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島の火葬場-蒸籠の神様が宿る島-
1:こむすび:2024/06/11 (火) 21:39 No.6194
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とある日の昼休み、私は会社の非常階段にこもってスマホを操作していた。
「…日から2泊…予約完了。新幹線みずほ615号、つばめ343号、さくら572号…予約完了。高速船甑島1便及び2便…予約完了。レンタカー6時間…予約完了。…」
予約が手元の端末で完結するとは便利な時代になったものである。
このゴールデンウィークに心ならずも2日間休日出勤をしたため、2日間の代休を取得した私は、新たなる島の火葬場を目指すべく思案していた。
西日本の瀬戸内や日本海側の島についてはほとんど訪問を終えているため、次の場所をどこにするか検討していたのである。
省略・・ここ
13:こむすび:2024/06/11 (火) 21:44 No.6206
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下甑島に渡ると旧鹿島村地域に入る。藺牟田という大字一つの村であり、下甑島の北側三分の一ほどを占めている。
下甑島も、元々一つの村であったが、鹿島地区と他の地区が山で隔てられているため分村し、北部が鹿島村、南部が下甑村となったのである。
資料によれば、鹿島葬斎場は、旧鹿島村葬斎場であり平成2年4月に供用開始され1基の火葬炉がある。甑島の中では一番新しい施設となっているがそれでも30年以上が経過している。
古い資料を見ると、それ以前には鹿島村火葬場が設置されていた。大字は藺牟田で同じだが番地が大きく異なっているため違う場所にあったと思われる。
さて、上甑島葬斎場は使用していなかったが、こちらはどうだろうか。
省略・・ここ
14:こむすび:2024/06/11 (火) 21:44 No.6207
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次は、県道をそのまま南下して19キロ離れた下甑葬斎場に向かう。
旧下甑村域に入ると、道幅が狭くなり中央線がなくなる区間が増えた。先に橋がつながった北側から順に道路整備がされてきている様子が分かる。
それでもところどころバイパスが整備されてきているので、いずれは全線で片側1車線の道路が完成するものと思われる。
狭いところでも対向車はそれなりにすれ違うため慎重に運転する。
資料によれば、下甑葬斎場は、旧下甑村立火葬場であり昭和53年4月に供用開始され1基の火葬炉がある。
省略・・ここ
15:こむすび:2024/06/11 (火) 21:45 No.6208
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色々考えを巡らせつつ入口近くまで行ってみると、建物の窓が開いているのを確認したので、ここも使用中であることが確定した。
駐車されている車の台数から、今は職員の方や葬儀社の方だけのように見受けられたが、建物内ではお迎えの準備で忙しくされているだろう。
そして、ほどなく霊柩車と御遺族の方々も到着されるはずだ。ここで鉢合わせることは避けたいので急いで出発する。
来た道を引き返し、海沿いの県道に出ると、とりあえず道路の終点である手打港へ向かった。
旧手打港跡地前にある広場に車を停め、時間調整も兼ねて休憩することにした。
省略・・ここ
16:こむすび:2024/06/11 (火) 21:45 No.6209
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20分後、再度、下甑葬斎場前に到着した。
接近してみると、建物外には誰もおられなかったので、門のところから撮影させていただいた。使用中であればこのあたりが限界だろう。
開放された入口扉から銀色の観音開きの化粧扉が見えた。
時間や御遺族の滞在など諸般の事情を鑑み、これ以上ここで粘ることは難しく状況も変わらないと判断して里港に戻ることにした。
御遺族の帰宅を待つとしてもそれが何時になるかはこの時点で不明であり、現在の時刻と相談しても、今すぐこちらを出発しないと船に乗り遅れる可能性が出てくる。今日中に帰宅しないと明日の勤務に穴をあけて面倒なことになるし何を言われるか分かったものではない。
省略・・ここ
17:こむすび(本投稿最終):2024/06/11 (火) 21:46 No.6210
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その後は、利用分のガソリン代を支払い、港まで送っていただいた。
まずは川内港行きの乗船券を購入する。これで船に乗れることが確定し、新幹線等で路線トラブルがなければ明日の欠勤はなくなった。
ほっとするとお腹がへっていることに気付いた。食料を買い損ねて朝から何も食べていなかったのである。
そうだ、せっかく甑島に来たのだから名物のキビナゴ丼を食べてみたい。時間はないが急いでかき込めば間に合うだろう。
ところが、コロナの影響なのか、港の食堂ではメニューには記載されているものの、現在、飲料のみで食事の提供は中止しているとのことだった。
省略・・ここ

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