*画像をクリックすると拡大画像が別ウィンドウで開きます。 2011年11月1日に供用開始になった新しい秋田市斎場です。 新斎場を見る前に、市内に2ヶ所あった旧施設を見てみましょう。 旧 雄和火葬場 まずは雄和火葬場です。 合併前の旧雄和町から引き継がれてました。 昭和39年に開設されて、昭和63年に改築され使われてきました。 なので、この建物自体は比較的新しいです。 雄和火葬場の経緯については、廃止後の11月6日の秋田魁新報で紹介されていました。 そうでなくてもマスコミで紹介される事の少ない火葬場、それも消え去った火葬場が記事になる事は非常に珍しいです。 以下、11月6日の秋田魁新報から一部引用させて頂きます。 ▼雄和火葬場は今から47年前の1964年12月、雄和村営火葬場として業務を始めた。 そのころの雄和村は脳卒中の死亡率が全国平均より高く、村を挙げて健康診断や食生活の改善、住環境の見直しに取り組んでいた (省略) ▼脳卒中が県民病と言われた時代である。 県は脳卒中の研究と治療をする病院の建設構想を持っていた。 その病院をぜひとも雄和村に欲しい。聞けば、病院では解剖検査がある。 遺体を扱うことになる。ならば火葬場をつくって誘致運動しよう ▼かくして村営火葬場が完成。 住民の利便性は向上したが、病院は秋田市に建設されることになった。 現在の脳血管研究センターである。 国道も鉄道も通っていない雄和村では、全県から患者を集めるには不便すぎた ▼誘致政策としての火葬場建設とは突拍子もないことのようだが、当時の雄和村長、工藤清一郎さん(92)は「条件整備として、村ができることをしようと決断しました。 解体は寂しいことです」と語る。 時代の物語を秘めた火葬場は、年内に解体を終える。 炉数1基の小さな火葬場です。 管理人室の扉周りだけ見ると、ペンションの管理人室のような雰囲気ですね。 洒落た外観もそうですが、火葬場らしくない火葬場を目指した事が伺えます。 昔は石材などを用いた重厚さを演出する炉前が多かったように思いますが、この扉のお陰で随分と柔らかい雰囲気になり、個人的には良い感じだと思いました。 秋田県の風習として、告別や火葬中に祭壇にお水を供える事が行われます。 お水は何度も何度も取り替えられるそうで、その為の水汲み場が炉前ホールにありました。 お水を入れる器はグラスでも紙コップでも何でも良いらしく、水場の上にはグラスや湯飲みが用意されていました。 炉前の横はスグに待合エリアになっています。 個室の他に待合ロビーが備わっていますが、火葬炉1基ですので当然の事ながらロビーも占有出来ます。 1棟丸ごと貸切状態というのは、今の時代、なかなか贅沢な作りですね。 また、待合室と炉前が隣接している事から、お水の取り替えも容易に行えます。 そういえば、ここまで小じんまりした火葬場を拝見したのは初めてでした。 誘致する筈だった病院は秋田市に建てられ、合併後は秋田市斎場に統合されと、ちょっと不運な歴史を辿った火葬場。 秋田の山々に囲まれたの小さな雄和火葬場、個人的にお気に入りです。 旧 秋田市斎場 新斎場の供用開始と同時に廃止になった旧秋田市斎場です。 この建物は昭和57年から使われてきたものです。 秋田市斎場は、秋田火葬場として昭和8年に創業しました。 伝染病棟に付属するような形で市街地にあったようです。 旧土崎港町にあった土崎火葬場と統合するような形で、昭和31年に現在の場所に新たに建てられました。 その後、同じ場所に昭和57年改築、そしてまた同場所に現在の新しい秋田市斎場としてスタートしました。 新斎場の裏側に当たる所で、解体後はこの場所は駐車場等になる予定です。 そういえば、火葬場を見る時は、新しい火葬場か古い火葬場ばかりで、昭和60年前後頃の火葬場を見る機会はあまりありませんでした。 長煙突のあった古い火葬場も短煙突化されている所も多いですが、ここは当初から再燃焼炉付きの短煙突の火葬場です。 裏側に周ると目隠しで覆われた煙突が見えました。 無煙の火葬場といっても比較的古い所は多少の煙は出るもので、囲いの辺りが黒ずんでる所もよく見ますが、ここは煤の類が全然見えませんね。 車寄せは比較的大きめで風除けもあり、冬場の天候の悪い日でも風雪が和らぎそうです。 天井は秋田らしく綺麗な木材が張られていました。 中に入ると告別ホールがあり、その奥に炉前ホールがありました。 雄和火葬場にもあった水汲み場が両側2ヶ所にあります。 お水を供える事を重要視するせいか立派な水場ですね。 広く天井の高い空間で、ここも天井には木材がアクセントになっています。 広い空間ではありますが、火葬中にもお水を取り替える方が出入りするので、混み合う時は混み合うそうです。 それにしても、広いホールです。 炉前ホールの横に収骨室がありました。 化粧扉の上に花をあしらった装飾がありましたが、火葬中はランプが点いて光るんですかね。 聞くの忘れました。 告別ホールの横を進むと待合エリアになります。 旧秋田市斎場は、建物は高さもありボリュームのある建物で、重厚感のある火葬場です。 雄和とは規模も違うという事もありますが、同じ時代の火葬場でも随分と違う感じがしました。 新 秋田市斎場 最後になりましたが、新しくなった現在の秋田市斎場です。 施設の概要と平面図は下をご覧下さい。 施設概要・平面図 シンプルで効率良く纏められた外観ですが、車寄せの木のルーバーのお陰で冷たさや味気なさを感じない外観です。 火葬場という施設は、良くても悪くても利用者にインパクトを与えない外観が良いと個人的には思います。 故人とのお別れの思い出になる場所ですので、建物が主張して、その思い出に割り込む必要はないと思うからです。 そういう意味では、建物が主張しない、かといって味気なくもない、と、バランスの取れてる外観だと思います。 旧斎場より更に大きくなった車寄せです。 大きくなると暗くなるので、入り口付近が暗くならないよう天窓が設けられていました。 風雪の強い時でも、これなら大丈夫ですね。 車寄せの天井の雰囲気、旧斎場のそれと似ています。 中に入ると告別ホールです。 エントランスホールと通路を兼ねた空間です。 ここの天井も、旧斎場の告別ホールと同じように木材がアクセントになっています。 平面図を見て分かる通り、火葬炉が4基並んだ告別室と収骨室が1ユニットとなり、それが3ユニットあります。 同時刻に3件の火葬を受け入れる事の出来る構造です。 1つの告別室の入り口は2ヶ所あります。 告別室に入り口がなぜ2ヶ所も必要なのか。 入り口には祭壇と小さなスペース、それに水場があります。 旧施設で述べたように、祭壇にお水を供え、火葬中はそれを何度も取り替える風習があります。 新施設は規模も大きくなり待合室は2階にある事から、待合室から祭壇までの距離が大きくなっています。 待合室から祭壇まで何度も往復するのは大変ですので、祭壇用のスペースと少人数が滞在出来るスペースがあります。 他の葬家の火葬の時は、もう1ヶ所の入り口を利用するという訳です。 告別室です。 最近流行の炉前を分割したタイプです。 昔からの家が多いせいか会葬者数は比較的多いそうです。 1室に炉が4基という事もあり、このタイプの告別室としては広い方ですので、会葬者が多くても対応し易いのではないかと思います。 ここにも告別で使う水場がありました。 炉扉も最近はよく見る壁面と同化するタイプです。 収骨室です。 すぐ横には告別室があります。 この地域は骨葬で、お葬式の前に火葬を行います。 東北は太平洋側の地域がが骨葬だと思っていたのですが、かなり広い地域が骨葬のようですね。 また、収骨方法は全体収骨で、細かいお骨まで拾うそうです。 いわき市でもそうだったのですが、骨壷も関東より一回り大きいものを使う場合もあるそうです。 告別ホールの奥に進むと、2階に上る階段とエレベーターがあります。 階段を上ると待合ホールがあります。 待合ホールの窓越しに旧斎場が少し見えています。 待合室です。 給湯室と狭いながらも畳敷きがありました。 新しくなった秋田市斎場。 地域の風習を考慮し、木材の使い方なんかも旧施設のイメージを残すよう意識された火葬場のように思います。 雄和火葬場や旧秋田市斎場は、一見何の変哲のない火葬場のようで、よく見ると見るべきところは多い火葬場。 遠路訪れてた甲斐がありました。 |