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島の火葬場〜国境の島〜
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:42 No.6359

対馬・厳原港「国境の島」
え?本当に休めるのか…!
庶務担当から配布された勤務表を見て呟いた。
ダメ元で3日連続の休暇申請を出していたものがそのまま通ったのである。
全く期待していなかったところに突如として正式に3日の休暇が認められるのであれば、至急に行き先を決め、各種交通手段や宿を押さえなければならない。
まずは、肝心の行き先をどうするか。
これまで投稿してきた「島の火葬場」は、通常版に関しては残り2回を想定していて、候補地自体は「対馬・壱岐」もしくは「某所」と既に決まっており、それぞれの想定される行程案も組み終わってあとは行くだけになっている。
今回、どちらにするかを考えると、休暇がこれまでの2日よりも1日長いことを鑑みて、乗船時間が長くて遠い対馬・壱岐とした。
壱岐は令和2年に火葬場が改築され、対馬も平成時代に各火葬場の改築が済んでいて、比較的新しい施設しかないのであるが、その中でも、対馬市斎場「霊光苑」については、大規模改修が必要になれば別施設と統合して廃止ということが分かっていたため、その火葬場を見るというという理由もある。
対馬・壱岐については、休暇前日、仕事終わりに大阪を出て、博多から対馬・厳原(いづはら)行き夜行フェリーに乗れば、無理なく2島とも回り切れるスケジュールを組めるため、3日の休暇があればすかさず行く心づもりをしていた。2日の休暇でも行程上は行けないことはないが、使用中などで撮影できなかった際のリカバリーが難しいので避けていたのである。
なお、通常は「壱岐・対馬」と表記されることが多いが、本レポートでは訪問の順番に倣って一部を除き「対馬・壱岐」と表記する。
思い起こせば20年前、島の火葬場撮影を始めるにあたり、目標として考えていた撮影地の中で最後に残るのは「対馬・壱岐」か「隠岐」かのどちらかだろうと予想していた。
どちらかというと車でないと本土側の港や現地火葬場にアクセスが難しく、効率的に回るためにレンタカーではなく各島まで自家用車を航送する必要のある隠岐の方が後かと考えていた。
ところが、隠岐については西ノ島町斎場の建て替えが発表されたため、急遽先に訪問することになり、対馬・壱岐が後に残ったのである。
対馬・壱岐については、博多港へのアクセスも良く、フェリーもしくはジェットフォイルに乗船すればそのまま到達でき、船便もそれなりにある。
仕事終わりから向かっても、乗り継ぎがうまくつながることから、大阪からは相当の距離があるとはいえ訪問難易度自体はそんなに高くはない。
自家用車を持ち込まずとも、現地にはレンタカー各社が営業所を構えており、借りることに不便もない。
仕事帰りに対馬へ行くとなると、通常であれば、博多を0時5分に出港する九州郵船218便厳原行き夜行フェリーちくしに乗船することになる。壱岐島の芦辺港に寄港し、現地到着は4時45分である。
厳密にいえば、22時30分に出港する対馬北部の比田勝行き夜行フェリーうみてらしもあり、こちらの現地到着は3時25分である。希望すれば、船内で7時まで仮眠できるため、船旅に詳しい方であれば、こちらでもよいのではという向きもあるかもしれない。
しかし、仕事帰りという条件であれば、最速でも博多ふ頭到着が出港時間ギリギリになってしまって乗り遅れる可能性があることと、ホテルやレンタカー会社については厳原の方が充実しているため乗船候補から外したのである。
また、心配事として、休みの日はある程度選べても、当日の天候や波の状況は選べないので、外海での5時間近い航海にはかなりの不安を抱えていることがある。
島の生活物資輸送も担っているため、台風は別として多少波があったとしても簡単に欠航しないのは心強いが、それがため、波の高い日は多少の覚悟が必要となる。
数年前に訪問した隠岐では、低気圧の通過に伴い波が3メートルと高く、2時間半の乗船時間で危うくKOされかかったトラウマが払しょくできていない。
かといって、高速で揺れの少ないジェットフォイルを利用するには、翌日の午前10時台発となるため仕事帰りだと博多での宿泊が必要であり、対馬への到着時間も最速で12時45分となる。半日余分にかかるだけでなく費用も高額となりデメリットの方が大きい。
効率を優先すると、船酔いによる多少の体調不良可能性ありのリスクをとったとしても、行きは夜行フェリーちくし一択となるのである。
どちらにしても、ここをクリアしないことには島の火葬場撮影が完遂できないし、長崎県の火葬場フルコンプリートも成し得ない。
こうして大げさに覚悟を決めて、218便夜行フェリーちくし予約のために九州郵船のサイトを開いた。
サイトによると、予約は「2等指定」もしくは「1等」のみの受付で、経済的な「2等」(いわゆる、雑魚寝のじゅうたん席)については当日先着順で受け付けるようになっている。
「多客時は乗船を制限することがあります…」という注意書きが不安を煽る。
せっかく博多ふ頭まで到着しても、何らかの予約がなければ船に乗れず路頭に迷う可能性が示唆されているのである。
仕事終わりに最速の新幹線で向かったとしても、博多駅へは21時半頃、博多ふ頭へはバスを待つ必要があって22時10分頃の到着となる。
休みの日は平日に設定しているため、大口の団体が重なる等、余程のことがない限り多客による乗船拒否とはならないと思われるが、フェリーちくしに確実に乗船できるという担保がないと行程が破綻するため、思い切って1等を予約することにした。
当初は、2等指定にするつもりで詳細を調べていたところ、指定といっても大部屋のじゅうたん席と同様の設備で、12人もしくは16人の部屋の定員制自由席となっていて、毛布を敷くスペースが保証されている席であることが分かったため、荷物等の管理のことを考えて、より小さな部屋の1等にしたのである。
費用は2等に比べて3千円余分にかかるが、行程の確実性と安全性を考えて保険をかけたのである。まずは無事に対馬へたどり着かないことにはどうしようもない。
席を予約できても出港の30分前までには窓口で手続きをしなければならないし、1等と言っても2等指定と同様、定員制自由席であって良い部屋や場所を確保するには早くから改札に並ぶ必要もあるため、仕事終わりから向かうにはややタイトな行程であることは間違いない。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:43 No.6360

新幹線みずほ613号
そうして迎えた出発当日、終業のチャイムが鳴ると同時に脱兎のごとく会社を飛び出して新大阪駅へ向かった。
新大阪駅に到着した後は、駅構内で入念に買い物をする予定だったが、改札を入って驚いた。
なんと、駅構内が多くの人でごった返していたのである。たまたま、混雑する曜日・時間帯にあたってしまったようだ。
弁当やおみやげ屋さん、トイレの前にはいずれも長い行列ができており、とてもゆっくりと買い物ができるような雰囲気ではない。
駅の放送も、「混雑のため、お買い物やトイレは改札外の施設を御利用ください。」と言っているが、既に改札内に入ってしまったのでどうしようもない。
仕方なく、一番空いていそうなお店に並び、最低限の弁当と水を確保した。
今回は、新幹線だけでなく早朝到着の夜行フェリーにも乗船するため、夕食だけでなく翌日の朝食も確保しなければならない。
ただし、運悪く新大阪駅で買いそこなっても博多駅や港にはコンビニがあるのでリカバリー可能なのが救いである。
そうして慌ただしく18時54分発のみずほ613号に乗車し、定刻21時22分、博多駅に到着した。道中は極めてスムースで、わざわざここに書くようなことは起こらなかったが、さすが新幹線は安定感が違うと言わざるを得ない。
到着後は、博多口のバス乗り場に移動し、道路を渡って博多駅前Fのりばから99系統の西鉄バスに乗車する。
バス停には、発車時刻の20分前というのに、既にスーツケースを引いた方がかなり行列していて焦る。この方々が船のライバルとなるのか。これは手強そうだ。
寒風の中、待つのは大変だったが、乗ってしまえば概ね15分で終点の博多ふ頭に到着した。
意外なことに、スーツケースを引いた方の多くは途中で下車されて、終点まで乗っていたのは半分にも満たなかった。
なお、運賃は260円で全国共通鉄道ICカード乗車券が使用できた。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:43 No.6361

フェリーターミナル時刻表
そのまま建物の階段を上がってフェリーターミナル2階の窓口へ行き、乗船名簿を記入のうえ予約番号を伝え1等乗船券を購入する。運賃は8000円でありカードが使用できた。
その後、待合室で乗船のアナウンスがあるまで待機する。出港2時間前ではあるが既に乗船口の前には荷物で場所取りがしてあったため、最後尾に私の荷物を置いてベンチに腰を下ろす。
この待合室は、壱岐・対馬方面と五島方面の待合を兼ねている。
乗船口は2箇所あり、向かって右手が壱岐・対馬方面で、左手が五島方面である。
そういえば10年位前、五島列島を訪問した際に乗船した野母商船の夜行フェリー太古の時もここで待ったことを思い出す。
確か、待合室のテレビでは、ドラマ「半沢直樹」が放映されていた。やたら土下座させるのが好きな主人公だなと思っていたが、今はそんなことを求めるとパワハラやらカスハラやらで訴えられるようになり、時代が変わったものだと感じる。
五島行きのフェリー太古では、出港の2時間前から乗船できて睡眠を長く取れたのがありがたかった。その時は、早朝3時55分到着の宇久島で下船するため、出航時刻ぎりぎりの乗船であった場合は睡眠時間が足りず、体調不良等を危惧していたのである。
ただ、今回乗るフェリーちくしは、同じ乗り場に22時30分発比田勝行きフェリーうみてらしが接岸している関係で、その出港後でないと船が入港できないため乗船は約30分前からとなっている。
しかしながら、今回は、航海時間が5時間近くあり、終点でも希望すれば朝7時まで船内で仮眠することができるため、直前の乗船でも睡眠時間の確保という観点では大丈夫なのである。
先発のフェリーうみてらしが出港してしばらくたった23時10分頃、フェリーちくしがゆっくりと接岸した。
23時40分頃、乗船のアナウンスがあったため乗船ゲートに向かう。
2時間前に荷物で場所取りをしたためか、行列を見わたすとかなり前の方だった。これなら部屋を1番に押さえられそうだ。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:44 No.6362

1等船室「猿岩」
1等といっても1人1室の個室や座席ではなく、定員4人の部屋が6室、8人の部屋が2室あり、空いている部屋の空いているスペースを先着順で適宜使用するというものである。
そのため、早めに列に並んでおかないと先に無人の部屋に入れず、相部屋になる可能性が高まる。先にどなたかがいる場合、狭い部屋で「失礼します、お相伴させてください…」と言うのは相当の勇気がいる。
今回は、早めに列に並んだためか、「猿岩」という部屋に1番に入ることができた。なお、「猿岩」とは壱岐島にある名所の一つで、他の部屋にも壱岐・対馬にある名所の愛称がつけられている。
荷物を降ろし、毛布を整えて寝床の準備を行う。これ以降にどなたかが入ってこられて相部屋となってしまってもそれはやむを得ないことであり、入室を断るわけにはいかない。
何せ、同室をお願いするのと承諾するのとでは気分がかなり異なるのである。
4人部屋であるが、見てのとおり実際に大人が4人寝ると本当にスペースがない。
寝がえりすると隣の方にぶつかってしまうので、寝相の悪い方は注意が必要だ。
予約の際にも、「相部屋の可能性がありますがよろしいですか。」と念を押されたが、断れば予約してもらえないので仕方なく了承している。
そうしているうちに検札の船員さんが現れた。すかさず乗船券の半券を差し出す。
「終点の厳原では4時45分の到着時に下船するか、7時に下船するかどちらにしますか。」と尋ねられたため、「7時に下船します。」と伝えたところ、その場で乗船券の半券を回収されてしまった。
これでは私が1等を予約しているという証明がなくなってしまうため、今後うかつに船内をうろうろできないが、既に深夜帯であることから、もうおとなしく寝ろ、ということなのだろう。
検札の方が部屋から出られる際に扉を閉めていかれたので、本日、「猿岩」の4人用個室は私の貸切りが決定した。
いびきや寝返り等で他の方に気兼ねしなくてよいのは非常にありがたいことである。
1等には毛布と枕が事前に用意されている。2等じゅうたん席であれば、毛布を使いたければ先着順で使用料50円を支払う必要がある。ただし、当日も貸出の案内があって数分後には「数量に達したので締め切りました。」とのアナウンスがあったため、どうしても毛布を使用したい場合は早めに貸出窓口に並ぶことをお勧めしたい。
個室内にはテレビも設置されているが、0時20分には船内消灯となり、同時にテレビの電源も切れるため深夜に見ることはできない。
私は、なかなか家の布団以外では寝づらい質で、眠くなるまでテレビをぼーっと見るといった手段も封じられてしまった。
しかし、今晩に関しては無理やりにでも寝ておかないと翌日の行程に大きく支障する。行程上は、明日がいきなりクライマックスなのである。
手軽に手に入るお酒に頼ろうにも、直ぐに気分が悪くなってしまうため、やはり自力で寝なくてはならない。
睡眠に対し、かつてないほどのプレッシャーを感じつつ、寝転びながらスマホで最終的な行程やルートを確認しているうちに出港時刻0時5分となった。
ところが、時刻を過ぎても床下から伝わってくるエンジンの回転音が高くなる気配がないし船が動いているのも感じられない。
数分後、何らかの事情で出港が遅れているのかと思い、身を起して外に目をやると、景色が後ろに流れているのが見えて驚いた。
想像以上に静かで揺れの無い出港であった。船の動揺がないのはまだ博多湾内だということも多分にあろうが、今のうちに寝てしまえば船酔いを恐れる必要はなさそうだ。
そうしているうちに少し眠たくなったため目を閉じ、しばらくして目を覚ましたところ、寄港地である壱岐島東部の芦辺港に接岸していた。
時刻は2時15分を少々回ったところで、丁度、行程の半分といったところだ。再度目を閉じて次に気付いたときには既に厳原港へ到着していた。
船酔いもなく、体調にも異常は感じられない。
まずは良い滑り出しである。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:44 No.6363

フェリーちくし
対馬の厳原に到着したのは4時45分であるが、その時間に下船してもレンタカー会社は閉まっていて、かつ、観光も難しいため、最終下船時刻の7時まで再度仮眠する。
後程、港近くの広告看板を見ると、到着時4時45分からの早朝貸出に対応しているレンタカー会社もあることが分かったが、やはり、その時間に車を借りても、この時期はまだ外が暗く火葬場も閉まっているため持て余してしまう。ただし、遊びに来る際には利用する価値は高そうだ。
このフェリーは、厳原港に到着した直後に一度下船の機会があり、それが済むと以降はボーディングブリッジが外されて7時まで下船することができないようになっている。自由に出入りできるようにすると、出入口に係員を配置する必要があるし治安上の問題もあろう。
到着時に下船して夜明け前の厳原の町を散策し、気分を高めても良いのだが、そんな時間に私服ならまだしもスーツ姿でうろついて詐欺事件関係者といった不審者と間違われて職務質問でも受けようものなら面倒なことになる。
かといって「大阪から対馬と壱岐にある火葬場及び火葬場跡地を撮影するために来たのですが。」などと正直に言おうものなら「ちょっと署で詳しく。」となる可能性もある。
そのため、今回に関しては仮に船酔いがきつくて到着時にやむなく下船することになったとしても、むやみに出歩かず、夜明けまではターミナル内に留まっておくのが得策だろう。
そうしているうちに最終下船時刻の7時近くになってアナウンスもあったため船を降りる。
予約したレンタカー会社は7時からの営業である。
店舗は港そばのガソリンスタンドに併設されており、数分で到着した。
この時間の利用者は私だけであり、早くも7時10分過ぎにはレンタカーを借りることができた。
対馬島は、博多から約130キロ、韓国の釜山から約50キロの位置に浮かぶ離島で、南北に細長く80キロメートルほどあり、島の大きさランキングによると奄美大島に次ぐ面積を持つ。
ちなみに、対馬島の次が関西ではおなじみの淡路島となっている。
この島をあちこちの火葬場や火葬場跡地を巡りながら北向きに走っていくことになる。
一番北にある火葬場までは厳原から80キロ弱の道のりである。
そうやってみると改めて対馬の大きさ、広さが分かろうというものである。
それでは出発しよう。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:45 No.6364

厳原町営斎場跡地
まずは、厳原港近くにある厳原町営斎場跡地に向かう。
昭和49年10月に完成した火葬場であった。
ガソリンスタンド横の道を東に向かい、途中で左に折れて細くカーブの多い道を進んでいくと視界が開け、海の見える広場が現れた。
ここが厳原町営斎場跡地である。
海がよく見える立地のためかいくつかイスが設置され公園のようになっている。
ただし、草が生え放題のため、本当に公園として管理・使用されているのかは不明である。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:46 No.6365

厳原町営斎場跡地の日の出
丁度、朝日が昇ってきて辺りを照らす。
人家からも少々離れており、静かで非常に景色のよい場所であった。
理想的な葬送の場所だと感じた。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:46 No.6366

対馬市斎場「つつじの苑」石碑
次は、対馬市斎場「つつじの苑」に向かう。
北へ車を走らせること10分少々で到着した。
調べてみると、対馬はゲンカイツツジが有名であり、本来であれば「ゲンカイツツジの苑」としたかったところだろうが、微妙に長くて言いづらいため短縮して命名されたのであろう。
なお、ゲンカイツツジは平成16年発足の対馬市の市花になっている。
これは進入路脇にある施設名を示す石碑である。裏面を見たが特に何も彫られていなかった。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:46 No.6367

対馬市斎場「つつじの苑」
先ほどの石碑の角を曲がり道を上がったところにつつじの苑がある。
市街地から離れた山の中に建設され、静かな場所である。
住所は美津島町であるが、厳原町にも近く、両町からの利用に配慮している。
ここは平成14年に完成し、4基の火葬炉があり、対馬で最大規模の火葬場となっている。
調べたところ、この火葬場以前には、前出の厳原町営斎場や後述の美津島町営鶏知(けち)火葬場があったが、今では共に跡地となっている。
外観は円形の特徴ある施設である。向かって左手に火葬炉があり、右手に事務室がある。
建物の形はグーグルマップ等で空撮を見ると良く分かる。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:47 No.6368

鶏知火葬場入口
続いて、美津島町営鶏知火葬場跡地に向かう。
ここは、昔の地図で鶏知地区に火葬場があること自体は分かっていたものの、縮尺の関係でそのものズバリの位置が特定できないままでいた。
そこで、対馬市図書館に立ち寄り、住宅地図を確認して訪問することにしたのである。
職員の方に依頼して書庫から古い住宅地図を取り出していただき、ようやく鶏知火葬場の位置を特定することができた。
当初は、地番からこの画像の右奥付近かと推定していたが、実際には画像左奥に道が続いており、その突き当りにあったことが分かった。
早速そちらに足を踏み入れる。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:47 No.6369

鶏知火葬場道中
道路はもはや使われていないのか、至る所に落石や木の破片等が散乱している。
車を乗り入れることはどう見ても不可能なため、手前に駐車して徒歩で進む。
仕事帰りにそのまま来たため、革靴に穴をあけないよう注意を払う。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:48 No.6370

鶏知火葬場跡地
そうして進むこと数分、美津島町営鶏知火葬場跡地に到着した。
手前側には消えかけた駐車場のラインがうっすらと見え、右手奥には霊灰塔が2基設置されていた。
火葬場は画像奥側に位置していた。住宅地図によると建物の形はほぼ正方形であった。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:48 No.6371

鶏知火葬場霊灰塔
霊灰塔は前面や側面に穴があけられており、納められていた残骨灰については別の場所に移動のうえ供養されたものと思われる。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:48 No.6372

対馬市斎場「霊光苑」入口
鶏知火葬場跡地から北に30キロ走ると対馬市斎場「霊光苑」入口にたどりついた。
案内看板は、単に「火葬場」と記載されている。
非常に分かりやすくて良い。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:49 No.6373

対馬市斎場「霊光苑」
対馬市斎場「霊光苑」は旧豊玉町建設の火葬場で、平成5年に完成し、2基の火葬炉がある。
平成の建設ではあるものの対馬市斎場の中では一番古い施設となっているが、きちんと手入れされていて綺麗に保たれている。
ここは、廃止予定であったものが地元の希望で運営が継続されている。
しかし、長期的に廃止の方針が示されていて、大規模改修が必要と判断された時点で対馬市斎場「峰浄苑」に統合される予定である。
将来的には、上県の上県町、中対馬の峰町、下県の美津島町に各1箇所の火葬場が配置される予定である。
さすがに中央部の中対馬1箇所だけとすると、上県・下県からそれぞれ30キロ以上走らないといけないため、これ以上の大胆な統合は難しいだろう。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:49 No.6374

対馬市斎場「霊光苑」炉前
植栽の後ろに窓があったため、覗いてみる。
左手に火葬炉があり、左奥が収骨室となっている。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:50 No.6375

対馬市斎場「霊光苑」炉前
正面側から見てみると2基の火葬炉が見えた。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:50 No.6376

豊玉町営火葬場跡地
続いて、豊玉町営火葬場の跡地に立ち寄る。
資料によると、昭和44年度に建設されたそうである。
場所で言うと、道路を挟んで霊光苑の左後ろ側付近であるが、現在は空地となっている。
特に慰霊碑のようなものは見当たらなかった。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:50 No.6377

対馬市斎場「峰浄苑」
次は、北に13.9キロ離れた対馬市斎場「峰浄苑」に向かう。
旧峰町建設の火葬場で、平成13年に完成し、2基の火葬炉がある。
進入路入口脇に設置されている案内板には、峰町火葬場と記載されている。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:51 No.6378

対馬市斎場「峰浄苑」
案内看板の角を曲がり山を上って数分、火葬場に到着したものの、出入口がネットで厳重に閉鎖されている。休場日のようだ。
予習のため見ていたグーグルマップストリートビューでこのネットの存在には気付いており、対策としては少し手前に引いたアングルであれば建物全体を撮影できることが分かっている。
建物下部にかかるフェンスが少々気にはなるが、やむを得ない。
「峰浄苑」という愛称はあるものの、建物入口上部には単に峰町火葬場と掲示されている。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:51 No.6379

峰町営火葬場跡地
次は近隣にある峰町営火葬場跡地に立ち寄る。
ここは、峰村の時代の昭和44年に建設された火葬場であった。
対馬市斎場「峰浄苑」から直線距離では200メートル程であるが、進入路が入り組んでいるため一度東側に遠回りしていかなければならない。
くねくねとした細い道を通っていくと、右手に目指す空地が現れた。
特に慰霊碑や霊灰塔といったものはないようだった。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:52 No.6380

対馬市斎場「浄心苑」跡地
次は、対馬市斎場「浄心苑」跡地に向かう。
ここは、旧上県町が昭和53年に建設した火葬場であり、対馬市図書館で町史を読んだところ、建設当時、対馬で初めて無煙無臭炉を設置したとのことである。
それ以前には、昭和25年度に集落で建設された薪式の火葬場があったが、老朽化や燃料の入手困難等で浄心苑の建設につながった。
国道から脇に逸れて細い道を進み、更に右側に曲がって進むと突き当りに跡地がある。
ところが、進入路途中に柵が設けられており、これ以上進めない。
林の向こう側にうっすらと跡地が見えるのに残念である。
無理やり撮影してみたところ、空地と空地右手側に慰霊碑らしきものが建立されているのがかすかに見えた。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:52 No.6381

対馬市斎場「浄華苑」入口
次は、対馬市斎場「浄華苑」に向かう。
対馬市斎場「浄心苑」跡地からほどなく対馬市斎場「浄華苑」入口に到着した。
看板は単に「浄華苑」との記載で、知らなければ火葬場とは分からないようになっている。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:53 No.6382

対馬市斎場「浄華苑」
坂道を上りきったところに「浄華苑」が現れた。新たな場所に建設されただけあって、山の上の奥まった静かなところに位置している。
入口側に火葬棟がある。
ここは、かつてあった旧上県町建設の「浄心苑」と旧上対馬町建設の「清華苑」の統合施設となっていて、平成21年に完成し、2基の火葬炉がある。
施設名も、統合された2箇所の名称の合成となっていて、双方への配慮が感じられる。
各町史を読むと、上県町と上対馬町は対馬市になる前から統合火葬場の建設を計画していたことが分かる。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:53 No.6383

対馬市斎場「浄華苑」
奥側から撮影した。
敷地と建物が細長いため、微妙に撮影が難しい。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:55 No.6384

対馬市斎場「清華苑」跡地
次は、対馬市斎場「清華苑」跡地に向かう。
ここは広い通り沿いにあり、アクセスは比較的簡単である。
あっさりと跡地入口に到着したが、門で封鎖されている。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:55 No.6385

対馬市斎場「清華苑」跡地
門から撮影した。
奥を見ると、太鼓橋を渡って右手側に跡地が見える。
よく見ると、跡地左奥側の建物があったと思われる場所には植樹がなされていた。
さて、無事撮影も終わったので、行きとは逆に対馬を南下し、厳原のホテルに向かう。
スケジュール上は、帰りがけにも撮りなおしをしたい火葬場や跡地に立ち寄れるよう考慮していたが、特にやり直したい火葬場はなかったため、途中で韓国展望所に寄ってから厳原に帰ることにした。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:56 No.6386

韓国展望所から見た釜山方向
韓国展望所から見た景色である。
その名のとおり、見通しがよければ50キロ先の釜山広域市を望むことができるが、この日は霧が出ていて肉眼では韓国の山がうっすらと見えたものの、釜山の街は見えなかった。
掲示してある写真によれば、夜間には釜山の街の灯りが見えるようだ。
その後、地元のスーパーで食料等を買い込み、厳原のホテルにチェックインした。
当初は、経費節減のため車中泊を考えていたが、前日に船中泊(風呂やシャワー設備なし)をしていて、2日続けて風呂に入らないのは周りに迷惑をかけるので、自制してホテルで汗を流すことにしたのである。
お酒が嫌いで繁華街で遊ぶ習慣もないため、取材の夜はホテルで火葬場仲間内に撮影したての写真や資料を送り付けるなどしておとなしく過ごすのが通例である。
多くのブロガーのように、現地の料理と酒を並べることができれば、かなり映える写真が撮れるだろうが、お酒に弱いため翌日の行程を考えるとおとなしくせざるを得ないという方がより適切かもしれない。
昨日からやわらかい布団で寝ていないため、夕方に風呂に入ってから横になると直ぐに寝入ってしまった。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:57 No.6387

フェリーきずな
翌日の朝は撮影予備日としていたが、特に撮りなおしの火葬場もないため、対馬市図書館で各種資料を見るなどした後、近隣の観光をする。
その後、お土産を買い込んでから車を返却し、早めの14時頃に厳原港国内ターミナルへ到着した。
次は、今回の最終目的地である壱岐島に向かう。
船は15時25分発のフェリーきずな227便博多行きで、対馬発なので利用者も少ないとみて先着順の2等じゅうたん席とした。運賃は3040円である。
実際、オフシーズンの平日なこともあってか、厳原出港時には余裕のある船内で、広いじゅうたん席1区画につき各数人程度の旅客であった。
この船は、うっかり寝過ごすと博多まで連れていかれるため、じゅうたん席で横にならずにできるだけ船内を歩き回ったり、デッキに出て外の景色を眺めたりして寝入らないようにした。
仮に博多まで行ってしまうと、20時過ぎという到着の時間から自宅に帰ることができる最終列車連絡の新幹線に乗り継げず、博多もしくは新大阪で宿泊するか、再度、対馬・厳原行の夜行フェリーちくしで折り返して朝の2時過ぎに壱岐島の芦辺港に到着し朝まで路頭に迷うかという選択を迫られる。
そんな金だけかかって何も得るものがない罰ゲームはしたくないため、コーヒーを駆使するなどしてなんとか睡魔に打ち勝ち、定刻通り17時30分に壱岐・郷ノ浦港に到着した。
旅客は私を含め7人ほどが下船した。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:57 No.6388

郷ノ浦港
壱岐島は、博多から北西に約80キロ離れた場所に浮かぶ離島で、かつて4つの町が存在していたが平成の大合併で一つになり、壱岐市となっている。
本庁舎はこの郷ノ浦町に置かれている。
予約していたレンタカー会社は18時閉店で、店舗までは港から徒歩15分位かかり、時間ぎりぎりになりそうで焦っていた。
ところが、フェリーを下船すると、港まで社員の方が車ごとお迎えにこられており、その場で手続きをして料金を支払い車を借り受けることができた。30分程度の時間を節約でき、非常にありがたいことである。
ただし、港で支払いをするため、カードは使用できず、現金のみの取り扱いとなっている。
その足で、壱岐葬斎場「ひなたの丘」に向かう。
時刻は18時近かったが、大阪に比べて西にあるためか、この時期でもまだ日は沈んでおらず、明るいうちに撮影ができそうである。
火葬場は、郷ノ浦港から約6キロ北に行った地点にあり、少なくとも先々代の施設からこの位置にあることが分かっている。
ここは2020年に建て替えられた新しい火葬場である。
先代施設は昭和62年、先々代施設は昭和45年に建設されており、比較的建て替えが早いサイクルで行われている。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:58 No.6389

壱岐葬斎場「ひなたの丘」
郷ノ浦町市街で少し混雑したものの、港から15分程度で「ひなたの丘」に到着した。
進入路入口ではまだ新しい看板が出迎えてくれる。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:58 No.6390

壱岐葬斎場「ひなたの丘」
道を上がって行くと程なく火葬場が現れた。
令和の建設で、まだまだ新しい。
見たところ、非常にシンプルな造りで、無駄がないように見えた。
建物右方向には、庇付の通路が伸び、駐車場から濡れないで建物内に入ることができるように配慮されている。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:58 No.6391

壱岐葬斎場「ひなたの丘」駐車場(旧施設跡地)
現在、駐車場になっている左奥あたりが旧火葬場の建っていたところである。
各郷土資料を見ると、次のことが分かった。
・明治33年、南触に火葬場が出来た。
・昭和30年、勝本町が鯨伏村と合併する際に神岳火葬場が存在していたが、山深いところにあり遠く、かつ非衛生な施設て利用が少ないため適当な場所に簡易火葬場を建設する計画があった。
・昭和36年12月時点で壱岐保健所管内に19箇所の火葬場があった。
・昭和45年4月1日に壱岐郡火葬場(先々代施設)が供用開始した。
以上のように散発的なことは分かるが、先々代以前の火葬場について体系的に説明できるだけの情報はまだ得られていない。
昭和45年に、この地が壱岐島の火葬の地となって半世紀以上が経過した。
遠い将来、この火葬場が建て替えとなった場合でも、これまで同様に隣接地に建設されるのだろう。
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名前:こむすび
:2025/04/02 (水) 19:59 No.6392

壱岐葬斎場「ひなたの丘」から見た夕日
長い一日が終わり、日が暮れていく。
ひなたの丘という名称のイメージから、朝日が良く見えるのかと思っていたが、実際には夕日が映える立地であった。
これは現地に来てみないと分からないことであった。
火葬場を見に来ただけとはいえ、夕日を見ると、明日の朝にはもう壱岐を離れるのかと少し寂しい気分になる。
撮影も終わったので、一度、郷ノ浦市街に戻り、地元のスーパーで食料を仕入れる。
各種口コミを見ると、寿司や刺身がお勧めとのことだったので、それに従う。
また、壱岐のおみやげコーナーもあり、ついつい色々と買い込んでしまった。
宿は郷ノ浦町ではなく、北部の勝本町に取った。
予約した宿には温泉が併設されており、非常にリラックスすることができた。
ただし、ナトリウム塩化物泉であったため、風呂上がりには良く落としておかないとべとつくことがあるので注意が必要だ。
明日は、特にやり直しの取材をする必要はないが、船の時間が早いため寝過ごさないようにしなければならない。
目覚ましをセットすると、丸2日間も車でフル稼働したためかすぐに寝てしまった。
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名前:こむすび(本投稿最終)
:2025/04/02 (水) 20:00 No.6393

ジェットフォイル「ヴィーナス」
さて、翌日の早朝、宿をチェックアウトしてガソリンスタンドにて給油し、そのまま郷ノ浦港に向かった。
給油はわずか2リットルであった。何となく店員さんに申し訳ない気分になったので、カードはやめて現金で支払った。
車貸出の際に説明を受けたところによると、返却は郷ノ浦港駐車場の空いている場所に停めておけばよいとのことである。
恐らくGPSが装着されていて駐車場所を探索できるようにしているのだろう。
返却時には、車内に満タン給油証明書とカギを一緒に置き、その後、レンタカー会社に車を港駐車場に停めたという連絡をする必要がある。
博多行きのジェットフォイル122便は9時20分発なので、余裕を持って8時前には港に到着した。
壱岐島は15時間程度の短い滞在時間で、図書館での資料閲覧や観光は全くできなかったところは反省点である。再訪の際は、図書館や一支国博物館等にも寄ってみようと思う。
ターミナル内に入ると既に出札窓口は開いていたので、乗船名簿に予約番号を併記してジェットフォイル乗船券を購入する。運賃は6210円である。
ジェットフォイルといえば、かつて五島の福江から長崎まで九州商船のものに乗船したことがある。
高速で揺れも少なく極めて快適であったが、翼走時には80キロ超という高速になることと、旋回時には飛行機同様、船体を傾けて曲がるためシートベルトの着用が義務づけられている。
本来であれば、出港の状況を撮影して締めの写真とするところだが、そのような事情で乗船後は歩き回ることが難しく写真撮影はできなかった。
出港時間になると、キュイイーンというガスタービンの高い音が響き船は動き出した。
窓から眺めると、フェリーとは比べ物にならない加速で郷ノ浦港や壱岐島が遠ざかっていく。
対馬市斎場「霊光苑」を除いては、当面廃止・統合・建て替えはなさそうなので、再訪するとしてもそれなりに時間が経ってからになるかもしれない。
これで対馬・壱岐の現役火葬場については全て訪問することができた。
仕事帰りの夜行フェリー乗船から始まった3泊4日にわたる島の火葬場訪問は、あっという間に終わってしまった。
その長いようで短かった行程を思い返しているうちに、10時30分、船は博多へ入港した。
ああ、これで終わりなのか…
否!、まだまだ私の火葬場訪問は終わらないのである。
なぜ、壱岐島での余裕時間や図書館資料閲覧の時間を削ってまで、夕方ではなく朝一のジェットフォイルに乗船したのか。
それは、朝一の便だと午前中に博多へ戻ってこられるので、その後の時間を最大8時間程度、福岡県や佐賀県の未訪問火葬場の撮影に充てられるためである。
体調や翌日からの勤務を考えると、素直にそのまま新幹線で帰阪して夕方から家でおとなしく過ごすのが正しいサラリーマンの姿であるとは思われるが、遠方に来る機会がそうないため、悪い癖で日程を詰め込んでしまうのである。
そうして、ジェットフォイルを下船するとそのまま博多ふ頭のバス停へ向かった。既に47系統の博多駅経由那賀川営業所行きバスが待機しており、急いで乗り込む。
30分後にはレンタカーに乗り、未訪問の火葬場に向けて運転していることだろう。
こちらのスケジュールは島の火葬場ほど厳密には決めていない。
その時の気分によって行き先を決めるつもりだ。
まずは…西の方から行ってみよう。