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奈良市東山霊園火葬場見学記
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1
] 名前:
東博君
:2022/03/31 (木) 22:42
No.5320
2022年3月31日17時過ぎ
最後の日は生憎の雨でした。
火葬場の最終日は、鉄道などの廃止日と違って、ひっそり終わる場合も多いです。
今回も最後の日を見届けるのは、火葬場オタが一人と、もう一人くらいだろうと思っていました。
最初に来られたのは、鍵田美智子(奈良市議)さん。
この東山霊園火葬場の建物は、鍵田さんの亡くなったご主人のお父様である鍵田忠三郎市長の時代に竣工しました。
鍵田家の方が最後を見届けに来て頂き、個人的には最も相応しい方と思いますので嬉しいです。
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123
] 名前:
東博君
:2023/07/25 (火) 21:45
No.6048
すっかり何も無くなっていました。
ここは非常に水捌けの悪い所です。
雨の翌日など、少し掘ると土がスープ状になってるように見えました。
そのせいか石垣の近くは、地面の下にセメントを混ぜた土を入れて硬化させるようです。
解体そのものよりも、選別は後の処理が大変そうです。
防音シートも取り外されています。
いよいよ終わりに近づいてきました。
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124
] 名前:
東博君
:2023/08/23 (水) 23:19
No.6055
2004年1月6日16時24分撮影
初めて東山霊苑火葬場を撮った写真です。
月日の流れるのは早いものです。
これを撮りながら、本来の目的でここに来るのは嫌だなと思いながら撮ったのを覚えています。
この次に来たのは、案の定父親の火葬の時です。
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125
] 名前:
東博君
:2023/08/23 (水) 23:19
No.6056
2023年8月23日
暫らくぶりに行ったら、既に解体工事が完了していました。
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126
] 名前:
東博君
:2023/08/23 (水) 23:20
No.6057
待合室があった辺りから火葬棟や供養塔の方面です。
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127
] 名前:
東博君
:2023/08/23 (水) 23:21
No.6058
東山霊苑火葬場の跡形はもうありません。
しかし、供養塔の仏板は取り外されて奈良市が保存しています。
火葬棟は、、、完成当初のタイルの一部が火葬場オタクの部屋に鎮座しています。
父親を火葬した2号炉の横のタイルの壁が取り壊された直後だったので、お願いして頂いてきました。
これ何???と家族に聞かれたら何て言おう・・・
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128
] 名前:
東博君
:2023/08/23 (水) 23:22
No.6059
供養塔に納められていた銅筒に入れられた写経です。
仏板の裏にあったのですが、仏板が外れなくて供養塔の解体途中に回収したものです。
それでなのか、銅筒は潰れた感じになっています。
写経の一部は水に濡れて固着したものがありました。
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129
] 名前:
東博君
:2023/08/23 (水) 23:23
No.6060
多くは綺麗な状態で残っていました。
当時の市長をはじめ関係者のお名前があるようです。
完成当時に火葬業務に就いていた方のお名前もあるらしいです。
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130
] 名前:
東博君
:2023/08/23 (水) 23:24
No.6061
2022年はコロナで亡くなる方も多くて、とてもじゃないけど火葬場オタクが見学する余地は無かったと思います。
詳細に見る事は諦めていたのですが、幸いにも思った以上に詳細に見る事が出来ました。
これも多くの関係者の皆様のご理解とご協力があっての事です。
感謝しかありません。
供養塔に納められていた残骨灰の行方が残っていますが、
東山霊苑火葬場は一先ず終わりです。
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131
] 名前:
東博君
:2023/08/25 (金) 02:30
No.6062
竣工時の化粧扉周りのタイル壁の雰囲気の分かる写真を一枚
40年以上新たな壁の裏にヒッソリと存在して、最後の最後で太陽の光の元に現れました。
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132
] 名前:
東博君
:2023/10/24 (火) 21:54
No.6110
奈良県安堵町
竈オタクでもある東博君、竈のイベントなど行う拠点みたいにさせて頂いてるお宅に来ました。
国指定重要文化財中家住宅、と堅苦しい標識がありますが、中さんという方のお住まいです。
でも鬱蒼とした森にしか見えません。
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133
] 名前:
東博君
:2023/10/24 (火) 21:55
No.6111
二重の濠に囲まれていて、森に見えたのは濠と濠の間の竹藪です。
奈良には環濠集落が比較的多く残っています。
でもコンクリなどで固められています。
水害など防災や事故防止のためなので仕方ありません。
ここは濠や竹藪も含めて重文指定されていますので、
たぶん、昔のままの環濠が残されている数少ない場所だと思います。
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134
] 名前:
東博君
:2023/10/24 (火) 21:56
No.6112
今回は竈が目的ではなくてお墓です。
南北朝時代から続く旧家で、古い墓石も多くあります。
戦国時代までは武士で、筒井家一族として勢力を拡大されたようです。
江戸時代になると帰農して、庄屋として留まり続けたようです。
昔は土葬ですが、奈良の山間部に多い両墓制ではなく単墓制です。
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135
] 名前:
東博君
:2023/10/24 (火) 21:56
No.6113
竈は江戸時代初期に作られ修理を重ねながら今に至ります。
先の墓地に眠られるお一人お一人が、日々の生活で使われ守って伝えられたものです。
この竈を使ってご飯を炊かせて頂いてる自分としては、墓地に居ると凄く厳かな気持ちになりました。
この竈、大昔の東芝炊飯器のCMで使われました。
藁をくべて2度炊きのシーンは何となく見た覚えがあります。
その竈を使う事になるとは、当時は夢にも思いませんでした。
火葬場と竈は、不思議な巡りあわせが何故か多いです。
https://youtu.be/zMCqGeiW2Wc?t=1294
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136
] 名前:
東博君
:2023/10/24 (火) 21:59
No.6114
奥様が大学生の頃に墓地の調査をされました。
今は墓石は65基あります。
論文か何かで沖縄の文化を調査していたところ、先生に「君は自分の家の事を調べなさい」と言われ調査したらしいです。
風化して文字が読めない墓石は、拓本したら読めたそうです。
墓石に拓本は、、、赤の他人の研究者だと出来ませんね。
奥様にはお姉さまがいらっしゃいます。
どちらもこの家でお生まれになりました。
お姉さまは、奈良県宇陀市にある重要文化財片岡家住宅に嫁がれています。
生れも嫁ぎ先も重要文化財、ご姉妹は、歴史を背負った古いものを残すのが使命みたいな方ですね。
といっても、どちらも気さくな只のオバちゃんです。
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137
] 名前:
東博君
:2023/10/24 (火) 22:03
No.6115
安堵町極楽寺
やっと本題です。
供養塔のあったお骨の一部は市の納骨堂に安置されています。
残りは業者の契約した場所に埋葬されるという事になっていました。
そのお寺がここです。
なんか、とても居心地の良い雰囲気の境内でした。
中さんからは、お若いご住職だけど一生懸命やってる方だとよくお聞きしていました。
残念ながらお留守でしたが、あえて敷居を低く居心地の良いお寺にしているのかも知れません。
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138
] 名前:
東博君
:2023/10/24 (火) 22:04
No.6116
中央の仏像の下に納められたそうです。
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139
] 名前:
東博君
:2024/07/30 (火) 02:36
No.6218
2024年7月29日
報道でご存じの方もいらっしゃると思いますが、中家住宅は隣からの貰い火で火災になりました。
この母屋には、先祖代々伝えられてきた日本最古の梅干しもありました。
チコちゃんに叱られるでも出た事があるので、ご存じの方もいらっしゃるかも知れません。
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140
] 名前:
東博君
:2024/07/30 (火) 03:02
No.6219
母屋の被害は大きいようです。
一生懸命守って来られて活用にもご熱心です。
活用にもご熱心なので、オタでも竈のお守役として自由に使わせて頂きました。
梅干しの他に古い写真や母屋にありましたが持ち出す事は出来ませんでした。
心中察するに余りあります
火葬場でもそうなのですが、
ハードとしての建物は、その極々一部でしか無いと思っています。
人や様々な取り巻くものも含めて見えないと、そこの事はわかりません。
ハードとしての中家住宅だけではなくて、真の中家住宅の再建を願ってやみません。
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141
] 名前:
東博君
:2024/08/06 (火) 00:17
No.6220
動画の冒頭の左にNo.6112の墓地が映ってますね。
歩いても数分の距離にあります。
国の重要文化財「中家住宅」が火事「火がかやぶき屋根に燃え移った」消防車18台が消火活動中
https://www.youtube.com/live/-WsKrZSKN4A
あまりにも無残な姿で、頭では解っていてもピンときません。
ただ、左側の座敷部分の構造材は思ったより無事なのと、竈や土間の被害が軽微なので、修理の余地は十分にありそな気はします。
でも屋内にあった本来なら後の世代に伝えなければならない物で失われるものは少なくありません。
火葬場の場合は、公共施設なので失われるのは仕方ありません。
むしろ利用者に良い施設に建て替えられるのは良い事です。
しかし、こんな火葬場があったという事を後の世代に伝える事は意義があります。
まあ、そんな事までしようとする人は皆無とは思いますが・・・
[
142
] 名前:
東博君
:2024/08/07 (水) 22:39
No.6221
あまり火葬場とは関係ない写真が続くのもどうかと思いますが珍しい写真。
こんなとこに放水銃が隠れている事は知りませんでした。
放水銃の実戦使用の事例は殆ど無いのではないでしょうか。
敷地の南西の隅に鉄筋コンクリートの小屋があります。
中には大きなディーゼルエンジンで駆動するポンプがあります。
地下には50トンの消火用の貯水槽も。
貯水槽の水は全て使ったとの事です。
大きな2本の避雷針など、さすが重文だけあって鉄壁の守りだと思っていたのですが、火災を防ぐ事は出来ませんでした。
県が主屋の応急的な処置をしたので雨は防げそう。
竈のお守番の私も、竈周りの応急処置だけしました。
日本最古の梅干しは、瓦礫の中から拾って橿原考古学研究所が冷凍保存していますが、中にあったものは貴重な物でも何もしてくれません。
個人の資産なので当たり前といえば当たり前ですが。
火災の後始末は、資金面も含め個人の限界を超えていると感じます。
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