東日本大震災 広域火葬協力(千葉県)

千葉市斎場 さくら斎場

広域火葬

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(作成中)

千葉市斎場

  広域火葬  広域火葬

甚大な被害をもたらした東日本大震災。
火葬が追いつかなくて、各地で仮埋葬が行われるという信じられない事態になりました。
大規模な仮埋葬というのは、太平洋戦争の東京大空襲の時に仮埋葬が行われ、それ以来の出来事だと思います。
戦時に相当する非常事態と言えます。

4月に入って、千葉県が被災地からの大規模に火葬の受け入れを行いました。
約1ヶ月間に渡って火葬を行いました。
個人が他の地方で火葬を行う事は、今までの災害でも多くありましたが、自治体が自治体に大規模な火葬協力をするというのは初めての事ではないかと思います。
ご遺体の傷みも限界にきた事から、身元の判明が著しく困難なご遺体から他都県で火葬を行ったようです。




  広域火葬  広域火葬

朝7時半、千葉市斎場に着くと、陸前高田市からのトラックは既に到着していました。
遠路遥々徹夜で走ってこられたのでしょう。
神聖且つ物凄く頼りに見えます。
長期間に渡り霊柩輸送を滞りなく行った運送会社は、会社始まって以来、最も重要な輸送業務を行ったと言って過言ではありません。
市から社名が判らないようにという話しだったので、どこの会社かは書きませんが、さすが○○!

トラックで柩を運ぶというのはチョット・・・
と思っていたのですが実際に目にすると、それは間違いだったと感じました。
質素な葬儀は心が篭ってないかといえば違います。
それと同じで、トラックという先入観で見る事は良くないですね。




  広域火葬  広域火葬

トラックが火葬棟に横付けされました。
記帳や献花台が用意されています。
お見送りのために社会福祉協議会の方々がいらっしゃっていました。
お花が写っていますが、宗教者の方々の調整や花店や生協から献花用の花を寄贈を募るなど、見知らぬ土地で荼毘に付される犠牲者の方々が寂しくないよう尽力されました。



  広域火葬  広域火葬

宗教者の方々も見えられ、柩を降ろす作業に入ります。



  広域火葬  広域火葬

トラックの運転手さん方は、なんか物々しい服装をしています。



  広域火葬

降ろされた柩は、入り口前に運ばれます。



  広域火葬

入り口前では、柩の上に寄贈された花が置かれました。



  広域火葬  広域火葬  広域火葬

そして、僧侶の読経と参列者の合掌に送られて、柩は中に入って行きました。



  広域火葬

正確に、そして礼を尽くされた作業が続きます。

この日は、陸前高田市から36体のご遺体が運ばれました。
空になったトラックは、前回火葬したご遺骨を積んで陸前高田市へ戻って行きました。



  広域火葬

作業を終えてヒッソリした車寄せには、火葬の終わる夕刻まで僧侶の読経が途切れる事はありませんでした。





さくら斎場

  広域火葬  広域火葬

千葉県で受け入れてるもう一ヶ所の火葬場、さくら斎場。
通常営業日の火葬業務が終わってから火葬というパターンです。
なので、火葬や式場の会葬者も多く近く写真は一枚もなし。

バスで斎場に向かう途中に岩手ナンバーのトラック2台とすれ違う。
そのトラックはさくら斎場受け入れ分の柩を降ろした後、千葉市斎場に向かうようです。
千葉県の当初の最大受け入れ可能数は約300体で、千葉市とさくら以外にも受け入れ可能な火葬場はありました。
(各火葬場の受け入れ可能数を見せて貰ったんだけど、各火葬場の1日当たりの受入数は少なかった)
そこで、輸送の都合など効率性を考慮し比較的大規模な2斎場を使用したようです。
千葉市斎場の受入数が少ない日をさくら斎場が補完するという感じです。
柩を載せてきたトラックは、帰路は前回火葬した骨壷を運んで帰るというパターンでした。
火葬した後は、次の受入日まで各斎場でお骨を保管という事ですね。

斎場に到着した時は既に柩は場内の告別室に安置したとの事でした。
陸前高田からのトラックは昼頃に到着して、通常の火葬が一段落して告別室に余裕が出てきてから降ろしたようです。
まだ場内には会葬者が多いので、時間が来るまで自販機コーナーの片隅で小さくなって待ちました。
そのうち僧侶や社協の方々も続々と来られている様子。
儀式が行われる告別室を見に行くと準備もだいぶ整ってきた。
さくら斎場の告別室は3室、儀式用と柩安置用に2室使い、儀式用の告別室には、棺運搬車に載せられた四つの柩と焼香や献花用の台がありました。

柩には、それぞれ米崎中300番台の数字がマジックで書かれていた。
米崎中というのは遺体安置所になってる中学校名、数字はそこで何番目に検視されたという事でしょう。
それまでは遠い地の話しという気持ちがどこかにあった。
でも柩に書かれた文字を見て一気にそんな気持ちが吹き飛びます。
一度に多くの柩を見るのも初めてだし目の前に犠牲者の方がいらっしゃるという事は非常に重い事です。

準備も整い静まり返った告別室。
まだ僧侶や会葬者の方々も居ない。
画像により丁寧な様子を伝える事が出来れば意義があると思い、今なら大丈夫かと思い写真を撮らせて貰えるよう頼もうとチト思ったんだけど、写真を撮るような気分になれない。
静かに見ず知らずの犠牲者の冥福を祈る事にしました。

そうこうするうち、僧侶や社協の方々など続々と告別ホールにお越しになりました。
告別室の入り口には、献花用の花が用意され一人一人がお持ちになり暫し待ちます。
お坊さんは10名ほどでしょうか、告別室でお経を唱えられはじめました。
大勢のお坊さんの唱える読経の中、一人一人全員が焼香と献花をしました。
そして、全員炉前ホールに移動です。
暫くすると、告別室から柩が運ばれて来ました。
各柩の上には、お花が綺麗に添えられていました。
化粧扉の前に位置に柩運搬車が止まります。
化粧扉が開くと、中はブルーの前室照明が点っていました。
そして、全員が合掌して最後のお見送りです。
受け入れ数が比較的数が少ないとあって、通常のお葬式で火葬場を利用するのと同じような形でした。

このように、多くの方が丁重に最後を見送られました。

通常と違うところは、多くの柩が同時に、そして身内の方がこの場にいらっしゃる事が出来なかったという事です。
一日も早く身内の方々の元へ帰られる事を願いつつ、ご冥福をお祈り致します。




陸前高田市

  広域火葬  広域火葬





気仙沼市鹿折公営墓地

  広域火葬








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