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(作成中)

2011年3月11日、東日本に大きな被害をもたらした東日本大震災。
火葬場の被害は、名取市を除いて軽微なものだったようです。
震災当日は友引日で、休業日であったり火葬の入ってない火葬場が多かったみたいです。
ここも当日は人体の火葬は無かったそうです。
ここは、海の近くという事もあり津波で甚大な被害を受けました。
火葬場というのは、市街地から離れた所に建てられるケースが多く、山の奥に追いやられている事も多いです。
山だったら大丈夫かといえば、がけ崩れで大きな被害を出したという事も時々聞きます。

3月12日に国土地理院が撮影した名取市斎場付近の航空写真です。
左画像の中央左にあるのが斎場で、その右側に名取市でも特に大きな被害を出した閖上(ゆりあげ)地区が見えます。
右画像は斎場を拡大した写真です。

入り口は海の反対側にあるせいか、大きな損傷はないようにも見えます。

が、横に回ると内部は大きく破壊されている事が分かります。
ここは待合室のはずなのですが、内装は完全に無くなっています。
火葬棟の1階は水没し、2階の機械室床まで水が来たそうです。
炉も完全に水の下に沈み大量の瓦礫も流れ込んだせいで、火を使う火葬場としては致命的な被害と言えます。
14日に名取市から炉メーカーに復旧の要請があり、25日には2炉を仮復旧させ火葬業務を再開しました。
10日余りで復旧させるのは、被害の査定や復旧計画の策定、瓦礫の撤去などもあるので、かなり早かったのではないかと思います。
28日には全4炉が仮復旧し、1日16件の火葬を行うようになりました。
4月11日からは1日24件の火葬を行うなど、フル稼働以上の能力を発揮したようです。

入り口、車寄せの部分です。

最低限の補修はされていますが、震災当時のままのようです。
国の被害査定が終わるまで、本格的に手を付ける事が出来ないといった事情があるようです。

天井まで水に漬かった事が分かります。

このような状況だと、利用者の方にとっては快くは思わないでしょうし、津波被害に遭われた利用者の方にしてみると、震災当時を思い起こす事もあるでしょう。
これでは悲しみの上塗りのような気がします。
事情がある事は分からないでもないですが、もう少し何とかならないのかと思いました。

鉄筋コンクリートの建物なので、躯体自体には損傷はありませんが、細かい部分は破壊の跡が残っています。
建物内は使えない状態なので、外に仮設のトイレがありました。
待合室が使えないので、火葬中は外で待ったりなさっているらしいです。
名取市斎場は、デザイン性の高い火葬場で有名な火葬場です。
いずれ、元の美しい姿を取り戻す事でしょう。
閖上地区

すぐ近くの閖上地区は、住宅などの広がる街です。
街の中程にある日和山から閖上地区全体を見回してみます。

遠くに斎場も見えました。
震災前の写真を見ると、ごくごく普通に家々が建ち並んでいました。
震災前だと見えなかったのかも知れません。

閖上中学校です。
震災時はNHKがヘリから空撮をしていた辺りです。
あの映像は、世界中に配信され世界中の人々が震撼し、そして世界中の人達が日本で何が起きているか知る事となった映像だと思います。

真ん中の写真、奥の右側の白い建物は閖上公民館です。
NHKスペシャル巨大津波「その時ひとはどう動いたか」という番組によると、公民館から中学校までの道は、最も多くの犠牲者を出した場所との事でした。
それを踏まえると、机に書かれた文字の訴える大きさをひしひし感じます。
一日も早い、心の復興をお祈りします。
あの日 大勢の人達が 津波から
逃れる為 この閖中目指して
走りました。
街の復興は とても 大切な事です。
でも 沢山の人達の命が 今もここに
ある事を 忘れないでほしい。
死んだら終わりですか?
生き残った私達に出来る事を考えます。
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