*画像をクリックすると拡大画像が別ウィンドウで開きます。 2011年6月1日から供用開始されている泉大津市営火葬場「ゆうしお」です。 新火葬場の前に、それまで使われていた旧施設を見てみましょう。 旧火葬場は暫く前に撮ったもので、廃止になるまでにまた来ようと思いながら、結局行けなくて写真はあまり撮っていません。 旧火葬場は、市の中心に近い広い墓地の中に火葬場はありました。 江戸時代から続く歴史のある墓地と火葬場です。 当初はお寺が開設した火葬場で、近隣のお寺と共同で会社形式で経営となったりしながら、昭和17年に市営火葬場となりました。 この建物は昭和43年に完成しましたが、それまでは、この六地蔵のある場所付近にあったようです。 昭和50年代に無煙化して煙突が無くなりましたが、それまでは正面に向かって右側に高煙突がありました。 屋根には、擬宝珠と無煙化した時に新たに付けられた機器が載っています。 排気口付近には煤などは付いていないように見えます。 再燃焼炉付の設備でも古い所は煙が出る事もありますが、ここは煙は殆ど出なかったのではないかと思います。 火葬場のすぐ脇に見慣れない形のお墓があると思ったら、日露戦争時のロシア兵墓地でした。 (詳しくは案内板をご覧下さい) 地元住民が墓地を提供し、物凄く大切に守られている事が分かります。 これも大阪府内にある墓地の中の火葬場です。 公営ではなく地元自治会が経営する火葬場です。 先の泉大津市は寺院経営(正確には民営)の火葬場を市営化しましたが、公営化する事なく地元の住人に守られている火葬場は、少なくなったとはいえまだまだあります。 いつも何時も感じる事は、古くからの火葬場のある墓地は、手入れがとても良く行き届いている事です。 この2つの墓地も例外ではありません。 先祖を大切にする事を特に重視しているのかなと思ってたのですが、 ロシア兵墓地を見ると、家や国や宗教宗派を超えて、弔いの心を大切にしているのかなと思いました。 新火葬場に戻ってきました。 市の中心から外れて、倉庫街などに囲まれた細長い敷地に建っています。 細長く比較的狭い土地で、どんな火葬場になるんだろうと思えば、コンパクトな施設なせいか特に違和感はありません。 過剰な設備にする事はしないで、無理に色々なものを詰め込まなかったのが良かったのかも知れません。 館内平面図 敷地に入ると、左側はペット火葬や職員用のエリアで、右に行くと入り口や一般駐車場があります。 駐車場から見た火葬棟です。 小さな庭園は目隠しも兼ねているのか、敷地周りの木々と相まって、殺風景な立地である事を感じさせません。 車寄せから中に入ります。 入るとエントランスホールで、両端の通路を進むと炉前ホールがあります。 告別室はありませんが、1日最大でも5件(受け入れ時間は1時間間隔)の火葬ですので、特に不都合はないのでしょう。 個人的にも、最後のお別れは炉前で行う事が出来るなら、その方が良いと思います。 中2つの扉は収骨室への入り口です。 炉前ホールで、炉は4基です。 大きな窓があると、開放感があって良いですね。 炉扉は、壁面扉付のタイプです。 収骨室です。 狭いながらも収骨前室があるので、収骨室の扉が開いていても直接は外からは見えないようになっています。 待合ホールです。 個室の待合室はありません。 市域も狭く火葬場で待つ事もあまり無いので、待合スペースは予備的なものなのでしょう。 待合関係は簡素化されていますが、必要なものは十分に整っています。 更衣室があると、遠隔地からの会葬者は、火葬場で着替えてそのまま帰る事も出来そうですね。 市の隅っこに追いやられた新火葬場。 でも、古くから伝わる「弔いの心」は、これからも大切に伝えられる事でしょう。
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