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奈良市東山霊園火葬場見学記
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名前:東博君
:2022/03/31 (木) 22:42 No.5320

2022年3月31日17時過ぎ
最後の日は生憎の雨でした。
火葬場の最終日は、鉄道などの廃止日と違って、ひっそり終わる場合も多いです。
今回も最後の日を見届けるのは、火葬場オタが一人と、もう一人くらいだろうと思っていました。
最初に来られたのは、鍵田美智子(奈良市議)さん。
この東山霊園火葬場の建物は、鍵田さんの亡くなったご主人のお父様である鍵田忠三郎市長の時代に竣工しました。
鍵田家の方が最後を見届けに来て頂き、個人的には最も相応しい方と思いますので嬉しいです。
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名前:東博君
:2022/03/31 (木) 22:43 No.5321

誰も来ないだろうと思っていたら、新斎苑の見学会にいらっしゃった課長をはじめ担当課の方々も。
と思っていたら、副市長や部長などの幹部の方々も。
そして、仲川げん奈良市長も来られました。
現地の職員の方々に対して、市長や幹部の方々のご慰労のご挨拶がありました。
廃止される火葬場は、通常の営業終了と同じように市役所から特に誰かが来られる事は少ないと思います。
市長は公人なので写真を撮らせて頂きましたが、周りには市役所の方々が多数いらっしゃいます。
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名前:東博君
:2022/03/31 (木) 22:44 No.5322

簡単な葬儀が行える式場があります。
市長は火葬場全体の最後のご視察をされていました。
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名前:東博君
:2022/03/31 (木) 22:45 No.5323

多くの奈良市民を見送った東山霊園火葬場。
火葬場自身の最後は、仲川市長や鍵田市議はじめ多くの方々に見送られて幸せだったのではないかと思います。
肌寒い日でしたが、温かい気持ちになって家路につきました。
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名前:東博君
:2022/04/04 (月) 22:44 No.5336

この火葬場で目立つのは、残骨灰を納めている巨大な供養塔です。
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名前:東博君
:2022/04/04 (月) 22:45 No.5337

横にある説明板。
行基菩薩ですか、近鉄奈良駅の広場の行基さんの噴水も鍵田忠三郎市長が作られました。
行基菩薩の故事というのは、「官の大寺が木造の塔の荘麗を競うなら、私は土のにおいのする民衆のための土塔を築こう」と言ったもののようです。
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名前:東博君
:2022/04/04 (月) 22:46 No.5338

火葬場は墓地内にある事もあって、この供養塔にお参りに来る方は非常に多いです。
この写真を撮ってる時も訪れる方が何人か居て、これは今後どうなるのか職員に聞いていました。
まだ具体的には決まって無いようですが、問い合わせが多い事も市役所では承知しているらしいです。
供養塔も老朽化していますので、現状もまま残すのは難しいと思いますが、何らかの形で残るのではないかと思います。
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名前:東博君
:2022/04/04 (月) 22:48 No.5339

個人的には、「羽原さんのお婆ちゃんや辻さん、そして、うちの父ちゃんも、みんなここに居るー」という気持ちになる場所です。
同じように静かに思ってる奈良市民も少なくはないと思います。
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名前:東博君
:2022/04/05 (火) 00:09 No.5340

(一時投稿)
この火葬場の竣工時は鍵田忠三郎市長ですが、この供養塔も忠三郎さんのご意向が反映されているのかも知れません。
鍵田忠三郎さんは、地震雲を広めた方でもありますので、地震雲マニアの方ならご存じと思います。
私は火葬場オタクの他に竈オタクもしています。
数年前に偶然のご縁から、鍵田家にある古い竈の改修や活用のお手伝いをするようになりました。
写真は、右から宮奥左官工業の宮奥さん、ご当主の鍵田美智子さん、羽原さん。
宮奥さんは、竈を作ったり改修をしたり、羽原さんは研究的な事が得意で一緒によく動いています。
自分は竈の準備や炊飯などの実務です。
鍵田忠三郎さんと、同じ竈で炊いたご飯を頂いているのは、とても感慨深く不思議な巡り合わせもあるものだなと思います。
竈オタクが火葬場オタクに繋がるとは夢にも思いませんでした。
羽原さんは、近々「大和路ならら」という地元誌で竈の記事の連載を書く予定です。
県内の方は、本屋で立ち読みしてみて下さい(笑)
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名前:東博君
:2022/04/05 (火) 23:36 No.5341

奈良市火葬場は、大正5年3月3日に建設されました。
これは建設当時の建物の写真です。
知り合いにこの写真の撮影者の方を知ってる人が居たのですが、かなり前に亡くなっているとの事でした。
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名前:東博君
:2022/04/05 (火) 23:37 No.5342

昭和30年代の航空写真です。
現在の航空写真と重ねると、供養塔の辺りに火葬場があったように見えます。
写真中央上に長方形の囲いのある墓地があります。
現在もありますので、それを基準に重ねると分かり易いです。
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名前:東博君
:2022/04/06 (水) 21:02 No.5343

奈良市民だより 昭和44年12月15日 より
供養塔完成時の市報に記事が載っていました。
収容量は210立方メートルとなっています。
かなり大きいですね。
人一人の骨灰は約0.48リットルといわれ、との記述は??と思いますが。
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名前:東博君
:2022/04/06 (水) 21:03 No.5344

何気なく見ていた供養塔。
調べると色々な事が出てくるんですね。
何の変哲もない古い火葬場。
それぞれの火葬場には、それぞれの歴史や物語があるものだと思います。
前回スレタイに見学記の文字を入れた湖北火葬場の時も、強くそう思いました。
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名前:東博君
:2022/04/11 (月) 21:48 No.5345

巨大な供養塔。
と言っても、供養塔だけ撮ってもイマイチ大きさが分からないですね。
火葬棟と並べて撮ったら大きさが分かり易いと思います。
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名前:東博君
:2022/04/11 (月) 21:49 No.5346

供養塔を背に撮ってみました。
正面は簡易な葬儀場になります。
その奥に待合室がありますが、火葬中に待つ方は少ないので、使用頻度は少なかったです。
この火葬場の詳細は、東山霊園火葬場のページを作ろうと思います。
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名前:東博君
:2022/04/11 (月) 21:51 No.5347

2番炉
撮影するなら、この炉です。
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名前:東博君
:2022/04/11 (月) 22:05 No.5348

位牌を持って父を見送った時に立った正にその場所で、今度はカメラを持って立つという火葬場オタクらしい経験を・・・
そして、お骨になった父と目が合ったのもこの場所。
適当に消そうと思ってたんだけど。その時のレポートは、テスト・練習・連絡用スレッドにまだあります。
今となっては懐かしい思い出です。
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名前:東博君
:2022/04/11 (月) 22:50 No.5349

2番炉主燃バーナー
レポートは、多くの方々の協力を得て出来たものも多いです。
奈良市の新旧火葬場については、特に多くの方々を巻き込んだりご協力を頂く事が出来ました。
感謝しかないです。
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名前:東博君
:2022/04/13 (水) 03:29 No.5358

供養塔のインパクトが強過ぎて炉前の写真も無かったですね。
木目の天井が綺麗です。
比較的新しくも見えるのですが、いつ頃からこのようになっているのかは不明です。
炉の左には、拡大するとアスベストみたいなもが見えますが、調査の結果アスベストではないそうです。
それでも、飛散しないよう処理しているそうです。
炉室も、不用意に触れて飛散しないよう触れる範囲にはパネルを貼っていました。
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名前:東博君
:2022/04/13 (水) 03:30 No.5359

炉室は、大手メーカーの炉だと、どこもそう変わらないですね。
必要性がある場合を除いて、メーカー名は書きません。
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名前:東博君
:2022/04/13 (水) 03:36 No.5360

興味の無いものは全く写真を撮らない東博君です。
定礎の写真を撮るのは初めてかも。
忠三郎さんの名前があったのでパチリ
式場棟の裏にありました。
火葬場見学は、予め下準備をしてから行っています。
素性がバレるとコネで見れたとかになりそうなので、頼み事はバレてない頃にしていました。
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名前:東博君
:2022/04/19 (火) 19:15 No.5362

昭和44年12月15日の奈良市民だより、
『正面仏像の裏には銅筒に入れた写経48巻がおさめられています』の記述が気になります。
正面の窪みに仏板がはめ込まれています。
これは正面左側。
窪みの奥行きは45センチで、コンクリートに直接つけられているように見えます。
この板だけ、大安寺町融福寺という記述もあります、
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名前:東博君
:2022/04/19 (火) 19:18 No.5363

正面中央の仏板の窪みの奥行きは30センチしかありません。
全体はNo.5338の写真で、これは板周りの接続面のアップです。
コンクリに直接じゃなくて、コーティング剤のようなもので塞いだように見えます。
もしかすると、正面中央の仏板の裏に15センチ程の空洞があって、そこに銅筒が納められているのかも知れません。
なんか、火葬場調査記になってきました。
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名前:東博君
:2022/04/24 (日) 02:07 No.5364

市民だより(昭和43年3月1日)に載っていた起工式の記事。
重油炉8基に汚物炉1基、再燃焼炉もあったようですが、炉の更新前は煙をモクモク吐いていました。
汚物炉と再燃焼炉の痕跡は分りませんでした。
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名前:東博君
:2022/04/24 (日) 02:08 No.5365

完成時の市民だより(昭和43年12月15日)
化粧扉や天井は改修したいたみたいですね。
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名前:東博君
:2022/04/24 (日) 02:09 No.5366

完成時の写真と似たようなアングルの写真。
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名前:東博君
:2022/04/24 (日) 02:10 No.5367

お花が絶えない火葬場です。
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名前:東博君
:2022/05/02 (月) 00:08 No.5369

父親の命日なのでお墓参りへ。
早いもので、本来の目的で行ってから8年。
火葬場前のバス停には、まだ新斎苑の立て看板が置いてありました。
近くでは、最後の日の最後の収骨を担当されていた職員の方が清掃をされていました。
市営霊園ですが、以前は手入れが殆どされていなくて荒れた感じでした。
今も火葬場には職員が詰められていて、墓地内の手入れをなさっていて、見る見るうちに綺麗になっていくように感じます。
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名前:東博君
:2022/05/16 (月) 19:58 No.5445

別に日、火葬場に寄ったら相変わらずお供えが絶えない供養塔。
先の写真のように桃のジュースやミルクなど、いつも小さい子供向けのお供えがありました。
今回は、何だか紙袋が
調べてみるとブランドものようです、それも封を切ってない。
どいいう気持ちで買い求められてお参りに来られているんだろうと思ったら、何とも言えない気持ちになりました。
職員さんに聞くと珍しい事ではなくて、クリスマスなどは1万円を超えるような有名ブランドの靴などもあった事もあるそうです。
この供養塔は、お墓の代わりになってるように感じますが、それ以上の存在と思われている方々もいらっしゃるのではないかと思います。
たぶん、小さい子供さんか死産された方のような気がします。
子供さんを亡くされて、この供養塔も無くなったのでは、子供さんが二度亡くなるような気持ちにもなるかもしれません。
老朽化してるので別の形の供養塔になるとは思いますが、場所も含めて、この方々にとって最良の形にするべきだと思います
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名前:東博君
:2022/05/16 (月) 22:35 No.5446

何度も足を運んで見えるものもあります。
千葉市でも岡谷市でもそう感じはしていました。
岡谷だとJRの特急に乗っても丸一日かかりましたが、今回は自転車でも10分もかからないから楽チン。
高畑町の交差点で霊柩車が走っていました。
葬列の車のスグ後ろには、以前に見たLPガスを運ぶトラックが、霊柩車について火葬場の方向に走って行きました。
妙な組み合わせの車列ですね。
- [31]
名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:27 No.5589

昭和43年の起工式の市民だよりでは、地下煙道となっています。
地下煙道の火葬炉は比較的高さが低いので、炉の更新をする時によく入ったもんだと思います。
これは三脚は1.5mくらいの高さで撮っています。
直上再燃焼型の高さが判ると思います。
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名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:28 No.5590

ついでに操作盤を大きめの画像で。(2667x4000 1.15MB)
上は、炉内温度(再燃?の)、設定温度と、炉圧計でしょうか。
電源と主燃バーナーのボタン。
下は、No1とNo2の再燃バーナーのボタン。
以前、3次燃焼と書いたような気がしますが、再燃焼炉に2個のバーナーが付いてるタイプです。
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名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:29 No.5591

ちょっと判り難いですが、画像の上に再燃バーナーの下部が写っています。
中心より右にあります。
- [34]
名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:30 No.5592

(訂正)この写真は主燃バーナーの上の再燃焼バーナーでした。
炉と炉の間、先のNo.5359の画像の脚立が写ってるところを入ると、再燃焼炉の反対側が見えます。
再燃バーナーの位置は中心より右側です。
2つのバーナーを互い違いに置いてるような感じですね。
排気筒周りの天井は金属のようです。
- [35]
名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:30 No.5593

上の画像の外側です。
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名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:31 No.5594

更に先にある排気筒です。
先端も黒ずんでいませんね。
- [37]
名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:32 No.5595

排気筒の基部の白い部分は、他に比べて新しいように見えます。
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名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:32 No.5596

別角度から。
炉の更新は昭和57年9月16日に完了しました。
その時にかさ上げするように作られたのだと思います。
むかしかして炉の更新は、炉室の天井をぶち抜いて、上から炉の交換をしたのでしょうか。
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名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:33 No.5597

一直線に炉が並んでると壮観ですね。
この火葬場は、小学校の校区内にあって超身近な火葬場でした。
身内も含めて、子供の頃から知ってる方が亡くなった時は、このどれかの炉から旅立った事でしょう。
天井はツートンカラーの木目になってるように見えますが、暗い部分は古い木材で、明るい部分は比較的新しいのでツートンに見えます。
暗い部分は建築当時の木材だと思います。
25年以上居る職員の方も、来た時にはこの状態だと仰っていました。
新しいといっても、それ以前のものという事になるので、これも炉の更新時の物と思われます。
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名前:東博君
:2022/06/04 (土) 21:34 No.5598

大きめの画像。(4000x2667 1.99MB)
たぶん、ここで三脚を立ててガッツリと写真を撮ったのは、竣工写真以来だと思います。
APS-Cのカメラで焦点距離は12mmで絞りはF8です。
焦点距離が短いしF8で大丈夫だろうと思ったら、この位の大きさで見ると遠くの方は若干ボケてる。
ずらっと並んだ炉前の場合は、あと一段絞った方が良さそうですね。
老朽化しているといっても美しい炉前です。
最後に綺麗に残せて良かったです。
何か動きがありましたら、またレポートします。
といっても解体の時くらいですか。
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名前:東博君
:2022/11/19 (土) 15:43 No.5869

久しぶりに行ってみると、相変わらずお参りの絶えない供養塔でした。
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名前:東博君
:2022/11/19 (土) 15:47 No.5870

個人との繋がりの場になっているように思います。
高価な日常品のお供えも多くて、火葬場の供養塔という概念を超えています。
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名前:東博君
:2022/11/19 (土) 15:53 No.5871

建物のもそのままで、現在は霊園管理の拠点なような形になっています。
廃止された火葬場ですが、活気のある雰囲気です。
いずれ解体撤去されますが…
一枚あたりの投稿写真の容量を1MB程度に制限しています。
暫くの間ですがご迷惑をお掛けします。
この画像で容量は580kBくらいです。
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名前:東博君
:2022/12/25 (日) 20:41 No.5885

久しぶりに旧火葬場へ。
クリスマスだからか、いつもよりお供えが多いような気がします。
スポーツショップのレジ袋には、暖かそうなフリースの防寒着が。
この時に着ていたユニクロのフリースより良さそうなものです。。。
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名前:東博君
:2022/12/25 (日) 20:42 No.5886

お花もクリスマスバージョン。
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名前:東博君
:2022/12/25 (日) 20:44 No.5887

ここでのクリスマスプレゼントは、これで最後になりますね。
奈良には、こんな洒落たお店はありません。
大阪のショップで買い求めたのでしょう。
供養塔は撤去されますが、代わりになるものを作る予定だそうです。
新たな施設も、故人との繋がりの場になると良いですね。
いつも温かい雰囲気の廃火葬場です。
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名前:東博君
:2023/01/05 (木) 23:25 No.5889

あけましておめでとうございます。
今年はまだ初詣には行っていないので、代わりに火葬場詣でにしようとやって来ました。
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名前:東博君
:2023/01/05 (木) 23:26 No.5890

最近はスマホで撮影する事も多いです。
RAW撮りで補正前提ではなかったら、スマホの方がよく撮れるかも知れません。
超広角レンズの付いてるスマホなら、デジカメの重い超広角レンズを持って行かなくて済みます。
昨年秋にタダみたいな値段で買ったPixel7の超広角、普段使ってるデジカメの超広角と同等の画角です。
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名前:東博君
:2023/01/05 (木) 23:28 No.5891

でもインスタ映えするような派手な写真になりがちですね。
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名前:東博君
:2023/03/16 (木) 19:35 No.5908

供養塔に張り紙がありました。
いよいよ中の残骨を搬出するようです。
***************
旧東山霊苑火葬場供養塔について(お知らせ)
旧東山霊苑火葬場は、令和4年3月31日付けで火葬業務を終了いたしました。
今後、施設全体を収去(解体)する予定をしております。
これに伴い、令和5年3月22日から3月31日の間で、供養塔内のご遺骨等を搬出させていただき、
その後、市営寺山霊苑祖霊堂(下図)に納めさせていただきます。
参拝につきましては、今まで通りしていただくことが出来ますが、道路が狭く駐車場が未整備ですので、
できる限り徒歩でお願いします。
ご理解ご協力賜りますようお願いいたします。
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名前:東博君
:2023/03/16 (木) 19:37 No.5909

炉前ホールに白っぽいものが見えたから覗くと、骨壺がありました。
残骨灰の処理後、処理業者が残骨の一部を奈良市に返還します。
その容器ではないかと思います。
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名前:東博君
:2023/03/16 (木) 19:38 No.5910

廃止されて一年近く経ちます。
解体まで思ったより長い月日が経ちました。
工事期間中の供養塔は囲いをすると思います。
搬出は、穴を開けて取り出して、あとは解体するだけなので穴は塞がないみたいです。
静かで平穏な供養塔の姿は、間もなく無くなろうとしています。
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名前:東博君
:2023/03/21 (火) 21:45 No.5912

廃止されても、静かでありながらも活気のある旧東山霊苑火葬場。
自転車が写っていますが、いつも自転車で訪れます。
坂道だけど電動なので10分ほどで着きます。
炉前ホールにあった骨壺は、火葬場にあった在庫品だそうです。
長期間保存品もあり黄ばんでるのもあったそうですが、綺麗なのを残骨容器として使うようです。
新たに購入しなくても、これで十分だと思います。
- [54]
名前:東博君
:2023/03/21 (火) 21:47 No.5913

お彼岸とあって墓参の方も多くて、ローソクを点されていた方もいらっしゃいました。
- [55]
名前:東博君
:2023/03/21 (火) 21:48 No.5914

中の残骨灰の取り出しの案内板を見てる方もいらっしゃいました。
- [56]
名前:東博君
:2023/03/21 (火) 21:49 No.5915

何度も訪れ何時もと変わらない旧火葬場。
明日からは、穴を開けて残骨灰の取り出し工事が始まります。
見慣れた光景も、これで最後です。
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名前:東博君
:2023/03/22 (水) 21:45 No.5916

取り出し工事が始まっていました。
墓参の方が火葬場の水汲み場やトイレを使ってる姿をよく見ますが、立ち入り禁止になって入る隙間がありませんでしたので、暫くの間は他の水汲み場やトイレを使う事になりそうです
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名前:東博君
:2023/03/29 (水) 22:10 No.5920

残骨灰の取り出し工事が終わっていました。
右下にブルーシートが掛っている所に穴を開けて取り出しました。
大きなガラ袋は、コンクリや石が入ってるのではないかと思います。
廃止の日から、まもなく一年。
あっという間の一年でした。
ここは、父親も見送ったオラが街の火葬場です。
この火葬場の最後まで見届けようと思います。
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名前:東博君
:2023/05/22 (月) 20:20 No.5932

解体工事が始まっていました。
旧火葬場へは墓参の道でもありますので、カラーコーンで歩行者が歩ける程度の道は確保されています。
人が居たので写真は撮っていませんが、この撮影場所の後ろには、仮設のトイレや管理事務所が建てたれていました。
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名前:東博君
:2023/05/22 (月) 20:21 No.5933

管理事務所の入り口を見ると、、、
元火葬場らしいものが再利用されていました。
2種類の耐火煉瓦が置かれていて、どちらもSK-34の規格だけど実際は耐久性は違うそうです。
そういえば火葬棟の裏に予備の耐火煉瓦が積まれていました。
- [61]
名前:東博君
:2023/05/22 (月) 20:22 No.5934

供養塔は瓦が外されちょっと痛々しい姿に。
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名前:東博君
:2023/05/22 (月) 20:23 No.5935

式場棟は殆ど解体は終わっていました。
火葬棟は解体に向けた準備中でしょうか。
写真では見えにくいけど、排気筒はビニールで覆われていました。
- [63]
名前:東博君
:2023/05/22 (月) 20:24 No.5936

供養塔に納められていた残骨灰は、一部は市営の納骨堂に仮安置されます。
納骨堂に行ってみると、お花などが供えられていました。
供養塔と同じく、大阪の百貨店の袋に入ったお供えも。
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名前:東博君
:2023/05/26 (金) 17:41 No.5937

駐車場に建てられた仮設の管理事務所と、墓参者用のトイレです。
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名前:東博君
:2023/05/26 (金) 17:43 No.5938

待合室や管理棟など付随する建物は無くなりました。
残るは、供養塔の火葬棟だけです。
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名前:東博君
:2023/05/26 (金) 17:43 No.5939

ビニールで覆われた排気筒です。
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名前:東博君
:2023/05/31 (水) 22:46 No.5943

供養塔の解体も始まっていました。
既にかなり取り壊しが進んでいますが。
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名前:東博君
:2023/05/31 (水) 22:47 No.5944

底部はコンクリで柱もしっかりしたものが入っていたのですね。
- [69]
名前:東博君
:2023/05/31 (水) 22:49 No.5945

かなり厚い鉄筋コンクリートで造られています。
ビルなどと違い負荷のかからないものだから、ペラペラのコンクリで出来てると思ってたのですが。
>昭和44年12月15日の奈良市民だより、
>『正面仏像の裏には銅筒に入れた写経48巻がおさめられています』の記述が気になります。
想像通りの位置に銅筒が納められていました。
半世紀以上の歳月を経て太陽の光が当たる事になります。
銅筒は劣化が進んでいるようですが、中の写経は状態が良いみたいです。
写経は文化的価値の無いものです。
でも、建設当時の方々の想いが込められた、東山霊園火葬場の歴史の上ではとても貴重なものだと思います。
- [70]
名前:東博君
:2023/06/16 (金) 22:46 No.5951

旧火葬場に行く途中、奈良教育大学(陸軍奈良連隊跡) の横を通ると、学生さん達が運動をしているようでした。
この先に陸軍病院跡地があります。
フンだらけ・・・
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名前:東博君
:2023/06/16 (金) 22:48 No.5952

納骨堂にも寄ってみました。
茎だけになった花がありますが、学生さんが食べたようです。
うちもそうですが、門扉を開けっ放しにしとくと、庭の花は鹿に食べられちゃいます。
この辺の鹿は、警戒心が物凄く強いので奈良公園とは別の野生の鹿のようです。
奈良公園の鹿も野生という事にはなってはいますが。
鹿に齧られても花瓶が倒れないように枠が作られていました。
富士建設謹製花瓶枠、見事ジャストフィット(笑)
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名前:東博君
:2023/06/16 (金) 22:48 No.5953

旧火葬場は排気筒も見えなくなりました。
- [73]
名前:東博君
:2023/06/16 (金) 22:49 No.5954

6月16日、全ての炉の撤去が完了しました。
建物の構造もよく判って、更新時の工事の事も推測出来る状態になって面白かったです。
- [74]
名前:東博君
:2023/06/16 (金) 22:50 No.5955

炉の解体工事中にレンガのようなものが見えました。
作業の方に赤レンガかレンガ調のタイルか伺ったら、近くに行って確認して頂けてタイルとの事でした。
この写真は300mm相当で撮った上にトリミングしてるので、実際は遠くてレンガっぽいもの程度しか分かりませんでした。
これ竣工当時の壁ですね。
以前に市報の竣工時の記事をアップしましたが、当時のタイルの色は白ではないようなので、何色か気になっていました。
炉の更新時には、従来の壁の手前に新たに壁を作ったみたいです。
壁と壁との間には鉄骨の柱も入っていました。
旧火葬場の職員の方に聞いたら、この壁の存在はご存じでした。
化粧扉を開けると、左右はパネルで隠されていたようですが、隙間が開いて見えていたそうです。
内心、「早よ教えてや」と思いましたが(笑)
化粧扉の中に頭を突っ込まないと見えないので、現場の職員だけが知っていた壁ですね。
炉の解体時の事は、また改めてレポートしようと思います。
- [75]
名前:東博君
:2023/06/17 (土) 21:55 No.5958
- 解体工事を見ていたら、墓参の方に供養塔はどうなったか2回聞かれました。
周知は不足しているように感じます。
- [76]
名前:東博君
:2023/06/20 (火) 23:41 No.5996

先に2つ目の再燃焼炉バーナーの写真をアップしましたが、主燃バーナーの上に付いてるバーナーの間違いでした。
こちらが主燃バーナーと反対側にある再燃バーナーです。
でもよく見えないですね。
- [77]
名前:東博君
:2023/06/20 (火) 23:42 No.5997

炉と炉の間の狭い隙間で、AF補助光が無いとピントも合わない暗さです。
頭上にカメラを持ち上げると何とか写っていました。
- [78]
名前:東博君
:2023/06/20 (火) 23:42 No.5998

そんな苦労しなくても、解体時にはバッチリと写せました。
といっても、望遠で撮ってるので肉眼ではよく分からなかったです。
- [79]
名前:東博君
:2023/06/20 (火) 23:43 No.5999

解体前の再燃バーナーを撮ったのは、この炉と炉の間です。
真ん中の炉の再燃焼バーナーを拡大すると、雑巾もそのままの状態でありました。
- [80]
名前:東博君
:2023/06/20 (火) 23:44 No.6000

炉が露出した状態で、肝試しに潜入する人が居ると危険なので、炉の撤去が完了してからの投稿になりました。
建物の構造もよく分かり壮観な光景でした。
- [81]
名前:東博君
:2023/06/22 (木) 22:17 No.6001

昭和57年に炉の更新を行っています。
屋根に穴を開けて入れたんだろうと想像していましたが、炉室の屋根をほぼ撤去して入れたようです。
元からあった梁や鉄筋コンクリートはそのままで、撤去した様子が見えます。
排気筒の目隠しの設置も分かり易いですね。
- [82]
名前:東博君
:2023/06/22 (木) 22:18 No.6002

横から見ると、残した梁や後から付けられた鉄骨の様子がよく見えます。
炉の更新、、、とだけ聞くと大した工事には聞こえません。
でも建物自体にも大きく手が加えられて営業しながらの工事です。
新設の火葬場の工事よりも大変な面も多そうです。
- [83]
名前:東博君
:2023/06/22 (木) 22:19 No.6003

これも分かり易いですか。
鉄骨の上はALCパネルだそうです。
建物自体は鉄筋コンクリート造りですが、改修された屋根部分は鉄骨構造みたいな感じです。
- [84]
名前:東博君
:2023/06/22 (木) 22:19 No.6004

もう一か所、よーく見ると青いタイルのようなものが残っています。
タイルの壁の話は聞いた事はあったのですが、何の為だったのか謎でした。
改修前の図面を見ると安置室となってる場所でした。
以前は、ここは霊安室だったのですね。
- [85]
名前:東博君
:2023/06/23 (金) 21:41 No.6005

取り外された排気筒です。
排気筒の交換はした事はあるそうですが、十数年以上前で近年では交換してないそうです。
- [86]
名前:東博君
:2023/06/23 (金) 21:42 No.6006

取り外してから、ダイオキシン対策で洗浄はしているらしいです。
内側の耐火材(キャスタブル?)は、状態の良いのと悪いのがありますね。
排気筒の交換時期の違いだと思います。
- [87]
名前:東博君
:2023/06/23 (金) 21:43 No.6007

火葬場は姿を消しました。
排気筒がポツンと残っています。
- [88]
名前:東博君
:2023/06/23 (金) 21:44 No.6008

耐火材を落として金属部分だけになっていました。
残るは基礎の撤去です。
煙突があったと記憶していた場所から、コンクリートの構造物が出てきたらしいです。
煙突の基礎は撤去していないと踏んでたのですが、やはり煙突の基礎が埋まっているみたいです。
もしかすると、地下煙道も出てくるかも知れません。
更に、供養塔の辺りにあったと思われる旧々火葬場の煙突の基礎も残ってるかも。
なんか、解体キングダムの世界になってきました。
- [89]
名前:東博君
:2023/06/24 (土) 19:42 No.6009

昭和56年の改修工事の図面です。
別の図面では、煙突の高さは26mとなっています。
役所では火葬場担当の部署しか行った事はありませんでしたが、建築部門にも古い貴重な資料が残っているんですね。
煙突の形は、角を面取りをした四角形です。
黒が混じったような濃い濃緑色でした。
山の木々と同じような色にしたものと思いますが、逆に凄い威圧感のある煙突でした。
- [90]
名前:まるぐ
:2023/06/25 (日) 01:56 No.6010
- きっと東博さんのことだから、まだ続くと思いますが
現時点でのレポートが興味深いのでつい書き込みします。
排気筒って取り外して洗浄できるものだったのですね!
煙突も四角系で深緑系とは珍しい。
実物が見たかったです。
- [91]
名前:東博君
:2023/06/25 (日) 21:32 No.6011
- 排気筒の洗浄について、説明不足がありました。
耐火材は水濡れ厳禁ですので、火葬場が稼働してる時には洗えません。
解体時には、有害物が環境や作業へ悪影響がないよう洗浄したという事だと思います。
まるぐさん
現在の旧火葬場の場所は、風致地区の他、昭和41年に古都保存法の歴史的風土保存区域に指定されています
昔の奈良市で26mの建造物というと、五重塔や大仏殿を除くと異例の高さです。
そういう事もあって、カモフラージュ色にしたんだと思います。
中も撮ったしスグ終了のつもりが、まだ続きそうな予感
掘り下げると様々な歴史や物語が見えてきますね。
建物や火葬炉といったハードは火葬場の極々一面でしかありません。
ここは、ありふれた火葬場です。
全ての火葬場にも、ここと同様に歴史や物語があると思います。
- [92]
名前:東博君
:2023/07/04 (火) 23:59 No.6013

改修時の平面図です。
新しい炉は奥行きがあるせいか、炉裏の作業スペースは圧縮しないで炉前側に伸ばしています。
炉室の炉間の既存の壁は残しています。
煙突の断面もありますので、煙突の形もお判り頂けると思います。
煙突のサイズの記述は、別の図面に書かれているものをコピペしたもので、この図面のオリジナルにはありません。
- [93]
名前:東博君
:2023/07/05 (水) 00:00 No.6014

炉壁が左に移動したので、奥のホールとの仕切りの開口部は右に寄っています。
改修前は中央にあったのですね。
- [94]
名前:東博君
:2023/07/05 (水) 00:02 No.6015

こちらの図面は、排気筒の目隠しのルーバーを支える鉄骨と、新たな炉壁の補強と思われる壁の記述があります。
先に投稿したNo.5999の写真は、右から1号2号3号です。
2号炉と3号炉の間に鉄骨、その左に新たに設置した鉄筋コンクリートの壁が見えます。
- [95]
名前:東博君
:2023/07/07 (金) 21:01 No.6016
- (一時投稿)
動画も撮ってるのですが修正や編集が面倒なので、未編集の仮版です。
https://youtu.be/KHsN1YxNvZ8
- [96]
名前:東博君
:2023/07/08 (土) 21:19 No.6017

ここのところ雨続きで久しぶりに様子を見に行って来ました。
途中、今年生れた子供を連れた親子が居たので、こっそり撮りました。
- [97]
名前:東博君
:2023/07/08 (土) 21:22 No.6018

盗撮したのがバレて睨まれました。
旧火葬場の裏辺りに居る鹿は山に住む本物の野生の鹿も居ますが、この辺りは奈良公園の鹿です。
- [98]
名前:東博君
:2023/07/08 (土) 21:23 No.6019

煙突があった場所は埋め戻されてる感じにも見えますが、
火葬棟の基礎はそのままなようです。
それ以外は変わった様子は無かったし誰も居ないので早々に帰りました。
- [99]
名前:東博君
:2023/07/11 (火) 21:04 No.6021

暫く静かな雰囲気でしたが、何だか大掛かりな事になっていました。
クレーンのスケジュールの都合で暫く静かだったのかも知れませんね。
この日の奈良市の最高気温は34.7度、暑いです。
- [100]
名前:東博君
:2023/07/11 (火) 21:04 No.6022

基礎を撤去するのに地面を掘らなければならないので、斜面が崩れないよう鉄骨を埋め込んでいました。
ゴツイ鉄骨ですね。
- [101]
名前:東博君
:2023/07/11 (火) 21:05 No.6023

火葬炉のあった場所の下には、煙道が残っていたそうです。
先の改修前の図面の点線の部分です。
レンガで出来ていたようですが、よく判らない。。
- [102]
名前:東博君
:2023/07/11 (火) 21:06 No.6024

よく見るとレンガが見えますが、空洞なのか土などの入れていたのかは確認し忘れました。
- [103]
名前:東博君
:2023/07/11 (火) 21:06 No.6025

これも未確認ですが、煙道のレンガだと思います。
耐火レンガではなく赤レンガみたいですね。
時間が無かったのでザっと見るだけでした。
- [104]
名前:東博君
:2023/07/12 (水) 17:43 No.6026

今日も暑いです。
旧火葬場は高円山の麓にありました。
煙突時代はニョキっと濃緑色の煙突が飛び出していましたが、煙突の撤去後は火葬場は全く見えなくなっていました。
右の建物は、煙突撤去の直後に開校した高円高校です。
山頂近くには、大文字送り火の火床が少し見えます。
- [105]
名前:東博君
:2023/07/12 (水) 17:47 No.6027

供養塔の残骨の一部が納められている納骨堂にも寄ってみました。
暑くなったからか、サンダルが供えられていました。
サンダルと言っても、高級ブランド品で相変わらず高価なものです。
旧供養塔にお参りに来られていた方も、こちらにお参りに来られているようで良かったです。
- [106]
名前:東博君
:2023/07/12 (水) 17:48 No.6028

クレーン車も居なくなって、また静かな雰囲気になっていました。
- [107]
名前:東博君
:2023/07/12 (水) 17:49 No.6029

撤去した基礎の処理をしています。
左下には鉄筋が纏められています。
- [108]
名前:東博君
:2023/07/12 (水) 17:50 No.6030

鉄筋コンクリートの塊を挟んで壊して、鉄筋とコンクリートを分離させていました。
鋏の背中は電磁石になっているんですね。
磁石で鉄筋を吸着させて選別し運んでいました。
今日は解体キングダムの日でした
見なきゃ(笑)
- [109]
名前:東博君
:2023/07/15 (土) 22:38 No.6031
- (一時投稿)
とりあえず、煙道の解体の動画です。
https://youtu.be/8JlFX2EAAOo
- [110]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:38 No.6032

レンガの山をよく見ると赤レンガと耐火レンガが混じっているようです。
OYTとSK30の刻印のあるレンガがありました。
大阪窯業耐火煉瓦株式会社の製造のSK30耐火レンガでしょう。
同社は現在は株式会社ヨータイに社名が変わっています。
- [111]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:38 No.6033

解体工事も大詰めを迎えます。
地下煙道が見えました。
煙道内は、レンガなどが詰まっているそうです。
それで大きなレンガの山が出来ていたのですね。
- [112]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:40 No.6034

上から見た煙道
改修時は、古い火葬炉を撤去した後に新たな火葬炉を設置した訳ですが、
火葬炉という重量物を設置するので、煙道のように地下に空洞があるのは適さないから、煙道は撤去したのではないかと想像していました。
解体した火葬炉のレンガや土で埋めて空洞は無くしていたようです。
たぶん、中に見えてるレンガは火葬場の完成した当時の炉に使われてたものだと思います。
- [113]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:40 No.6035

煙道の途中を切断します。
下部の鉄筋コンクリートも切るので、カッターを下の方まで下げて手探りで切っているようでした。
- [114]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:41 No.6036

切れたら引き上げます。
物凄いパワーですね。
- [115]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:41 No.6037

煙道の底部が見えました。
- [116]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:42 No.6038

煙突の基礎も撤去です。
奥の鋼鉄の擁壁に切れ目があります。
コンクリートの塊があって、ここだけ鋼材を打ち込めなかったようです。
- [117]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:43 No.6039

強力な重機ですが、コンクリの塊を前にちょっと今までと違う雰囲気です。
- [118]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:44 No.6040

濛々と白煙が上がります。
- [119]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:44 No.6041

摩擦で煙が大量に出ます。
- [120]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:45 No.6042

重機のアタッチメントには、TS-WB1000Vと書いてます。
仕様を見ると先端部の破砕力は940kNとなっています。
電気機関車(EF210)の引張力が199kNとなってるので、機関車5両で押し潰すような感じでしょうか
強力な重機でも手強い相手みたいですね。
- [121]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:46 No.6043

深い位置になるほど塊が大きくなってるようにも見えます。
- [122]
名前:東博君
:2023/07/16 (日) 22:46 No.6044

撤去した煙道です。
規則正しく並んでるのが煙道を構成するレンガでしょうか。
赤レンガのように見えます。
煙突の基礎が終わると、最後に地下燃料タンクの解体です。
もう少しで完了です。
- [123]
名前:東博君
:2023/07/25 (火) 21:45 No.6048

すっかり何も無くなっていました。
ここは非常に水捌けの悪い所です。
雨の翌日など、少し掘ると土がスープ状になってるように見えました。
そのせいか石垣の近くは、地面の下にセメントを混ぜた土を入れて硬化させるようです。
解体そのものよりも、選別は後の処理が大変そうです。
防音シートも取り外されています。
いよいよ終わりに近づいてきました。
- [124]
名前:東博君
:2023/08/23 (水) 23:19 No.6055

2004年1月6日16時24分撮影
初めて東山霊苑火葬場を撮った写真です。
月日の流れるのは早いものです。
これを撮りながら、本来の目的でここに来るのは嫌だなと思いながら撮ったのを覚えています。
この次に来たのは、案の定父親の火葬の時です。
- [125]
名前:東博君
:2023/08/23 (水) 23:19 No.6056

2023年8月23日
暫らくぶりに行ったら、既に解体工事が完了していました。
- [126]
名前:東博君
:2023/08/23 (水) 23:20 No.6057

待合室があった辺りから火葬棟や供養塔の方面です。
- [127]
名前:東博君
:2023/08/23 (水) 23:21 No.6058

東山霊苑火葬場の跡形はもうありません。
しかし、供養塔の仏板は取り外されて奈良市が保存しています。
火葬棟は、、、完成当初のタイルの一部が火葬場オタクの部屋に鎮座しています。
父親を火葬した2号炉の横のタイルの壁が取り壊された直後だったので、お願いして頂いてきました。
これ何???と家族に聞かれたら何て言おう・・・
- [128]
名前:東博君
:2023/08/23 (水) 23:22 No.6059

供養塔に納められていた銅筒に入れられた写経です。
仏板の裏にあったのですが、仏板が外れなくて供養塔の解体途中に回収したものです。
それでなのか、銅筒は潰れた感じになっています。
写経の一部は水に濡れて固着したものがありました。
- [129]
名前:東博君
:2023/08/23 (水) 23:23 No.6060

多くは綺麗な状態で残っていました。
当時の市長をはじめ関係者のお名前があるようです。
完成当時に火葬業務に就いていた方のお名前もあるらしいです。
- [130]
名前:東博君
:2023/08/23 (水) 23:24 No.6061

2022年はコロナで亡くなる方も多くて、とてもじゃないけど火葬場オタクが見学する余地は無かったと思います。
詳細に見る事は諦めていたのですが、幸いにも思った以上に詳細に見る事が出来ました。
これも多くの関係者の皆様のご理解とご協力があっての事です。
感謝しかありません。
供養塔に納められていた残骨灰の行方が残っていますが、
東山霊苑火葬場は一先ず終わりです。
- [131]
名前:東博君
:2023/08/25 (金) 02:30 No.6062

竣工時の化粧扉周りのタイル壁の雰囲気の分かる写真を一枚
40年以上新たな壁の裏にヒッソリと存在して、最後の最後で太陽の光の元に現れました。
- [132]
名前:東博君
:2023/10/24 (火) 21:54 No.6110

奈良県安堵町
竈オタクでもある東博君、竈のイベントなど行う拠点みたいにさせて頂いてるお宅に来ました。
国指定重要文化財中家住宅、と堅苦しい標識がありますが、中さんという方のお住まいです。
でも鬱蒼とした森にしか見えません。
- [133]
名前:東博君
:2023/10/24 (火) 21:55 No.6111

二重の濠に囲まれていて、森に見えたのは濠と濠の間の竹藪です。
奈良には環濠集落が比較的多く残っています。
でもコンクリなどで固められています。
水害など防災や事故防止のためなので仕方ありません。
ここは濠や竹藪も含めて重文指定されていますので、
たぶん、昔のままの環濠が残されている数少ない場所だと思います。
- [134]
名前:東博君
:2023/10/24 (火) 21:56 No.6112

今回は竈が目的ではなくてお墓です。
南北朝時代から続く旧家で、古い墓石も多くあります。
戦国時代までは武士で、筒井家一族として勢力を拡大されたようです。
江戸時代になると帰農して、庄屋として留まり続けたようです。
昔は土葬ですが、奈良の山間部に多い両墓制ではなく単墓制です。
- [135]
名前:東博君
:2023/10/24 (火) 21:56 No.6113

竈は江戸時代初期に作られ修理を重ねながら今に至ります。
先の墓地に眠られるお一人お一人が、日々の生活で使われ守って伝えられたものです。
この竈を使ってご飯を炊かせて頂いてる自分としては、墓地に居ると凄く厳かな気持ちになりました。
この竈、大昔の東芝炊飯器のCMで使われました。
藁をくべて2度炊きのシーンは何となく見た覚えがあります。
その竈を使う事になるとは、当時は夢にも思いませんでした。
火葬場と竈は、不思議な巡りあわせが何故か多いです。
https://youtu.be/FJ7UOy6mq_8?feature=shared&t=1294
- [136]
名前:東博君
:2023/10/24 (火) 21:59 No.6114

奥様が大学生の頃に墓地の調査をされました。
今は墓石は65基あります。
論文か何かで沖縄の文化を調査していたところ、先生に「君は自分の家の事を調べなさい」と言われ調査したらしいです。
風化して文字が読めない墓石は、拓本したら読めたそうです。
墓石に拓本は、、、赤の他人の研究者だと出来ませんね。
奥様にはお姉さまがいらっしゃいます。
どちらもこの家でお生まれになりました。
お姉さまは、奈良県宇陀市にある重要文化財片岡家住宅に嫁がれています。
生れも嫁ぎ先も重要文化財、ご姉妹は、歴史を背負った古いものを残すのが使命みたいな方ですね。
といっても、どちらも気さくな只のオバちゃんです。
- [137]
名前:東博君
:2023/10/24 (火) 22:03 No.6115

安堵町極楽寺
やっと本題です。
供養塔のあったお骨の一部は市の納骨堂に安置されています。
残りは業者の契約した場所に埋葬されるという事になっていました。
そのお寺がここです。
なんか、とても居心地の良い雰囲気の境内でした。
中さんからは、お若いご住職だけど一生懸命やってる方だとよくお聞きしていました。
残念ながらお留守でしたが、あえて敷居を低く居心地の良いお寺にしているのかも知れません。
- [138]
名前:東博君
:2023/10/24 (火) 22:04 No.6116

中央の仏像の下に納められたそうです。
- [139]
名前:東博君
:2024/07/30 (火) 02:36 No.6218

2024年7月29日
報道でご存じの方もいらっしゃると思いますが、中家住宅は隣からの貰い火で火災になりました。
この母屋には、先祖代々伝えられてきた日本最古の梅干しもありました。
チコちゃんに叱られるでも出た事があるので、ご存じの方もいらっしゃるかも知れません。
- [140]
名前:東博君
:2024/07/30 (火) 03:02 No.6219

母屋の被害は大きいようです。
一生懸命守って来られて活用にもご熱心です。
活用にもご熱心なので、オタでも竈のお守役として自由に使わせて頂きました。
梅干しの他に古い写真や母屋にありましたが持ち出す事は出来ませんでした。
心中察するに余りあります
火葬場でもそうなのですが、
ハードとしての建物は、その極々一部でしか無いと思っています。
人や様々な取り巻くものも含めて見えないと、そこの事はわかりません。
ハードとしての中家住宅だけではなくて、真の中家住宅の再建を願ってやみません。
- [141]
名前:東博君
:2024/08/06 (火) 00:17 No.6220

動画の冒頭の左にNo.6112の墓地が映ってますね。
歩いても数分の距離にあります。
国の重要文化財「中家住宅」が火事「火がかやぶき屋根に燃え移った」消防車18台が消火活動中
https://www.youtube.com/live/-WsKrZSKN4A
あまりにも無残な姿で、頭では解っていてもピンときません。
ただ、左側の座敷部分の構造材は思ったより無事なのと、竈や土間の被害が軽微なので、修理の余地は十分にありそな気はします。
でも屋内にあった本来なら後の世代に伝えなければならない物で失われるものは少なくありません。
火葬場の場合は、公共施設なので失われるのは仕方ありません。
むしろ利用者に良い施設に建て替えられるのは良い事です。
しかし、こんな火葬場があったという事を後の世代に伝える事は意義があります。
まあ、そんな事までしようとする人は皆無とは思いますが・・・
- [142]
名前:東博君
:2024/08/07 (水) 22:39 No.6221

あまり火葬場とは関係ない写真が続くのもどうかと思いますが珍しい写真。
こんなとこに放水銃が隠れている事は知りませんでした。
放水銃の実戦使用の事例は殆ど無いのではないでしょうか。
敷地の南西の隅に鉄筋コンクリートの小屋があります。
中には大きなディーゼルエンジンで駆動するポンプがあります。
地下には50トンの消火用の貯水槽も。
貯水槽の水は全て使ったとの事です。
大きな2本の避雷針など、さすが重文だけあって鉄壁の守りだと思っていたのですが、火災を防ぐ事は出来ませんでした。
県が主屋の応急的な処置をしたので雨は防げそう。
竈のお守番の私も、竈周りの応急処置だけしました。
日本最古の梅干しは、瓦礫の中から拾って橿原考古学研究所が冷凍保存していますが、中にあったものは貴重な物でも何もしてくれません。
個人の資産なので当たり前といえば当たり前ですが。
火災の後始末は、資金面も含め個人の限界を超えていると感じます。
- [143]
名前:東博君
:2025/02/05 (水) 21:03 No.6317

修復の道筋もついてクラウドファンディングも始まりました。
火災で焼損、安堵町の中家住宅。代々守り継いできた文化財を修復したい
(READYFOR クラウドファンディング)
https://readyfor.jp/projects/nakakejuutaku
火災で焼損、安堵町の中家住宅。代々守り継いできた文化財を修復したい
(READYFOR YouTube動画)
https://youtu.be/6BQAiFWWF5I