずだが…と思って確認すると、こちらは葬儀式場であった。
姫島村役場のサイトを見ると、村民の斎場使用料は無料とのことである。


[34] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:22 No.6488
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更に道を進んでいくと、ようやく火葬場が現れた。
結構新しめの火葬場である。


[35] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:23 No.6489
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建物から突き出ているところに排気塔がある。

[36] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:24 No.6490
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裏側から撮影した。
建物横のステンドグラスが美しい。


[37] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:24 No.6491
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こうして、火葬場の見学も終えたので、姫島港に戻る。
右手には海が広がり、行きかう船や九州本土が見える。
普段は見ることのない光景で、景色を楽しんで歩いているうちに、いつの間にか姫島港に到着していた。
名残惜しいが、復路の乗船券を提示して船に乗り込む。
出港時間になると、フェリーはゆっくりと動き出した。
まだまだ朝ではあるが、これからバスとJRの特急ソニックを乗り継いで大分駅に向かわなければならない。
大分駅には、昼過ぎに到着し、そこからレンタカーを借りて佐伯市方面へ取材の第2部を敢行する予定である。
まだまだ長い旅路に思いを馳せて、船は進んでいった。

続けて、島の火葬場レギュラー版最終回をお届けする。


[38] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:25 No.6492
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島の火葬場〜天草を周回する〜


これまで20年にわたり撮影してきた島の火葬場について、今回のレポートで当初の訪問目標を達成し、目途がつくことになった。
本土と異なる様々な制約のある環境下で、火葬場がどのような進化をし、維持されているのかを確かめる目的もあったが、明確に島独特の雰囲気が感じられたのは姫路市家島諸島くらいで、他は、ほとんど本土の火葬場と変わらないことに気付いた。
それでも、コンプリート派としては、いずれ行かなければならないわけであり、これまでモチベーションを失わずにいられたことは幸いであった。

今回は消去法により、熊本県天草方面に決定している。

天草で火葬場があるのは、上天草市の大矢野島と、天草市の天草下島(苓北町も含む)及び御所浦島、長島町の長島である。基本的には熊本県であるが、長島町だけは鹿児島県となっている。
天草の大きな島については、架橋により本土と道路で結ばれているものの、御所浦島は八代海(別名:不知火海)の中央に浮かぶ離島となっていて船の利用が必須である。
ただ、船便は海上タクシーも含めると天草上島(棚底港他)・下島(本渡港)の各港や水俣港から1日に数便あり、訪問自体は比較的容易である。
訪問ルートは八代海を反時計回りに半周するというシンプルな形だが、御所浦島に立ち寄るとなると時間的な制約がかかってやや複雑な動きになる。
甑島のレポートでも述べたが、もはや残っている島の火葬場については基本的に新しめのところばかりで、数年前に天草市営牛深火葬場が移転改築されたため、公営でコンクリート高煙突の施設は1箇所もない。
船に乗り換えて訪問する必要のある天草市営御所浦火葬場「やすらぎ苑」にしても、平成12年の建設で下手な本土の火葬場より新しいのである。


[39] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:25 No.6493
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そして迎えた出発当日、いつもどおり終業のチャイムと同時に会社を出て、新大阪駅に向かう。
今回は、新大阪駅を19時2分に発車するのぞみ49号に乗車する。途中、博多駅でつばめ号に乗り継いで熊本駅までは約3時間半である。
九州新幹線直通のみずほ号であれば3時間程度で到着するが、今回は特別な事情があったため、わざわざ博多駅で乗り継ぐことにしたのである。
その事情はというと、御覧のとおり、博多駅まではグリーン車を利用することになったためである。
本来、富裕層向けの上級旅客設備であり、こむすびが不用意に足を踏み入れることは許されない車両である。
それなのになぜかというと、以前、甑島へ行った際に川内駅まで山陽・九州新幹線を利用したところ、JR西日本のキャンペーンがあって、半額相当の20,000ウエスタ―ポイントがバックされ、それの一部が使いきれず期限切れ間近に迫っていたためである。
ウエスタ―ポイントは、8,000ポイントあれば新幹線普通車指定席で新大阪駅から博多駅までの乗車券・特急券に引き換えることができ、本来であればこれで十分である。
ところが、失効するポイントはそれより微妙に多かったため、それならば最後でもあるし11,040ポイント出してグリーン車に乗ることにしたのである。
博多駅で乗り換えは手間ではあるものの、直通のみずほ号と違ってのぞみ号であれば寝過ごす心配もないし、乗り換えの間に買物もできるので、それはそれでメリットがある。
こうして、紳士・淑女の皆様に交じり、場違いな空気を感じつつ目立たないように着席したのだった。
乗車後は、夜間かつトンネルも多い区間なので景色を見ることは早々と諦め、携帯電話でニュースを見たり、今回の行程の確認をしたりしていた。
そのうち眠たくなったので少々ウトウトしていると、「まもなく、終点博多です。鹿児島線、長崎線、福北ゆたか線はお乗り替えです。地下鉄線は…」のアナウンスで目覚めた。
さすがグリーン車だけあって、寝ても特に疲れが残ることはなかったが、あっという間に到着したので豪華な雰囲気を存分に味わうことができなかったのは残念である。


[40] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:25 No.6494
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博多駅到着後は、買い物を済ませ、ホームを移動して21時45分発のつばめ号に乗り換えとなる。
50分で熊本駅に到着するが、今度はどんなに眠たくても寝るわけにはいかない。
熊本駅から先の下り最終列車でもあり、熊本駅を発車する段階でそこから先の駅については上りの新幹線が終了しているため、うっかり寝過ごすと当日中に熊本駅まで戻ってこられず気が抜けないのである。
コーヒーを飲むなどしてなんとか眠気を覚まし、22時35分に熊本駅へ無事降り立つことができた。
大都市だけあって多くの乗客が下車し、車内は閑散となった。
改札口では、大きなくまモンが出迎えてくれる。
夜遅く、レンタカー会社も既に閉店しているため、そのまま近隣のホテルにチェックインし、風呂に入ってベッドに横になると直ぐに寝てしまった。


[41] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:26 No.6495
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翌日、朝一番にレンタカーを借りる。今回はそんなに長い距離でもないため軽自動車とした。
熊本駅近くのレンタカー会社の営業開始時間が朝8時からなので、その時間から走り出したとしても、始発(本渡港8時30分)の御所浦港行きの船に乗ることができない。
こむすびは心配性なので、島訪問の際には、使用中であったりしたときの時間的保険をかけるため、できるだけ始発の島行きの船に乗船することを心掛けている。
しかし、今回、100キロの道のりを30分で走ることはどう頑張っても不可能だったため、信念を曲げて、先に大矢野島と天草下島の火葬場を巡り、昼過ぎの御所浦港行きの船に乗ることにしたのである。
この船で到着すると、1時間半後に御所浦港を出港する船が本渡港行き最終便となるので時間との闘いが待っているが、翌日も休みにしているため、仮に火葬場が使用中で敗北しても翌日に再訪するという荒業を使う予定である。
こうして熊本駅から三角港を経て橋を渡り、1時間半程度かけて大矢野島へ到着した。
まずは、上天草市立斎場へ向かう。
大矢野島に渡ってすぐに火葬場への分岐がある。


[42] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:26 No.6496
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分岐からしばらく走ると左手に曲がる道があり、火葬場へはそちらを進むことになる。
なお、分岐付近に前身施設である大矢野町営火葬場が建っていた。
古い航空写真によると、写真のこの辺りに旧火葬場があった。


[43] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:27 No.6497
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この道を進んですぐ、上天草市立斎場に到着した。
昭和58年4月の建設で、当初は2基であったが、平成6年に1基増設し、現在は3基の火葬炉がある。
上天草市立斎場について、市町村合併前の施設の名称が何であるか調べてみたところ、古い住宅地図には、大矢野町松島町共立斎場と記載されていた。旧大矢野町や旧松島町以外に上天草市を構成する旧姫戸町や旧龍ヶ岳町については、熊本県立図書館で市町村史を探してみたものの、どこの火葬場を使用していたのかは分からなかった。
ただし、天草水害の記録を見ると、被害に遭われた方の火葬をするため熊本市方面へ搬送した、とあったので、大矢野町以外には火葬場がなかったのではと推定する。


[44] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:27 No.6498
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続いて天草市立天草本渡斎場を撮影することとし、本渡港を一度通り過ぎて山間部に向かう。
本渡港から約5キロで天草本渡斎場に到着した。
平成15年7月に完成した施設である。
ここは、天草市の中で一番規模が大きく、4基の火葬炉を備えている。
また、本渡市史を見ると、旧火葬場はこの敷地奥に煙突式の施設があったことが分かる。


[45] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:27 No.6499
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天草本渡斎場の次は、山越えをして天草下島北部にある苓北町斎場へ向かう。
山間部を30分ほどショートカットするように進むと再び市街地に出て、少し走ると火葬場への案内板が現れた。
この道を曲がった突き当りに苓北町斎場はある。
熊本県立図書館で市町村史を見たところ、富岡町の時代に別の場所からここに火葬場が移転してきたことが分かった。


[46] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:28 No.6500
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山を上るようにしばらく進むと火葬場が見えてきた。
島の火葬場にしては珍しい和風テイストの感じられる施設である。
苓北町は、熊本県の電力の6割以上を賄う九州電力の火力発電所が立地しており、財政が豊かなため、天草市には合併せず、独立の道を歩んでいる。
各地の火葬場を見ていると、発電所のある地域では「電源立地地域対策交付金」という資金で建設されたところを見かけるため、その類の補助金が給付されているのだろう。
また、陸繋砂洲の先端には富岡城跡もあり、長年、天草統治の中心地として栄えてきた町でもある。


[47] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:28 No.6501
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古い地図を見ると、苓北町斎場南西側の空地に旧火葬場があったことが分かる。
大体このあたりである。
現在では、苓北町斎場の駐車場の一部として使用されている。


[48] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:28 No.6502
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そのまま天草下島の周回道路を左回りに海沿いを進んだ後、少し内陸部に入る。
約30分で、天草市営天草火葬場「合掌殿」への分岐に到着した。
なかなか豪華な案内表示である。
ここを曲がっていく。


[49] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:29 No.6503
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しばらく進むと、天草市営天草火葬場「合掌殿」が見えてきた。
平成7年3月に完成し、1基の炉がある。
「○○殿」という名称の火葬場は、かつていくつか見かけたが現在では珍しいものになっている。
古い航空写真を見ると、旧火葬場もこの近くにあったようである。


[50] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:29 No.6504
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続いて、天草市営牛深火葬場へ向かう。
前施設は、牛深市営火葬場からの流れをくむ煙突を備えた施設で海沿いに立地していたが、天草市になってから令和2年に建て替えられ、内陸部に移転したものである。
せっかくなので、旧牛深火葬場の跡地にも寄ってみようと思う。
現牛深火葬場前を一度通り過ぎて海沿いに出て、しばらく進み、狭い道を右折するとそこが旧牛深火葬場跡地である。
建て替え前に来たかったが、結局間に合わず解体されてしまった。
今は単なる空地で何かに使用している形跡は見当たらない。慰霊碑のようなものも見当たらなかった。
袋小路状になっている地形なので、使用中は撮影がかなり難しかったのではと感じた。


[51] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:29 No.6505
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続いて、通り過ぎた天草市営牛深火葬場に戻る。
先代の火葬場は海沿いだったが、建て替えにあたって山間部に移転している。
この角を曲がって上っていく。


[52] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:30 No.6506
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道の突き当りが天草市営牛深火葬場である。
令和の建設だけあって、まだ新しい雰囲気を醸し出している。
山を上ったところにあるため、非常に静かでよい環境である。


[53] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:30 No.6507
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これで、大矢野島と天草下島の火葬場は全て巡ったので、次は離島となる御所浦島への船に乗るため本渡港へ向かう。
調べてみると、御所浦島は天草各地及び水俣から船便や海上タクシーが出ている。いずれも概ね45分から1時間くらいで到着できる。
天草上島の棚底港を発着するフェリーも距離が近くて良さげではあったが、行程を確認すると、スケジュールと合わないことが判明したため、そちらはボツにしたのである。
御所浦島は、かつて旧御所浦町に属していて、市町村合併に伴い天草市となっている。
現行の火葬場は、御所浦島から西に海を隔てた牧島にあり、架橋されているものの御所浦港からは2キロ以上離れているため、約30分歩かなければならない。
調べたところ、港の物産店にはレンタサイクルもあるとのことで、天気が良くて空きがあるようであれば借りてみたい。
値段表を見ると、電動自転車だけあって3時間で2000円とやや値は張るが、ここはお金より時間を優先しよう。
また、昭和56年作成の古い資料を見ると、以前の火葬場は現行とは異なる住所であることが分かったが、場所は特定できていない。
この当時は、牧島と御所浦島を結ぶ中瀬戸橋が未完成だったため、御所浦島にあったのだろうかとも考えたが全くの不明である。
ただ、同じ資料を見ると、旧火葬場の住所は、旧ごみ焼却場と全く同じ住所のため、先に旧ごみ焼却場の場所を特定できれば火葬場の位置も分かることに気づいた。通常、火葬場よりはごみ焼却場の方が建物が大きいので見つけやすいだろう。
そこで、熊本県立図書館で古い住宅地図を見てみたところ、ごみ焼却場は現在と同じ場所にあったことが判明したが、火葬場の文字は見当たらなかった。
古い航空写真を見ると、ごみ焼却場の更に奥側に小さい建物があるのが見えるが、この地点は住宅地図の提供範囲を微妙に超えていて記載がなく何の建物なのかは特定できなかった。
ただ、ごみ焼却場に向かう道には、「ヤキ崎へ」という記載があったため、なんとなく火葬場らしい雰囲気を感じるのである。
色々と推察してみたものの、素直に現地の方に聞けば簡単に判明するのだろうが、どうしても自分で探したいという謎の欲求がそれを邪魔するのである。
そのようなことを考えつつ運転していると、いつの間にか本渡港に到着していた。
車を駐車場に停め、乗船券売場へ行く。
旅客の予約は取り扱っていないため、先着順である。
早めに来たおかげか、無事乗船券を購入できてほっとした。乗船券は600円である。
今回、乗船するのは「しいがる3」という高速船で、13時20分発である。
他の港からはフェリーも就航しているが、現地では片道2キロ程度の距離なので、時刻表、車の航送料金と歩く手間を比較考量して今回は高速船プラス徒歩片道30分(晴れていればレンタサイクル)にした。
ドルルン…出港の1分前にエンジンがかかる。
船は、天草上島と下島の間にある狭い海峡を東へ向けてゆっくりと進みだした。


[54] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:30 No.6508
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本渡港を出港してから45分経った14時5分、御所浦港に到着した。
そそくさと港の状況を撮影した後、物産店でレンタサイクルを借りるつもりであったが、無情にも雨が降ってきたため、急遽、徒歩での移動に変更した。レンタサイクルであれば、島の滞在時間に多少の余裕が持てたのだが、天候ばかりはやむを得ない。
御所浦島は、恐竜の化石が出土していて、至るところに恐竜のオブジェがある恐竜推しの島である。
博物館もあるので、恐竜が好きな方は一度訪れてみても良いだろう。


[55] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:31 No.6509
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道沿い等にある恐竜のオブジェなどを見つつ、市街地を抜け、中瀬戸橋を渡り、橋の終点にある分岐を右折し、400メートル行くと左手に天草市営御所浦火葬場「やすらぎ苑」が現れた。
平成12年の建築だけあって近代的な建物で、島の火葬場という独特の雰囲気はない。
火葬炉は1基である。建物内部の画像については、天草市のサイトで掲載されているので、興味のある方は御覧ください。


[56] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:31 No.6510
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建物入口の扉の鳳凰の彫刻がすばらしい。

[57] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:32 No.6511
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撮影後は直ぐに港に戻り、御所浦島到着1時間半後の船に乗って本渡港へとんぼ返りする計画である。
これに乗り損なうと棚底港までフェリーで行き、タクシーを呼んでレンタカーを駐車している本渡港へ戻らなければならない。
棚底港から本渡港までは20キロほど離れているので、タクシーに乗るとそれなりの金額になる。1万円は覚悟する必要があろう。
バスもあるようだが、バス停まで遠く、本渡港までの乗車時間も長いので避けたいところだ。
自分としては予定通りに訪問スケジュールをこなしているつもりであったが、写真撮影後、ふと時計を見ると14時50分となっていた。
想定より10分ほど遅れている。行きがけに恐竜のオブジェ等をじっくり見たことも影響しているだろう。
これはまずいと急ぎ足で港に戻る。
息を切らして港の案内所へ駈け込んで帰りの乗船券を購入するとともに、撮影のお礼としてお土産を購入する。
御所浦港では、干物各種を購入した。生ものもおいしそうで欲しかったが、それらを持ち歩く保冷バッグ等の用意をしておらず諦めたのである。
その後、本渡港行きの船に乗り込む。
行きと同じ「しいがる3」で、15時30分発である。
出港時刻になり、エンジンがうなりを上げると、港は徐々に遠ざかっていった。


[58] 名前:こむすび :2026/07/05 (日) 20:33 No.6512
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帰りも45分かかって16時15分に本渡港へ到着した。
さすがに往復4キロ歩いたからか帰りの船では疲れて寝てしまっていた。
これで、熊本県側の島の火葬場は全て巡ることができた。
次は、牛深の口之津港から三和フェリーに乗船して30分かけて鹿児島県長島町の長島に渡る…予定であったが、実は、数年前の甑島訪問に合わせて、先に長島町火葬場「不知火苑」は本土側から車で訪問済みなのである。
本来は連続して島めぐりをするのが筋ではあるが、そのような事情で、三和フェリーには乗らず、単独で紹介することにしたい。

こちらが今回の最終目的地である長島町火葬場「不知火苑」である。
取り付け道路には、花が植えられ心安らぐ道となっている。
現在の長島町はもともと長島町(旧)と東町に分かれており、かつては東町外1ヶ町火葬場組合「不知火苑」と称していた。
両町が合併して改めて長島町が発足したため、組合を解散し、町営となったのである。
以前には、東・長島地区火葬場組合(資料によっては東町外1ヶ町火葬場組合と記載)があったことが分かっているが場所の特定ができていない。
古い航空写真では現施設の裏側に小さな建物が見えるが、こちらが把握している住所と場所が異なるので、それを旧火葬場とは断定できないのである。


[59] 名前:こむすび(本投稿最終) :2026/07/05 (日) 20:34 No.6513
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これで、八代海を半周する島の火葬場撮影は終了である。
訪問の時期や順番の関係で、長島へは車で到着しており、船で島から立ち去るという恒例の終わり方ではないので、いまいち良い締めが思いつかない。
この後は、本渡港から約100キロの道のりをホテルまで戻る。
途中、地元のスーパーで地元産の食材を使用した総菜を仕入れ、夜はちょっと豪勢な食事となった。

翌日、朝から熊本県立図書館に行き、夕方まで市町村史や住宅地図を漁った後、熊本駅まで戻る。
駅前でレンタカーを返却し、お土産を買い込んでから新幹線ホームへと上がる。
そうして、19時12分発のみずほ672号に乗車する。
直通なので、新大阪駅までは行きより30分ほど早い3時間で到着する。休憩するのには丁度良い時間である。
何度も乗車している区間のため、特に景色を見ることにこだわりはなく、弁当を食べた後に目を閉じる。
そのまま寝入ってしまい、気付いたら到着10分前であった。
新大阪駅には定刻の22時16分に到着した。
例によって、休息日を設けずに翌日から仕事である。
通常版の島の火葬場撮影が終わっても、引き続き、コンプリート派としての火葬場撮影が残っている。
未訪問の現役火葬場全てがその対象で、当然に離島の施設も含まれる。そのため、いつかは到達困難な小笠原や大東島へも行かなくてはならない。
今までのように年に1回というような頻度では難しいだろうが、火葬場の撮影自体は続行していくなかで、離島の火葬場に足を延ばすこともあるだろう。
種子島以南の離島及び沖縄方面は、新幹線より空港から飛行機を使用する機会が増えてくる。
そう思うと、島の火葬場訪問で幾度となく乗った新幹線も名残惜しく感じる。

居住地の関係から西日本沿岸部の島が中心となったものの、それでも仕事の合間に時間を見つけて訪問するのに20年かかった。
残念なことに訪問後廃止された火葬場も多く、記録を残せたことについてはそれなりに意義はあったのだろうと考えている。
当初の目標は達成したが、今後はコンプリート派として、島を含めた火葬場巡りはまだまだ続いていく。
いつかは新たな島の火葬場にも挑戦する場面も必ず出てくるだろう。
見果てぬ夢かもしれないが、全国の現役火葬場を訪問し尽くすことを引き続きライフワークに位置付け、今後も活動を続けていく所存である。

…と書いて終わる予定だったが、この時点で2箇所新たな島の火葬場を訪問しているので、まだまだ続きます…
本当に締まりませんな。



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